一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

『昭和史 七つの謎 Part 2』を読む。

2005-03-31 02:06:01 | Book Review
同じく講談社文庫刊『昭和史 七つの謎』の続編。
今回のテーマは、
第1話 東條英機に利用されたゾルゲ事件
第2話 明かされる「大本営発表」の歪みと嘘
第3話 「陸軍中野学校」の真の姿をさぐる
第4話 吉田茂が描いた国家像とは
第5話 昭和天皇に戦争責任はあるか
第6話 「A級戦犯」は戦後なぜ復権したか
第7話 田中角栄は自覚せざる社会主義者か
の7本。

この手の本で最大の売物の一つは、松本清張の『昭和史発掘』にあったように、知られざる事件を明らかにする、という点にあろう。そのような意味からすると、類書があまりないものは、第1話、第6話、第7話くらいであろうか。
特に、第3話に関しては、最近になって新潮文庫から『秘録・陸軍中野学校』(畠山清行著のダイジェスト復刊。保阪氏の編集)、新潮新書から『昭和史発掘幻の特務機関「ヤマ」』(斎藤充功著)などが刊行されている。ということで、さほど新しい事実が発掘されているわけでもないし、新たな視点が提示されているわけでもない。
第7話にしても、小生が目を通したことがないだけで、このような説を述べた書があることを聞いたことはある。
となると、第1話が、最も新しい事実と視点が述べられているということになろうか。

あまり詳しい紹介をすると「ネタバレ」になるので、ここでは要点のみを記す。
第一の問題は、リヒャルト・ゾルゲが「なぜ」昭和16年10月18日に逮捕されねばならなかったか、ということである。ここに、東條内閣成立の鍵の一つがある、とするのが著者の見解。

第二の問題は、中野正剛が「なぜ」自決にまで追い込まれたか、という謎である。
普通、中野が反東條の立場から昭和18年元旦の「朝日新聞」に「戦時宰相論」を書いたことが、東條の逆鱗に触れた、と説明されている。しかし、それだけであっただろうか、というのが著者の見解。
このことについての仮説は、なかなか説得力があり、妥当性もあるように思われる。
本書の最も面白いところかもしれない。

第6話、第7話は、ともにアメリカ政府の意向が背景にあり、というのが、著者の視点(ただし、第7話のメイン・テーマは、田中角栄という特異な政治家の分析なのであり、アメリカ政府の意向が反映されたとするのは、その没落に関してなのであるが)。

以上、簡単に本文の要点のみを書いたが、最後に、本文以上に知的好奇心をそそったのが、巻末の対談(著者と原武史)「宮中祭祀というブラックボックス」だったということを付け加えておこう。

保阪正康
『昭和史 七つの謎 Part 2』
講談社文庫
定価:600円(税別)
ISBN4062749874

『義経伝説と日本人』を読む。

2005-03-30 00:20:00 | Book Review
タイトルだけを見ると、大河ドラマの便乗本とも思われ勝ちであろうが、そこは平凡社新書のこと。そう単純な仕掛けにはなっていない。

「トンデモ本」によくある「義経生存説」あるいは「義経=ジンギスカン説」を生み出した日本人の心性に迫ろうという狙いである。著者は、それを「義経生存説運動」と呼び、心性の歴史として捉えている。
「室町中期から江戸時代へと到る秩序再編期は多数の敗者を生んだ。ここで(中略)不幸感・劣等感が醸成されたと筆者は考える。人間は不幸感・劣等感に浸って生きることのできない存在である。不幸感・劣等感を相殺する対象を必ず求める」(本書第6章「不幸の反動としての義経生存運動」)。
その対象が「判官びいき」に見られる弱い義経だった、というわけだ。
したがって、
「義経生存運動とは、民衆の敗者復活戦であり、自己肥大幻想なのである。絶対多数の敗者である民衆が現実を認めることを拒否し、挫折した弱い義経に己を重ね、義経に想像上のサクセスストーリーを歩かせることで自尊心を満足させていた」(同)
と言う。
そして、このような「義経生存運動」が、日本の歴史と関わりながら、どのように変容していったかが、本書の主な流れとなる。射程は、「判官びいき」の生まれた室町中期から現在まで。

その中でも、小生が一番興味深く読んだのは、小谷部全一郎とその著『成吉思汗ハ義経也』の項目(本書第7章)。この著は、今日の「トンデモ本」のネタ本とも言える。刊行時点(大正13年)までの「義経伝説」の集大成である。その集大成としての価値は金田一京助も認め、次のように評している。
「史論よりは寧ろ、英雄不死伝説の圏内に入る古来の義経伝説の全容の一部を構成する最も典型的、最も入念な文献として、興味あるものである」
また、小谷部は東北の豪族の末裔と信じていたようで、日本史における東北が持つ特別な位置をも考えさせられる(近くは維新時の「朝敵」としての敗北体験。遠くは「異文化圏」としての中央からの蔑視)。そのような意味で、小谷部の言説には、偽書『東日流外三郡史』を作成した某氏の情熱を連想させるものがある。
また、小谷部の著に感動し、大川周明や甘粕正彦が激励の書簡を送っている事実も興味深い。

