一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

『昭和史発掘 4』を読む。その4

2005-06-30 00:47:40 | Book Review
●「陸軍士官学校事件」
事件そのものは、陸軍士官学校の生徒が、2・26事件で中心的な役割を果すことになる村中大尉、磯部一等主計、西田税などと結び、重臣や警視庁を襲撃する計画が発覚したというものである。

しかし、現在でもこの事件に関しては、士官学校本科生徒隊中隊長の辻政信のデッチ上げ、という説もあるくらいで、真相は未だに闇の中に隠されている。
その真相を探ろうというのが、松本が本書で行なった推理。

それでは「陸軍士官学校事件」とは、昭和史の中で、どのような位置づけになっているか。
松本の記述を借りれば、
「昭和十一年二月に起った二・二六事件を書くには、その前年八月の「相沢事件」を書かなければならない。「相沢事件」を書くには、その年七月真崎教育総監の罷免問題を書かねば分らない。真崎罷免には九年十一月の陸軍士官学校事件を書かねばならぬ。いずれも陸軍部内の派閥抗争の途上に生じた事件で、二・二六事件に至るまで互いが因となり果となって捩れ合っている。このうち、どれ一つ抜き取ることはできない」
となる。

基本的に背景にあったのは、陸軍軍事官僚内部の派閥抗争、主導権争いとしても過言ではあるまい。
ざっと見れば、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一と続いてきた長州閥と、反長州閥との争いが、統制派(「幕僚派」)と皇道派(「隊付将校派」)とを生みだした。両派とも反長州閥という面で、当初は入り交じっていたが、永田鉄山、東条英機、鈴木貞一、武藤章らが離れ、統制派的独自色を強めていく。
一方、皇道派的なグループは橋本欣五郎を中心に「桜会」を結成、「三月事件」「十月事件」(「錦旗革命事件」)のクーデター未遂事件を起こす。

これらの状況の中で起ったのが「陸軍士官学校事件」であるから、それを摘発することによって利益を受けた者が、影の首謀者として疑われるのは、当然のこと。
辻政信を摘発者/首謀者とする説では、東条英機(そのまた背後には永田鉄山がいる)により、士官学校より皇道派の気風を一掃するよう命じられて、との動機を説く。

松本の推理は、本書を読んでいただくこととして、この事件の結果、村中、磯部の両名は停職処分となったが、「粛軍に関する意見書」を陸軍のみならず各方面に流布したため、退役処分となり陸軍を追放される。
一連の「陰謀」の背後に、軍務局長永田鉄山ありと見た彼らは、永田を深く恨むことになり、「陸軍士官学校事件」は「相沢事件」(永田が相沢三郎中佐によって斬殺された事件)「二・二六事件」への伏線となったのである。

*昭和9(1934)年、陸軍士官学校の校舎として建設された「市ヶ谷1号館」(このバルコニーで、三島由紀夫が陸上自衛隊員への演説を行なった)。

この項、おわり。


『昭和史発掘 4』を読む。その3

2005-06-29 00:30:30 | Book Review
●「天皇機関説」
今考えると、「天皇機関説」などがなぜ問題になったのか、分りずらい面がある。
というのは、今日の日本国憲法下では、天皇の大権(明治憲法の規定で保障された天皇の政治上の権限。統治権の他、国務大権、統帥大権、皇室大権があった)など、想像もつかないからだ。
ちなみに「靖国問題」と天皇大権とは微妙に関係している。

昭和10(1935)年に、政治的に大きな問題となった美濃部達吉(1873 - 1948)の「天皇機関説」とは、
「この大権は天皇が勝手に行使するものではなく、国民の利益の上に立って行使される。つまり、天皇の独裁の範囲を縮小し、それだけ議会の権限を拡大するという一種の議会在権的なものだった。美濃部は、天皇の意義をその人格的存在と、法人団体の代表者的存在(つまり、国家の「機関」)と、二つに分けたのである。」

