一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

今日のことば(114) ― 蘇軾

2006-03-31 12:05:10 | Quotation
  余生 老いんと欲す 海南の村
  帝は巫陽(ふよう)をして我が魂(こん)を招かしむ
  杳杳(ようよう)として天は低く 鶻(こつ)の没する処(ところ)
  青山一髪 是れ中原(ちゅうげん)

  (「澄邁驛通潮閣二首 其ニ」)

蘇軾(そしょく、1036 - 1101)
北宋の政治家、文人。号は東坡(とうば)。1057(嘉祐2)年、21歳で進士になり、政治家としてスタートを切る。神宗時代、王安石の新法政治を批判して左遷され、杭州をはじめ諸州の地方官を歴任。湖州の知事のとき政治を風刺した詩が問題となり,1079(元豊2)年投獄ののち黄州に流される(この地で『赤壁賦』を作る。また書では『黄州寒食詩巻』が著名)。旧法党時代に一時復権するが、新法党の復活により、1094(紹聖1)年広東に配流され、常州で病死。
父・蘇洵( そじゅん)、 弟・蘇轍(そてつ)と共に、唐宗八大家に数えられる。

上記「澄邁驛の通潮閣」は、配流されていた海南島から、皇帝の命により本土に戻される途中(海南島北部の澄邁駅にある通潮閣)で詠んだとされる。

「余生を海南島の村で過ごそうかと思っていたが、天帝が巫女を使ってこの私の魂を、屈原のように呼び寄せようとしている。
通潮閣に昇ってみれば、遥かに天空は低くたれ込め、ハヤブサの姿が見えなくなるところ、青い山影が髪のように細い一線に見えるところ、そここそが、中原、すなわち中国本土なのだ!」

左遷と復権を繰り返した蘇軾は、その運命を持ち前の「楽観主義」で乗り切ったとされる。
「孫文が蘇軾を尊敬しているのは、悲運に遭っても、あくまで楽観的であったことである。これは孫文の生き方に似ている。」(陳舜臣『孫文(下)』)

辛亥革命以前の孫文とその周辺を描いた、この小説『孫文』の原題『青山一髪』は、そのような2人の「楽観主義」に注目してつけられた。

参考資料 陳舜臣『孫文(上)(下)』(中央公論新社)

「男装の麗人」について

2006-03-30 10:19:42 | Essay
『女医公許第1号』荻野吟子(おぎの・ぎんこ)

佐野眞一の『阿片王』には、「男装の麗人」という時代がかったことばが出てくる。

まずは、梅村淳という、阿片王=里見甫(はじめ)の周囲を彩った女性の一人が登場する。
「一言でいうなら、男装の麗人です。いつも背広にネクタイ、ズボンという服装なんです。髪の毛も七・三の断髪でした。」
との証言が紹介されている。

また、有名な人物としては、「東洋のマタハリ」と称せられた川島芳子(1907 - 48)。
「新京への帰りの列車中に、断髪洋装で、黒い皮の膝までの長靴(ブーツ)をはいている麗人が入ってきて少し離れた座席をとった」
「清朝王族の末裔に生まれた川島は、関東軍の密命で、後に満州国皇帝となる宣統帝溥儀の后の婉容(ワンロン)を天津から脱出させる男まさりの行動で有名な男装の麗人だった。」(佐野眞一『阿片王』)

「男装の麗人」なることばは、おそらく水の江滝子(ターキー。1915 - )を嚆矢とするだろう。
松竹歌劇団(SKD)の男役で、断髪男装姿が人気となったのは、1930年代のことである。

彼女たちの場合には、必要性からという以上に、ファッションという面があったようだが(「男装の麗人」ということば自体が、ファッション性を帯びている)、明治初めの女性の社会進出においては、男装せざるを得なかった(男性の職業とされていた分野に進出するにあたっては特に)。

例えば、荻野吟子(1851 - 1913)の場合。

政府公許の女医第1号である荻野吟子は、その医学生時代に、
「服装は着流しを改め、海老茶の袴を着け素足に日和下駄という男と変わらぬ身装(みなり)にした。」(渡辺淳一『花埋み』)
あるいは、
「ことさらに束髪に素顔で、着物には紺の袴という、ちょっとみると男かと見間違うような服装」(渡辺、前掲書)
であったという。