さて、大河ドラマ(小生は見ていないが)の最後で、義経は見事に死を遂げるのだろうか、それとも……。

森村宗冬
『義経伝説と日本人』
平凡社新書
定価:本体700円(税別)
ISBN4582852599


福沢諭吉の「インジペンデント」

2005-03-29 03:46:10 | Opinion
「子どもといっても、いつまでも子どものままでいるわけではない。やがて成長して一人前の人間になるのだから、小さな時から、できるだけ他人に世話をかけないように、自分でうがいし、顔を洗い、着物も一人で着、足袋も一人で履くように、その他にも自分一人でできることは自分でするのがよい。これを西洋のことばでインジペンデントという」
これは福沢諭吉が、自分の子どもたちに与えたことばである(現代語に意訳)。

福沢にとって「インジペンデント」すなわち独立とは、小はこのような日常茶飯のことから始まり、大は国家のそれに至るものであった。
国家の独立とは何か、という問題はしばらく横へ置くとして、「インジペンデント」のありようというものは、歴史的に見て江戸時代以前(特に平安時代から鎌倉時代にかけて)の武士にとって、命がけのものであった(「一所懸命」の語源といわれる)

なぜなら、開発領主である初期の武士にとって、私有地の独立こそ、自らの全存在基盤であったから。公権力からは、税金の免除(「不輸の権」)や、政治的・行政的介入を排除すること(「不入の権」)を勝ち取ることによって、十全な独立の地を作っていった(逆に言えば、公権力による保護は得られない)。

このような時代の武士は、福沢がいうように、日常茶飯においても自分のことは自分でするよう、子ども時代から叩き込まれていたはずである。ある意味で、福沢の独立論は、西欧の知識を通じての「先祖返り」なのかもしれない。その点では、新渡戸稲造の「武士道」論とは毛色が異なる(新渡戸のそれは、明治国家の国民倫理論)。

このような武士たちの「私」の利害対立を、もっとも公正に調停する機構として期待され、鎌倉幕府が成立したのは言うまでもない。したがって、公正な調停が行われなくなった、と大多数の武士に思われた時に、鎌倉幕府は必然的に崩壊したのである。


さて、話を現代につなげる。
小生が考えているのは、個人の「インジペンデント」がなければ、「公」に関する何ごとも始まらない、ということだ。「公」なるものも「私」なくしては、ありえない。「私」なるものが集まって「公」を形作っているからである。
国民国家成立後、ともすると、その原則が忘れられがちだ。

曰く「公」のためには「私」を犠牲にせよ。実に本末転倒である。
この本末転倒の考え方が、「愛国心」なることばとともに出てくる。「愛」とは「私」の領域にある感情の問題で、「公」が関与すべきものではない。それに、そもそも、国家なる抽象的なものを愛するというというのは、至難の技。
そこで、いろいろな工夫を凝らすことになるのだが……。

象徴としての個人やフェティッシュに託するのも、その一つであろう(近代国家の多くで行われる方法。極端なものは指導者の「個人崇拝」となる)。
曰く、元首を愛せよ、国旗を愛せよ、国歌を愛せよ、……。

客観的な見方をさせないで、ア・プリオリに自国を素晴らしいものと賛美させるのも、その一つ(これを古来「夜郎自大」と言った)。
美しい天然の四季に富んでいるのはこの国だけ、古くからの歴史と伝統に培われた文化を持つ国、……。

対外的な敵勢力(仮想敵国、仮想敵勢力)を提示するのも、その一つ(「内政危機を対外戦争に転化する」)。
奴らは敵だ、奴らを憎め、奴らはこの国を破壊しようとしている、奴らと戦え、奴らを殺せ……。

曰く「公」のために「私」の身命を捧げるのが、最大の価値である。
敵を倒すために身命を捧げた者は神である、軍神を讃えよ、軍神を祀った神社を参拝せよ、……。

しかし、「インジペンデント」していれば、国を愛することも/愛さないことも、個人の選択に任されるべきことである。だから、法律も政令も、「私」に何々を愛せよ、と命令することはできないはず。義務教育で、そのようにしむけることも同様。

福沢の訓戒を出すまでもなく、個人の「インジペンデント」を大事なものとするならば、昨今のこの国のありようが、それと反するものになりつつあることに深く思いを致すべきであろう。

『わが荷風』を読む。

2005-03-29 00:09:45 | Book Review
「玉の井、吉原、浅草、小石川、麻布など――。少年時代から溺読してやまなかった永井荷風ゆかりの地を丹念に踏査し、荷風の人と文学を自らの青春への追憶と重ねて語る。著者の長年の夢を果たした出色の荷風論」
とは、カバー裏のコピー。
と言うと、いわゆる「文学散歩」、松本哉氏の荷風ものを連想するが、そこは野口氏の著書。松本氏のものとは一味も二味も違う。