もともと、明治憲法が矛盾した性格―「封建的な専制政治の面=天皇の大権を絶対無制限なものとする」と「民主主義的な面=天皇の大権は立憲的立場から制限されれうるものとする」との2つを持っていたため、そのどちらを強調するかによって、実際の政治運営も異なってくるわけだ。
特に、軍部は、天皇の統帥大権が絶対であれば、議会からの予算面や条約面での掣肘がまったくなくなるため、前者の立場を採っていた(条約面では、ワシントン条約やロンドン条約での、艦艇の制限を不服とする「艦隊派」という存在が海軍にあった)。
ここに、軍部の勢力が強まっていくにしたがって、美濃部攻撃=「天皇機関説排撃の動き」が激しくなる由縁があった。

時の野党である政友会は、内閣打倒のため、「天皇機関説」攻撃を利用した。
岡田(啓介。元海軍大将)内閣も、官僚内閣の性格が強く、軍部と妥協的だったために、美濃部を守ることの意味が充分には分かっていなかった。

陸軍大臣林銑十郎が、
「美濃部博士の吐いておられる憲法の議論は、軍の伝統上の精神、すなわち、われわれの最も尊重しておる軍人精神というものと符合しておらない」
と貴族院の答弁で述べるのは、不思議はないが、
首相までが、
「これ(天皇機関説)が国民道徳の上に悪影響を及ぼし、また不敬に亘るものとした場合、何らかの処置を要するについては慎重な考慮をする考えである」
とするのは、野党および右翼勢力に突破口を自から与えたようなものである。

結果、美濃部の著書『憲法撮要』『逐条憲法精義』は発禁、司法処分は免れたものの一切の公職を退かざるをえなくなった。

美濃部は隠棲中も右翼に付け狙われ、ある日、右翼団体幹部に襲撃を受け、足に銃弾を受けた。
手術入院中、病院に警視庁から電話が掛かった。
「いま、陸軍の部隊が首相官邸はじめ、ほうぼうを襲撃して……」
2・26事件の勃発を告げる警告の電話だった。

「『天皇機関説』攻撃はファッショの嵐となって、当の政友会の野望と関係なく、美濃部憲法を圧し潰し、雪崩のように政党政治自体をも破滅に追い込んだのである。」

この項、つづく。


『昭和史発掘 4』を読む。その2

2005-06-28 00:04:48 | Book Review
●「京都大学の墓碑銘」
いわゆる「滝川事件」または「京大事件」の顛末を描いた章。

「滝川事件」とは、『日本史辞典』では、
「文部省が京大法学部教授滝川幸辰の休職を強行した事件。1933(昭和8)年4月鳩山一郎文相は、滝川の著書や講演内容が共産主義的であるとして小西重直総長に罷免を要求、法学部教授会は拒否したが5月末滝川教授の休職を決定した。」
と記述されている。

松本によれば、次の章で扱われる「天皇機関説」と並んで、「学説問題を起点としながら」「大学と文部当局との争い」となり、大学における学問の自由や、大学の自治が後退を余儀なくされた事件ということになる。

大きく言えば、大正時代に確立したかのように見える自由主義(官立大学では総長公選制が法的に認められる)が、この時代に「ファッショ勢力」の攻勢によって、圧殺された、とも言える。

滝川の著書で問題になったのは『刑法読本』という、BK(JOBK」たもの。
その中にある、内乱罪と姦通罪の説明に関する部分であった。

内乱罪に関して滝川は、
「行為者の動機は必ずしも擯斥すべきものではない。かえって彼らは人類のより幸福な社会の建設を目標として現実の社会の破壊を企てるものであって、結果からいうても、もし、内乱が成功すれば、行為者が支配者の地位にとって替るわけである」
と述べている。
これが、鳩山文相によって「実に怪しからん」とされたのである。

また、姦通罪についても、
「現行刑法は妻の姦通を犯罪とするにすぎない。妻は経済的に夫に従属しているので所有物と同視されたのである。(中略)立法論としては全然罰しないのが最も望ましいのが、そのためにどうしても男女平等の経済的地盤が前提となる」
という一節について、「滝川は姦通を奨励している」と鳩山文相に発言させた。

その背後にあったのは、簑田胸喜などの右翼理論家と結びついた文部官僚がいた。
松本によれば、「京大事件における鳩山のやり方をみると、むしろ、それは彼の発意ではなく、側近の文部官僚に操縦されていたふしがある」とする。
しかし、文相として、衆院予算総会で、
「大学におきまして国体観念を破壊するがごとき教授をしておりまするならば、何らの容赦もなく法の適用によってこれを阻止いたします」
と答弁したのは、鳩山である。
それが、たとえ官僚の作った答弁資料を読んだだけとしても、立場上の責任は取らねばならないだろう。