これは「男装の麗人」というような余裕のあるものではなく、男社会であった医学の世界に入るために、やむを得ず採った服装である。

そして現代、どのような服装であろうが、問題とされないように思えるが、はたしてそうだろうか。
むしろ「空気」としての「同調圧力」は、依然として強いのではないのか。

成人式の振袖姿を初めとして、卒業式の袴姿、入社式での女性の黒っぽいスーツ姿、などなど(男性の場合は、祝儀不祝儀でのドスキンの略礼服)。
そして、それを「圧力」としてすら感じないような感性が生まれているのは、かえって不気味である。

今日のことば(113) ― R. シュトラウス

2006-03-29 10:13:28 | Quotation
「旋律が、目に見えない神から人間にもたらされたもっとも崇高な贈り物のひとつであることは、古典派のもっとも際立った音楽的創造物からリヒャルト・ヴァーグナーにいたるまでの音楽に明らかである。」
(『考察と回想』)

R. シュトラウス(Richard Strauss, 1864 - 1949)
ドイツの作曲家。ホルン奏者を父として、音楽的な環境のもとに育つ。18歳の時に作曲した『ヴァイオリン協奏曲』で賞賛を受け、21歳にしてマイニンゲンの宮廷音楽長に就任。ミュンヘンやヴァイマールのオペラ劇場の指揮者をつとめた後、ベルリンの宮廷オペラ劇場首席指揮者、同劇場音楽総監督、ウィーン国立オペラ劇場音楽総監督を歴任。1933年から35年まで、ドイツ音楽界の長老として帝国音楽局総裁に就き、戦後ナチスへの協力者として裁判にかけられるが、無罪となる。
交響詩『ドン・フアン』『英雄の生涯』『死と変容』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、オペラ『サロメ』『エレクトラ』『ばらの騎士』などの作品がある。

ハーモニーを持たない民族はあっても、メロディーやリズムを持たない民族は、まず考えられない。
ことほどさように、メロディーとリズムは、人間の(あるいはことばの)本質的な部分と密接に結びついているようだ。

しかし、リズムはともかくとして、現代音楽ではメロディー(旋律線)すらはっきりしない作品も数多く生まれている。
一つの原因として、A. シェーンベルクによる「十二音技法」の発明によって、音高システムが従来のものとはまったく異なったものになったことが挙げられよう。
「相互の間でのみ関連づけられた十二の音による作曲」というこの技法は、きわめて数理的な原理をもっているがために、かえって人間の耳には、旋律としては聴き取りにくいものとなった。

戦後現代音楽の旗手の1人だった E. ヴァレーズは、
「チャイコフスキーの愛好家に音楽とはなにかと尋ねてご覧なさい。そのあとに、ドビュッシーかベルリオーズの愛好家に同じことを尋ねてご覧なさい。ふたりはけっして同じ音楽について語りはしないでしょう。ひとりの人にとって音楽であるものは、もうひとりにとって音楽ではないのです。」
と語った。

同様の事態が、より細分化されているのが、現代の音楽事情ではないだろうか(そこでは、チャイコフスキーとドビュッシー、ベルリオーズは、むしろ同一グループに属している)。

参考資料 『作曲の20世紀 1』(音楽之友社)

『阿片王』を読む。

2006-03-28 09:28:45 | Book Review
一言で表せば「隔靴掻痒」。
セピア色の、しかもピントのずれた写真を見ているよう。

原因その1。
テーマである「里見甫(はじめ)」の実像に迫れていない。
魅力ある人物であるからといって、ノンフィクション作家まで、その魅力に捕らえられてしまってはいけません。

以下は、それが矛盾として現われた1例。

里見の火葬の際、「頭蓋骨が淡いピンク色に染まって」いたという事実(阿片常習者の特徴だという)のリアリティーと、彼の戦前の生活とのリアリティーとの間に、佐野は、どのような関係を見出しているのか。
阿片を商品として扱うことが、結局は阿片常習という罠に陥ることになったということなのか。

