好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

釜蓋城址 NO1

2009-06-15 21:54:29 | Weblog
いつも下田農園に出かける時に面白い名前の城址が
興味が有りながら 今日まで車で通り過ぎるだけでしたが
今回下車して見ました  釜蓋城址入り口の案内柱で
でも農道が山裾まで有りますから あの辺りに在るのかも知れません
探索は後日に 、近くで下田村文化財調査研究会の説明板
がありましたので紹介します、


釜蓋城址
鎌倉時代、この地が大面の荘であった頃 築城されたと伝えられ
南北朝、室町時代を経るなかで支配者も代わった。
越後の大乱といわれた、関東菅領上杉顕定と越後守護上杉定実が争った
永正の乱で戦功のあった定実方三条城主山吉久盛の家臣 佐藤弥太郎の
領下に入ったが 永正8年8月『1511年』まもなく廃城となる。

近くには馬場,防所などの地名が残り 空堀りをめぐらした遺構は
中世山城の姿を今にとどめている。
尚,五十嵐川の対岸には鍋蓋城と言われている城址もあり 中世前期

越後に於ける戦略上重要な地域あったことが偲ばれる、
福岡地内には釜蓋城ゆかりの地蔵尊も祀られている、

平成九年7月下田村文化財調査研究会 説明標識より

釜蓋城 此れは 「かまふた」( かまぶた) と読むんでしょうか?
対岸には鍋蓋城 「なべふた」 と読むのでしょうか?
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長見寺 化茶釜 NO2

2009-06-15 21:53:48 | Weblog
下田新屋  実は下田農園のオーナーがこの地区で
たまたま訪ねて行った所が新屋地区 普段ならとても通らない
道ですが 話には聞いていた寺 とても現物を見る事は無理で
しょうが、静かな山寺です、

曹洞宗 長見寺寺宝として不思議な古い茶釜が所蔵されています
長見寺はもと鹿熊(かくま)にあって浄応寺(じょおうじ)と称し
ていました、天正元年(1573年)現在地移 長見寺なったときに
茶釜を受け継いだ。
この茶釜 奇妙なことに住職にだまって檀家を回ってお経を読み
ご馳走になってくる習性が つまり身代わり助っ人役をした。
しかし寺では後の禍を恐れ 茶釜の蓋を墓に埋めてしまいました。
この茶釜置いた場所を水をもらさず湿らせる 特性が 防火茶釜とも
いわれ『化茶釜』として有名な茶釜。
下田郷 史跡文化財の散歩道より抜粋。

下田方面は歴史があるだけ近くでも楽しい場所史跡がまだまだ
たくさん有りそうです、
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