京大教授団の、これに対する抗議活動については、本書を読んでいただくとして、
「京大七教授(滝川と滝川擁護のために免職となった教授たち)の免官によって、簑田胸喜、三井甲之など『原理日本』系の右翼理論家は意気軒昂、滝川教授を葬った勢いを駆って、美濃部達吉、田中耕太郎、横田喜三郎、宮沢俊義、末弘厳太郎の諸教授への攻撃に移った」
のである。

この項、つづく。


『昭和史発掘 4』を読む。その1

2005-06-27 00:17:34 | Book Review
1960年代に週刊誌連載の後、単行本化され、1970年代に文庫化されたものの新装版(新装版第4巻は、旧文庫第5巻の一部(「小林多喜二の死」)+旧文庫第6巻の一部(その他3編)。

第4巻は、
「小林多喜二の死」
「京都大学の墓碑銘」
「天皇機関説」
「陸軍士官学校事件」
の4編よりなる。

●「小林多喜二の死」
プロレタリア文学の興亡と、その末期に起った、警察権力の拷問による作家小林多喜二の惨殺を描く。

今日では想像できないが、プロレタリア文学は、一時、昭和文学界を席巻し、芥川の自死もそれに脅威を覚えたからとの説もある。
「芥川は、新しい時代がくるということをかたく信じていた。そして、自分の文学がはたしてよく来るべき新時代に耐えてゆけるかどうかという大きな不安のためにも苦しんだ。」
「『新時代』に対する芥川の理解と共感は、ある得体の知れぬ脅威と恐怖に裏付けられてもいたようである。」(平野謙『昭和文学史』)

そのような時代に、小林多喜二は作家として文壇に登場した。

多喜二の処女作『一九二八年三月十五日』は、彼の住んでいた小樽の治安維持法違反事件(もちろん日本共産党の弾圧事件「三・一五事件」の一環)をモデルにしたもので、労働者の群像を主人公にし、警察権力の暴力的な弾圧を告発している。
しかし、プロレタリア文学批評家の蔵原惟人からは、一応の評価を受けながらも、
「作者はその背景をなした大衆の運動をほとんど描いていない」
との指摘を受けた。

その批判を受けて、不徹底さを克服すべく書かれた『蟹工船』は、広く一般の文壇からも認められ、
「読売新聞紙上では、この作がその年の上半期の最大傑作であるという推薦が多くの文芸家から寄せられた。」
「多喜二の『一九二八年三月十五日』と『蟹工船』は、はじめてプロレタリア小説を一般文壇に強く認めさせたのである。」

多喜二は、文学活動の面だけではあきたらず、昭和7(1932)年から「非合法の党生活者にな」り、特高警察からの追及を受ける。
昭和8(1933)年二月二十日正午過ぎ、警察に捕まり、「残虐を極めた拷問は前後三時間以上もつづけられ、多喜二はついに無意識状態に陥った。」
「膝頭から上は、内股といわず太腿といわず一分の隙もなく一面に青黒く塗り潰したように変色している。寒いときなのに股引も猿股もはいていない。臀から下腹にかけては、まるで青インキを塗ったように陰惨な青黒色に覆われていた。」
「小林多喜二は築地署裏の前田病院に運ばれて、まもなく絶命した。午後七時四十五分だった。三十歳であった。」

拷問が当時の特高警察の常套手段とはいえ、小林多喜二に加えられた暴力は、明らかにリンチという色彩が濃い。
しかも、市川築地署長は、
「殴り殺したというような事実は全くない。当局としては出来るだけの手当てをした。長い間捜査中であった重要被疑者を死なしたことはまことに残念だ」
と白々しいコメントを発表したという。

警察は、プロレタリア文学者の多喜二だということを知っていて、リンチに処した。一種の見せしめである。また作品『一九二八年三月十五日』で警察の暴力を告発したことに対する復讐という面もあろう。
――昭和5(1930)年、共産党へのシンパ容疑で大阪中之島警察署に勾留された時、、「おまえが小林多喜二か。おまえは三月十五日とかいう小説の中で、よくも警察のことをあんなに悪う書きよったな。ようし、あの小説の中にある通りの拷問をしてやるからそう思え」
と刑事が言ったという事実を松本は紹介している。