それにしては、
「うなるような札束に囲まれながら、里見はそれで私服を肥やすようなことはまったくなかった。酒は一滴も飲まず、贅沢といえば、英米製の高級シガレットを絶え間なく吸うくらいにものだった。/誰いうとなくつけられた『阿片王』という、殺伐としておどろおどろしいニックネームを感じさせる雰囲気はどこにもなかった。」
という表現との整合性が、あまりにもないエピソードである。

原因その2。
前半の「里見甫」の部分と、それを取り巻く女たちの部分が、十分に融合していない。

確かに「梅村うた」「梅村淳」と破天荒な人生を送った人物たちが、里見の周辺を彩っているが、それはあくまでも傍役に過ぎない。
それを忘れて、その副筋を半分近くの分量をとって扱うのは如何なものか。
しかも、記述の大部分が、必ずしも里見の人物に迫るためのものではなく、そこで完結してしまっているのだから。

以上、2点がノンフィクション作品としての大きな破綻。
その他に、文章作品としては、奇矯な表現や奇怪至極な言い回しが、あまりにも多過ぎるのではないか。

1例としては、
「これ(梅村母子の家系図)を手に入れたとき、梅村淳と梅村うた親子、そして里見甫の三人が、満州帝国皇帝に祭りあげられたラストエンペラーの宣統帝溥儀を連結器として、満州の夜と霧を切り裂いて疾走する長い夜汽車のように、静寂(しじま)を破って繋がったという妄想に似た思いにかられた。」
一読して、意味が分かる方はいらっしゃるのだろうか。

うーむ、これはいささかお勧めしずらい本であります。
小生、佐野真一の『巨怪伝』(正力松太郎)や『カリスマ』(中内功)は買うが、これは2書より出来がよろしくないのではないのか(対象へののめり込み度に、自制が働いているかどうかに原因あり)。

佐野真一
『阿片王 満州の夜と霧』
新潮社
定価:本体1,890円(税込)
ISBN4104369039

今日のことば(112) ― スティーブン・J・グールド

2006-03-27 07:53:35 | Quotation
「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望をおうことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる。」 

スティーブン・J・グールド(Stephen Jay Gould, 1941 - 2002)
アメリカの古生物学者。ハーバード大学教授。バージェス頁岩で発見された化石を考察し『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』を著わす。また、進化を巡り『利己的な遺伝子』のドーキンスらを相手に論争を繰り広げる。米国で進化論教育の是非が問われれば科学者として矢面に立ち、広範な教養を基礎に『ナチュラル・ヒストリー』の月刊連載を1回も欠かすことなく四半世紀続け、『ダーウィン以来』『パンダの親指』『フラミンゴの微笑』『ニワトリの歯』『ワンダフル・ライフ』などの科学エッセイ集を刊行。
『個体発生と系統発生』はグールドの断続平行説とよばれる本格的で独創的な進化理論の大冊、『人間の測りまちがい』は自然に対する人間のスケールの取り方の問題を論じた注目すべき本。

グールドの言う「判断の道具」とは、論理的/科学的思考方法であり、「希望をおいうこと」とは、信念/信仰体系(=イデオロギー)と考えてもよいであろう。

権力者は、「論理的思考方法」を重視しているように振る舞うこともあるが(例えば、初等・中等教育での科学教育重視)、実際には、人びとに自らに都合の良い「信念/信仰体系」を信じていてほしい、と深く願っている。
いわく「愛国心教育」、いわく「道徳教育」などなど。

「愛国心」を抱くか抱かないかは、各人の自由な意思の問題で、国家が強制すべきものではないだろう(それは「俺を愛せ!」と無理矢理に命令することにも似ている)。
そして、その根拠には「論理的/科学的思考方法」とは不適合な部分が出てくるのも確かなこと(全面的に「正しい」歴史的過程を踏んできた国家などありはしない)。

グールドが直接に対象としているのは、疑似科学であり超科学であるのだが、このような「国家による信念体系の刷り込み/強制」も、その射程には入ってくるであろう。

『明治維新私論』を読む。

2006-03-26 13:02:04 | Book Review
『マルチチュード』の書評の続きは「『予告編(4)』で改めて」と書きましたが、もうこうなってくると、予告編レベルの論議ではなくなるので、機会を改めまして本編にてご紹介ということに。

