好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

福井の民話から 籐九郎狐 その二

2009-06-29 21:42:08 | Weblog
あつたげろ。間の籐九郎さいて、人を坊主にするのが得意の狐
福井と樋曽の間に住んでいたって。 或る時福井の百姓の
 つぁつぁ『おやじ』が 急ぎの用事が出来て
丁度 今の索道辺りまで来たところが日暮れて
暗くなったもんだが、なんだか背中がしみしみ して来たと。

夜になると籐九郎めが でて来るのだがと。辺りを見ると前にも後にも
人家は見えないし、山の方は草木が生い茂つていて 物音もしない
淋しげな場所で俄かに 体中の毛穴が立、ぶるぶるとふるいて きて足が
良く運べず、思うように早く歩けない。 ほうして 
向こうから 女の人が負けた『おんぶした』子を泣かせ泣かせ来るの
 だって。今頃来るなんて 籐九郎に違いない。畜生出やがったか。

汝のようなもんに、だまされて たまるもんか思うて手ごろな棒を拾い
 すれ違いそうに なつたが、棒ねもって力いっぱい殴り
つけたら今までぎゃあぎゃ 泣いていた子が泣き止んだと思ったら
ぐったりして死んでしまったて。

ほうしると『そうすると』 あねさが,なんせ、悲しげに泣くのらと。
「実家から使いをもろうて、此から帰るとこだて がんね 
 こんな災難の逢うて 家のもんにどう言ったら良いやら」
 さいて『そして』 身も世もなく悲しげに
泣くのらて。つぁつぁも 背中の死んだ 赤ん坊を見て、此れ 
大変なことになった。どうしたらよかろう。

籐九郎らと思って本気を だしてなぐったのら。 いくらあやまっても
勘弁しないって「俺死んだ子負て 実家へ行って 言い訳しらんなすけ
一緒に来てくれ」 さいて家まで連れていったて ほうしてつぁつぁ
実はこれこれの訳ら さいて、あやまるも「死んでしまっては
どうしょうもない こうなった以上はお寺さまを呼んで裁きをして貰う」
さいて お寺さんを呼んで来たのらって。
お寺さまが言いなさるには(人の命をとったん だすかえ、 
頭剃って坊主になって 子の供養するのがいっち良い」

そうせば、そらかてがんで 頭剃ろうて 坊主なったてがんだ、
これで人殺しの罪が消えたと思ってホッとした所 そこにはお寺様も
居ないし 籐九郎の出る淋しい林の間に立っていて 子供あねさも
いなかったて。そうして頭に手をあげて見たら坊主頭になって居たてがんだ。

佐藤家まつり 会場の民話から 最後の方が少し読めませんでした。

 
コメント
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