「正義」を背負った権力の暴力(それは戦争だけではない)が、いかなる事態を生むかの端的な一例を、小林多喜二の惨殺は示しているといえるだろう。

この項、つづく。


松本清張
『昭和史発掘 4』
文春文庫
定価:本体829円+税
ISBN4167697033

『幻の漂泊民サンカ』を読む。

2005-06-26 00:14:45 | Book Review
事情により、以前、別の場所で発表した原稿を再掲載します。
ご了察を乞う。

最近の文庫には珍しく、巻末の解説「難民の世紀に」(佐藤健二)がきちんとした「解説」になっています。
どうも最近は「エッセイ」や「交友録」を文庫の巻末に付けるケースがほとんどで、いくら巻末からひもとく向きが多いにしても(小生もその一人)、本文を読むには何の役にも立たないことを、さびしく思っていた折ですから、ちょっと感動しました。
これなら「解説」を先に読み、テーマの全体像を得てからの方が、本文を理解しやすいでしょう。本文の内容や表現が難しいわけではない。けれども、民俗学のまったくの初心者だと、取っ付きにくい面があるからです。

話を元に戻しましょう。
著者の解決しようとした問題は、「サンカ」とはどのような人々か、ということ。
それだけ、「サンカ」についての我々の知見は貧しかったし、フィクションの影響を受けていたのです。

知見という面でいえば、学者・研究者の怠慢としか言いようがない。かの碩学・柳田国男(やなぎたくにお。1875~1962。明治~昭和期の民俗学者)にしろ喜田貞吉(きださだきち。1871~1939。明治・大正期の歴史学者)にしろ、自らの仮説に組み入れようとするあまり、間違った方向へ歩を進めていたのです。柳田は「山人」=「この列島の先住民族の生き残り」という仮説へ、喜田は「坂のもの」=「中世」の系譜という仮説へ。

フィクションは、前者より明らかに社会的な影響が大きい。
一番の元は、三角寛(みすみかん。1886~1958。昭和期の小説家)の一連の「山窩小説」。そして、1970年代後半から1980年代の、五木寛之の小説『戒厳令の夜』『風の王国』、中島貞男の映画『瀬降り物語』だと著者は指摘します。

以上のベールを剥いで、「サンカ」の歴史・民俗などを実証的に考察したものが本書です。どのような結果が現れるかは、実際に本書を読んでいただくこととしましょう。
ただ、これらの研究成果があるにもかかわらず、
「漂泊という言葉が招き寄せる、いわばこの国の『すき間』への夢」(四ノ原恒憲。11月27日付「朝日新聞」夕刊、コラム欄)
を「サンカ」に託すのは止めた方が良い。
「すき間」への夢は、誰かに託すものではなく、自ら生み出していく(お好きなら「戦い取る」と言うのも可)ものだから。

『幻の漂泊民サンカ』
沖浦和光
文春文庫
(本体657円+税)
ISBN:4167679264

『桃太郎』と日本の植民地支配

2005-06-25 00:11:16 | Opinion
大航海時代以後の植民地は、資源(貴金属を初めとした鉱物資源、および奴隷としての人的資源)の収奪の対象でしかありませんでした。――南米からヨーロッパへの銀の流出は、16世紀末までに2万トンという莫大な量で、これによってヨーロッパに「価格革命」と呼ばれる物価上昇をもたらす。また、貿易活動の中心もバルト海や地中海から大西洋に移り、リスボン・アントワープ・アムステルダムなどの都市が栄えるようになった。

しかし、帝国主義時代に入って植民地は、コスト・パフォーマンスの観点から、いくつかのグレードに分けられるようになったのです。
それは、あたかも他の会社を乗っ取る上で、完全に吸収して自社の1セクションとするか、子会社化するか、圧倒的多数の株を所有する株主として資本参加するか、を決定するようなもの。もはや、利潤のさして上がらない地域を武力をもって完全支配化する、などというのは流行らなくなっていました(「植民地経営」というタームを想起されたい。一時的な軍事力による意思の強制は有効でも、半永久的な軍事的支配などというのは、コスト・パフォーマンスが非常に悪い)。