ということで、今回は歴史もの。
ですが、たった今、書店関係のサイトを検索してみたら、絶版入手不可、とありました(マア、20年以上前の本なので、仕方ないのかという気もするが、講談社学術文庫あたりで出さないのかね)。
もし、ご興味おありの方は、図書館でお探しになるか、古本屋をあたられるしかないのですが、内容は非常に興味深いので、あえて、ここでご紹介いたします。

「興味深い」と書いたけれど、これは小生を含め、かなり少数派の感想かもしれません。
なぜなら、大多数の人びとが明治維新にもつ興味関心は、坂本龍馬や高杉晋作、勝海舟などの「英傑」に対してで、本書のように、歴史が持つ「もう1つの可能性」などにではないだろうから。

本書には、さまざまな機会に著者が書いたものを集めてありますが、副題にあるように、メイン・テーマは、あくまでも「アジア型近代の模索」ということであります。
つまりは、実際に行なわれた日本の近代化が、完全に西欧型のそれを取り入れたのに対して、もう1つの可能性として、アジア型の近代化というものはありえなかったのか、ということです。

著者は、その芽を、横井小楠に発見したようです。

まずは、ペリー来航時の対応のしかた。
これは、単に黒船への対応のみならず、異文化(西欧文化)へどのように対応するか、にも関わってくる。

小楠は、
「第一に判断すべきは、相手の言い分が道理か道理でないかである。道理なら受け入れ、非道なら拒絶する。拒絶するために武力が必要なことも多いから武備を怠ってはならないけれども、第一義的なことは、相手の要求について道理に基づく判断を下すことである。」
としました。
しかし、実際の歴史では、その路線は採られず、
「相手が弱いとみれば、要求を聞きもしないで攘ち払う。強そうでとてもかなわないとみれば、要求の是非を判断することを初めから放棄して屈伏し、国内むけには、追い払うために武備を強化しなければならないという政策を打ちだす。道理はどこにもない。」
ということになったわけです。

以上のような小楠の基本線は、幕府側、反幕府側を問わず理解されず、
「そういう道義性を基盤に世界にたちむかっていくという構想についていけない。武士道に屈服し矮小化されたエセ儒教を温存しつつ、まるごとヨーロッパ近代に組み込まれてしま」
ったのです。

以下、小楠のみならず、アジア型近代を模索した人びとの紹介が、本書では続きますが、冒頭の「アジア型近代の模索」と、それを受けての「アジア型近代への背反」だけでも、十分に示唆的であります。

現状追認主義的な歴史叙述に飽き足らない方に、ぜひ一読をとお勧めいたします。

松浦玲
『明治維新私論 ―アジア型近代の模索』
現代評論社
定価:本体1,600円(税別)
1979年12月初版発行

今日のことば(111) ― 雲井龍雄

2006-03-25 08:48:11 | Quotation
「薩賊、多年譎詐(きっさ)万端、上(かみ)は天幕を暴蔑
(ぼうべつ)し、下(しも)は列侯を欺罔 ( ぎもう )し、内は百姓(ひゃくせい)の怨嗟を致し、外は万国に笑侮(しょうぶ)をとる。その罪、なんぞ問わざるを得んや。」

(「討薩檄」)

雲井龍雄(くもい・たつお、1844 - 70)
幕末明治期の米沢藩士。幼名猪吉(いきち)、龍三郎(たつさぶろう)と称する。1865(慶応1)年江戸詰となり安井息軒に学ぶ。1867(慶応3)年京に上り、倒幕派と交わるが、薩摩の戦略を批判したため危険になり、米沢に戻る。戊辰戦争で「討薩檄」を書き、米沢藩の奮起を求める。後、明治新政府の転覆を企てるが、発覚して死罪となる。

「討薩檄」は奥羽越列藩同盟各藩で広く読まれ、越後の河井継之助や会津の佐川官兵衛など将兵の士気を高めた。

奥羽越列藩同盟各藩の共通認識として、これは薩摩の私戦である、とするものがあった。確かに、戊辰戦争には、薩摩・長州藩の幕府からの権力奪取という面がある。
その面が、維新後にも現われ、西郷隆盛などの絶望を生むことにもなる。
「草創の始に立ちながら、家臣を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、頻りに涙を催」したのは西郷である。