幕末においても、日本人の大多数は、その辺りの事情を理解していなかったので、安土桃山時代(ヨーロッパでいえば大航海時代)の感覚。外国との通商を開始すれば、国土は奪われ、人々は「夷狄」に隷属させられると信じきっていた(彼らは知らなかったが、インカ帝国はそのような目に遭った)。その上、ペリーによる一種の「砲艦外交」が誤解を拡大させた(対抗するための「尊王攘夷」というスローガン。そして対抗軍事力整備)。

明治になって、今度は日本人がアジアへ進出するに当たり、「被害者」から一転「加害者」となっても、その感覚にさほどの変化は見られない。

いい例が『桃太郎』です(明治以降に書き直されたヴァージョン)。

桃太郎は、鬼が島を「征伐」に出かけ、鬼たち(現地住民)との戦いの末、しこたま「お宝」を持って帰る。「お宝」すなわち「貴金属を初めとした鉱物資源」であり、そこには植民地経営などという観点はありません。

日清戦争や日露戦争が自国防衛戦争だと、現代のリヴィジョナリストたちがいくら言っても、当時の日本の外国観・植民地観を考えれば、いくらおまけしたところで被害妄想に基づく過剰防衛としか考えられません。

また、他の列国も植民地支配をしていたのだから、日本だけが責められるいわれはない、とも彼らは言いますが、それは日本の植民地観がグローバル・スタンダードとはかなり異なるものだったという事実を捨象しての物言いでしょう
(日本の朝鮮支配が善政だったという例として、鉄道網の整備や教育の近代化を挙げる人がいるが、これも植民地経営ということを考えれば当たり前のこと。インフラストラクチャーの整備への単なる投資を、「善政」というには当たらない)。

『元素周期表』を読む。

2005-06-24 00:03:59 | Book Review
例の大臣のいる文科省で、新しい表現をした周期表が発表された。

上に挙げたサム・ネイルでもお分かりのとおり、グラフィックな面に相当力を入れている(「美しくかつ豊富な情報を含んだ周期表」と文科省では自画自賛)。
内容的には、それぞれの元素が、どのような身近な科学製品などに使用されているか、をイラストや写真、文章で示していることが目新しいといえよう。つまり、無機的なデータのみではなく、日常生活レベルでの応用分野を示すことで、取っ付きにくい元素に親しみをもたせようということだ(制作は(株)化学同人)。

小生などは、化学の時間に「水(H:水素)兵(He:ヘリウム)リー(Li:リチウム)ベ(Be:ベリリウム)……」と語呂合わせで覚えた方だから、時代は変わったとは思う(ベリリウムがエメラルドの成分なんて知ってました?)。

もっとも、グラフィックのスペースを取った分、文字データ(文章)に舌足らずの部分があるのは、ちょとまずいだろう。ましてや、家に、それを補ってくれるほど知識のある「教師」などはいないのだから。
例)水素 「ロケット燃料、水素電池、燃料電池」:「~に使われている」だろう。
     「DNA二重らせんの水素結合」:どのようにして?
     「水、硫酸、クエン酸、アミノ酸」:「~の構成原子」?
     「診断用のMRI画像化」:どの過程で応用されてるの?

当初、この周期表のことを新聞報道で見たときは、科学技術に偏っているかな、との危惧があったのだが、その辺のバランスは配慮されているようだ。必ずしも、技術分野のみではなく、生物や医学などの分野にも目配りされている。

「一家に1枚『元素周期表』」というのはコピーだろうから、目くじらを立てる必要はないのだが、正直「余計なお世話」と言いたくなるのも確かなこと(表のタイトルは単に「元素周期表」)。ましてや「リビングルームで周期表を見ながら親子で科学のはなし、という状況を創り出し浸透させたい」というのは如何なものか(担当者の熱意は分るんだけれど、どこかずれている「家族観」。「サザエさん」んちじゃあないんだから……)。

それさえなければ、大臣の暴言とは別にして、文科省ひさびさのバント・ヒット(ポテン・ヒット?)と、褒めてあげたのに――小生みたいな〈旋毛曲り〉に褒められたって嬉しかないや、って? ごもっとも(苦笑)。


『元素周期表』
文部科学省
科学技術広報財団が1枚100円で頒布中。
*文科省HPでPDFファイルを
ダウンロード可能。

『動物園の昭和史』を読む。

2005-06-23 00:04:42 | Book Review
レッサーパンダが立った立たないや、それを「見せ物」にすることの是非で大騒ぎしている現在とは、まったく違った時代が、動物園とそこに生きる動物たちにあった。

一番有名なのが、上野動物園の雄のゾウ・トンキーであろう(土屋由岐雄『かわいそうなぞう』で描かれた)。
昭和18(1943)年9月23日、30日間エサを与えられずにやせ衰えたトンキーは、ついに心臓の鼓動を止めた。
それより以前、同年8月17日から21日までの間に、8頭の獣が「処分」されている。
この年、14種類27頭の動物が、あるいは毒殺、あるいは刺殺、あるいは絞殺と、さまざまな方法で殺された。
いわゆる「猛獣処分」である。

昭和16(1941)年8月11日、というから、まだアジア太平洋戦争の開戦以前から、その計画は立てられていた。
「已ムヲ得ザルニ至リテ処置スルモノトスル」
というのが動物園側が、東部軍司令部の要請を受けて、獣医部宛に提出した『動物園非常処置要綱』の一節。

これに基づき、戦況が不利になり、東京への空襲も必至となった時点で、「猛獣処分」が行なわれたのである(「危険動物の空襲時の措置あるいは事前措置」ととらえられていた)。

本書は、その「猛獣処分」の経過を中心にして、「I 戦争が近づきつつあったあのころの動物たち」「II 戦火のかなたに消えていった動物たち」の2章を充て、史料に基づき詳細に記述する。

さて、それでは国内には戦争のない今、動物は平穏に命の危機なく生きているのか、との問いが「III 平和になったのに殺されている動物たち」の章である。
そこでは、今いろいろの論議を呼んでいる動物園のあり方にも触れられている。

現在も、著者が述べているように、根本的に「動物観」や「人間と動物との共存」が、どのような形なら可能かということが問われているのであろう。

「ペットとしての動物に愛着を覚え、癒しを感じる」(川端裕人「かがく批評室」6月21日)向きにも、「野生の動物本来の行動、能力、習性といったものを『野生の尊厳』『生き物のすばらしさ』といった価値観のもとに伝えるべき」(同上)と思っている向きにも、環境問題の一環として動物と人間との共存を考えている向きにも、お勧めしたい書物である。

秋山正美
『動物園の昭和史』
データハウス
定価:1700円(本体1650円)
*初版発行時。現在は1733円
ISBN4887183038


『米朝ばなし 上方落語地図』を読む。

2005-06-22 00:01:40 | Book Review
旧刊書のご紹介です。
今、奥付を見て、20年以上前の書物だということに気づき、びっくりしているところです。考えてみても、どこで何のために買ったのかも記憶がない。
念のために調べてみると、現在は講談社文庫(定価820円)で出てますね。これなら内容紹介する意味がある。絶版になってて古本市場でしか流通されていない本を紹介するほど、小生、意地は悪くない(「こんな本持ってないだろう」って、何か自慢しているようじゃあないですか)。

内容は、タイトルどおり(笑)。この手の本は、江戸落語では何冊もありますが、上方落語では珍しいんじゃあないかしら。やはり、米朝さんのような一種学究肌の人がいないと、こういう本は出ないものです(素人の場合だと、趣味人ね)。

落語に具体性を与えるためには、人物描写だけではなく、地名が必要だというのは時代小説の場合と同じですな。
野暮を承知で言いますと、
「文字其物が既に或意味に於て一種の技巧である。例へば墨田川と云ひ、忍ヶ岡と云ふ。人は此文字を見て、墨田川なり、忍ヶ岡なりの歴史や伝説を連想して、墨田川、忍ヶ岡をさながらに彷彿する。これ文字其物の有する技巧のお陰である」(泉鏡花『ロマンチックと自然主義』)
と指摘があるように古くからの地名には、さまざまなことを連想させる力がある。
「歌枕」などというのも、この力を利用して歌を詠むためのことばの一つでしょう。

ましてや、この本では、京・大坂という、江戸とは比較にならないほどの古くからの地名が多く残っている。
その舞台の上に、人物を登場させるだけで、もうお話は半分出来たようなものです。