維新後、雲井はその才を新政府に買われ、多くの意見書を提出するが、遂に取り入れられることなく、逆に迫害を受けることになる。
雲井は、新政府への不満分子を糾合、行動を起こそうとするが、内乱を企んだとして梟首され、その遺骸は小塚原に晒された。

享年27。辞世の詩は「死して死を畏れず、生きて生を偸(ぬす)まず…」であった。

参考資料 星亮一『奥羽越列藩同盟―東日本政府樹立の夢』(中央公論社)

『マルチチュード』を読む。「予告編(3)」

2006-03-24 11:27:12 | Book Review
〈帝国〉における戦争は、従来の「国民国家同士の武力衝突」である状態から、
戦争や政治的暴力の状況や性質は必然的に変化している。戦争は今やグローバルで果てしない、全般的現象となりつつある」(「第一部 戦争」)
と著者らは見ます。
しかも、それは「〈帝国〉内部のグローバルな内戦」と呼んでいい性格を持つ。
なぜなら、「国家がもはや有効な主権の単位ではなくなった」からであり、「(内戦の)舞台は今やグローバルに広がっ」たからである。
ここでは「戦争に関する国際法の枠組みはもはや弱体化」してしまっています。
「個々の地域戦争は孤立したものではなく、程度の違いこそあれ、他の戦争地帯や現時点での非戦闘地域とリンクしており、ゆえに大きな連関の一部をなすものとみなされるべきなのだ。これらの戦争の戦闘員が主権を持つと標榜しても、それは控えめにいって疑わしい。彼らはせいぜい、グローバル・システムのさまざまなレベルにある階層秩序のなかでの、相対的な優位を求めて戦っているにすぎない。こうしたグローバルな内戦に対応するには、国際法を超えた新たな枠組みが必要である。」

このような新たな戦争状態が生まれたことによって、次のような結果を生むと著者らは指摘します。

第一は「戦争が空間的にも時間的にも不確定なものとなったこと」である。
例えば「合衆国の指導者が『対テロリズム戦争』を宣言したとき、彼らはそれを世界中に拡大し、何十年、あるいは何世代にもわたって無期限に続けなければならないことを強調した。社会秩序を創造し維持するための戦争に、終りはない。それは継続的で絶え間のない力と暴力の公使が必要なのだ。(中略)こうして今や戦争は、警察活動と潜在的に区別がつかなくなっているのだ。」

第二は「国際関係と国内政治とがますます似通い、混ざり合ってきたことである。
つまり「セキュリティを目的とした軍事活動と警察活動とが渾然一体となることで、国民国家の内側と外側との違いはかつてないほど小さくなっている.」したがって、従来は国外にあると考えられた『敵』と、従来は国内にあるとされた『危険な階級』との区別がどんどんつきにくく」なっているため、「さまざまな形の社会的意義申し立てや抵抗が犯罪とみなされる傾向が実際に強まっている」。

この指摘は、あえて例を挙げるまでもなく、われわれを取り巻く社会情勢の中に、容易に見て取ることができるでしょう。
このような見方からするならば、われわれの日常生活が戦時体制にある、というのも決して言い過ぎや、レトリックではないわけです。

次に指摘されている、新たな戦勝状態から生まれた結果は、「正戦」概念が復活したということです。
これに関しては、紙幅を要するので、「予告編(4)」で改めて。

『マルチチュード』を読む。[予告編(2)]

2006-03-23 10:05:23 | Book Review
権力秩序がグローバル化によって〈帝国〉(「いまや地球全体を覆い尽くしつつあるばかりか、人びとの生の奥深くまで浸透しつつある」)化した現在、それに抗する民主主義は、どのような可能性があるのか。

それを探ろうとしたのが本書だといえるでしょう。

まず、「マルチチュード」という概念には、そのような問題意識が前提としてあることを押さえておいた方が良い。
「〈帝国〉的権力に抗する特異的かつ集団的な主体を『マルチチュード』と名づけ、その多種多様な力と欲望にもとづくグローバル民主主義の可能性を探ろうと試みた」
わけです。