一例を挙げれば、伏見中書島といえば「三十石船」。
船頭の船唄が聞こえてくれば、もう話は淀川の上……。
後は、船頭と土手の人や船客との会話をあしらえば、一丁上がり(まあ、実際は、それほど簡単なものではありませんが)。
「会話の合間合間に、船唄が入るという演出が、ここでは繰り返されます。そして、歌いジリに、ボーンとドラを打ち込む。宵から夜中、次第に夜が更けていく感じを、ドラの打ち方で打ち分ける」
よろしゅうおますなあ、とこっちまで関西弁になってくる。
この話、故三遊亭圓生がやっていましたが、今でも江戸落語界でやる人がいるんでしょうか。

同様に江戸落語に入ってきたものでは「初天神」なんてのがある。
これは本場の天満の天神サンでやると、味が違ってくるんでしょうな。
ちなみに、江戸落語では亀戸天神でやる演者が多い。けれども、小生などは、亀戸天神というと「名所江戸百景」にもあるように、藤の花というイメージが強いので、「初天神」には違和感というほどではないにしろ、ちょっと引っかかるところがあります。

ところで、天神サンには銅貨や銀貨をあげなければならないそうですなあ。
へへ、天神サンは紙幣(時平)がお嫌い。
お後がよろしいようで。

桂米朝
『米朝ばなし 上方落語地図』
毎日新聞社
昭和56年8月20日初版発行
定価:2000円


『歴代海軍大将全覧』を読む。

2005-06-21 02:14:21 | Book Review
明治初めの勝海舟(「勝は文官なので、軍人の階級はありません。ただ、日本海軍黎明期の大物なので触れておきましょう」)、西郷従道から、「最後の海軍大将」塚原二四三、井上成美にいたるまで、77人の海軍大将の事跡を述べる。

基本的な立場は、吉田裕氏が『日本人の戦争観』でいう「海軍史観」(アジア太平洋戦争で悪かったのはすべて陸軍で、海軍は開戦に反対していたが、陸軍に引きづられ已むえず戦ったとする)に基づく。
したがって、特色ありとすれば、バランス感覚と歴史感覚ということになるだろう。

その意味で、まず、ポイントとなるのは、軍政畑では山本権兵衛、加藤友三郎、岡田啓介などの評価がどのようであるか、であろう(それに、小生、戦術など、戦いのやり方の評価はできないので)。
山本権兵衛の評価は高いが、その見方は日露戦争開戦を見据えての連合艦隊司令長官の交代(日高壮之丞から東郷平八郎へ)劇へと重点が置かれている。軍政面での評価ということになれば、日清戦争観(当時、海軍大臣官房主事)や日露戦争観についても、触れておくべきであろう。
加藤、岡田の記述に関しては、今はこれを省く。

つぎに問題とすべきは、東郷平八郎の「老害」であろう。日本海海戦についてのみ述べて、このような面に触れていない記述は、バランスを失していると言わざるをえない。
その点に関しては、本書では、
「政府にたいして統帥権干犯を言いつのる加藤寛治軍令部長や末次信正軍令部次長に担がれて、御神輿の鳥になってしまった」
「東郷は戦闘の瞬時の判断は的確なんですが、政治的センスに欠けていた」
と述べ、一通り(スペース上詳しい記述は無理であろう)の判断は加えている。

それでは、今出てきた「艦隊派」=「軍縮条約反対派」の加藤寛治はというと、
「加藤は海軍をまっぷたつに割ってダメにした張本人の一人でした」
「二・二六事件のときは、真崎(甚三郎。陸軍大将)と二人で怪しげな工作をしようとした」
と、歴史感覚を示す。

以上のような例から分るように、とりあえずバランス感覚と歴史感覚のある本とは言えよう。ただし、「海軍史観」のご多分に漏れず、対中国政戦略での海軍の「無能さ」(陸軍の積極的な「悪」に対して)に触れられていないのが物足りない。
スペースの関係を言うならば、不必要な大将についてはデータだけにするなどの処理は可能であったろう。

半藤一利、横山恵一、秦 郁彦、戸高一成
『歴代海軍大将全覧』
中公新書ラクレ(中央公論新社刊)
定価:1300円+税
ISBN4121501772