ここからは、本書の「序 共にある生」に触れながら、ご紹介していった方が分りやすいでしょう(前記座談会は、アップ・トゥ・デイトな話題に逸れていくから)。

まず、著者たちは、「マルチチュード」を「人民(ピープル)・大衆(マス)・労働者階級といった、社会的主体を表すその他の概念から区別」していきます。

まず「人民」なる概念は、人びとの「多様性を統一性へと縮減し、人びとの集まりを単一の同一性とみな」します。
これに対し、「マルチチュード」は、
「異なる文化・人種・民族性・ジェンダー・性的指向性、異なる労働形態、異なる生活様式、異なる世界観、異なる欲望など多岐にわたる。」

「大衆」という概念も、本質的に「差異の欠如」を特徴とします。
「すべての差異は大衆のなかで覆い隠され、かき消されてしまう。人びとのもつさまざまな色合いは薄められ、灰色一色になってしまうのだ。」
「これに対しマルチチュードでは、さまざまな社会的差異はそのまま差異として存在しつづける――鮮やかな色彩はそのままで、したがってマルチチュードという概念が提起する課題は、いかにして社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互いにコミュニケートしつつともに行動することができるのか、ということである。」

それでは、「労働者階級」はどうでしょうか。
「労働者階級」という概念は、
「もっとも狭い意味では工業労働者のみを指し(この場合は農業やサービスその他の部門に従事する労働者から切り離される)、もっとも広い意味ではすべての賃金労働者を指す(この場合は貧者や不払いの家事労働者など、賃金を受け取らないすべての人びとから切り離される)。
これに対してマルチチュードは、包括的で開かれた概念である。」
「今日における生産は、単に経済的な見地からだけでなく、社会的生産(物質的な財の生産のみならず、コミュニケーション・さまざまな関係性・生の形態といった[非物質的な]ものの生産をも含む)という、より一般的な見地から考えられねばならない。」

ここで著者らがモデルとしているのが、「インタ―ネットのような分散型ネットワーク」であるのが興味深いところ。
「その理由は第一に、さまざまな節点(ノード)がすべて互いに異なったまま、ウェブのなかで接続されていること、第二に、ネットワークの外的な境界が開かれているため、常に新しい節点(ノード)や関係性を追加できることである。」

このようなマルチチュードの特徴が明らかになったところで、本書は、〈帝国〉の戦争の問題と、それに抗するネットワーク型運動の問題に入っていきます。

これに関しては、「予告編(3)」へ続きます。

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート
『マルチチュード―〈帝国〉時代の戦争と民主主義(上)(下)』
NHKブックス(日本放送出版協会)
定価:本体1,260円(税別。上下巻とも)
下巻:I SBN4140910429

『マルチチュード』を読む。[予告編(1)]

2006-03-22 11:49:37 | Book Review
今回は、まだ読み終わっていないので、予告編ということで、簡単に内容のご紹介。

現在のグルーバル化の中で、現状追認するのではなく、世の中に何らかの働きかけをしていくためには、どうすればよいか、というのが現在のところ、小生の課題。

その課題に対して示唆を与えそうだ、ということで、『マルチチュード』を読みつつあるわけです。

きっかけとなったのは、「論座」4月号掲載の「マルチチュードが〈帝国〉を帰る」という座談会(主席者は、姜尚中、水嶋一憲、毛利嘉孝)。
ということで、この座談会の記事を中心にして、ポイントとなる点を述べてみたい。

まずは〈帝国〉とは何か?
「彼らは現在形成されつつあるグローバル秩序を『〈帝国〉(Empire)』と名付け、そしてそれを、帝国主義の中枢としての『帝国 (the empire)』とは、明確に区別されるべきものだと主張したのです。」
というのも、現在のグローバル秩序は、
「IMF (国際通貨基金)や世界銀行といった超国家的制度や資本主義大企業などとともに支配的な国民国家すらをその節点(ノード)として組み込んでしまうようなネットワーク状の権力」
だという認識があるからです。

それでは、このような〈帝国〉に対して、どのように対峙していくべきか、が次の課題となってきます。

これに関しては、「予告編(2)」へ続きます。

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート
『マルチチュード―〈帝国〉時代の戦争と民主主義(上)(下)』
NHKブックス(日本放送出版協会)
定価:本体1,260円(税別。上下巻とも)
上巻:I SBN4140910410