「文学散歩」(野口氏の言う「紀行のスタイル」)の部分を別にして、まず、テクストの読みが違う。本書は随所に野口氏独自のテクスト・クリティークが表されている。
広い意味で言えば、作品の評価。必ずしも好意的な部分だけではない。贔屓の引き倒しのようなところがないのが、好感の持てるところ。是々非々の絶対評価がかえって小気味よい。

以下、敢えて「非」の部分を引く。
「特に『浮沈』の場合は、そのために作品全体としての迫力がいちじるしく減殺されている。そこまで作品をはこんできて、腰くだけの観を呈している。その上、『浮沈』の日記は『ひかげの花』の書簡にみられるような批判性をまったく欠いている」(本書204ページ。以下引用ページは中公文庫版による)
「『晩酌』などは、往年の荷風の文業を知る者にとって酸鼻のきわみと言いたい思いのする作品である」(本書240ページ)

狭い意味では、雑誌/新聞掲載時のテクストと単行本との異同、そして原稿そのもののと刊行されたものとの異同。
「完全な印刷物となっている現在の流布本では、どの部分が戦前の私家版と流布本との相違点か、専門の学者でもかなりな手間をかけぬかぎり、容易に発見しかねる。それが私の筆写本――戦前の流布本にペン字で書いた削除個所を糊で貼りこんであるものなら、なんの苦もなくわかってしまう」(本書94ページ)。

そして野口氏は、必ずしも初版本が荷風の絶対のテクストとは思っていない。いやそれどころか、発表すらしていない荷風独自の自筆本に鍵があると示している。
吉行淳之介説の、
「彼(荷風)は、戦後はほとんど猥文しか書かなかったのではないか。そして、導入部だけを活字にして発表し、それから後につづく部分、丹念に毛筆で書きつづられた部分は、筐底深く蔵いこまれているのではないか」(本書228ページ)
を引き、具体的な作品に当たっている。

以上のような点からも「出色の荷風論」であることは、間違いがない。

野口富士男
『わが荷風』
中公文庫
定価420円
ISBN412201171X

春の衣替え

2005-03-28 23:32:59 | Information
ホームページ『一風斎の趣味的生活』もすっかり春の衣替え。

 江戸東京に関する歴史・地誌・風俗などの雑学(108本)
 人物評伝(6人)
 クラシカル音楽エッセイ(125本)
 短編小説(18本)

と、春を迎えてより一層の内容充実。

ぜひ一度お立ち寄りください。

『一風斎の趣味的生活』

をクリックしてみてください。

『私の東京地図』を読む。

2005-03-28 00:09:21 | Book Review
昭和24(1949)年刊行の佐多稲子の自伝的小説。
東京の焼け跡を通じて、過去の風景とそれにまつわる《事件》とを描写している。
年代的には、メリヤス工場で働きだした大正6(1917)年頃から、作家として軍慰問にかりだされる昭和17(1942)年頃までが中心。

時代的には、関東大震災以前の東京風景や人物の描写が良い。
きびきびした文章で、感情に流されていないリアリズムが上質である。

「竹屋の渡しを渡ってゆけば、馬道から観音堂の裏手へ出て浅草へは早道なのであったが、私たちは一銭の渡し賃も惜しんで吾妻橋へ回ってゆく。このころの浅草の賑わいは、といってもここ数年来のことを言っているが、無趣味にただ真っ黒な人の行列で埋まる雑踏とちがって、色も香もある、という表現はおかしいが、かき立てられた変調子ではあっても、人と人との声の聞き分けられる賑わいであった」

「お帳場さんは角刈にしてはいるが、色の黒い、将棋の駒のような顔をした男だ。身体つきも野暮ったいが、まだ三十台のむつかしげな表情で動きまわるときはきびきびしてみえ、笑うと白い歯が出て下町の人間の気さくさになる」

「地味だったあぐりさんは、身なりは以前どおり低めなつくりで、赤ん坊のおしめを洗ったりしているけれども、さやさやとした人柄になっていて、ときどきは客の前でも身体をくねらせてはしゃぐ」
など。

また、芥川を中心とした『新思潮』の同人たちや、中野重治(Nという仮名で登場)などの『驢馬』同人の風貌、発言なども興味深い。

「『僕の手は、鶏の足のようだ、と人が言ったよ』 
 と、掌をさし出して、菊池さんや久米さんに言う芥川さんの言葉が私の耳に残る。傍らに畏まって、鯛ちりの鍋の火を見ながら、作家たちの間で取り交わされるそんな何でもない言葉の、そのニュアンスを、私はとらえようとする」
など。

一方、政治活動に引き込まれてから(「婦人戦旗」「働く婦人」への執筆、編集活動の時期)の行動や発言の描写には、制約があってか、以上のようないきいきした表現が失われている感がある。
この小説自体が、さまざまな雑誌に分載されたという事情もあってか、その意味では関東大震災前後の描写を挟んで、別の小説のような雰囲気の相違があり、統一感が損なわれている。

その意味では、小生は前半を評価するが、後半部分には違和感ありとせざるをえない。

佐多稲子
『私の東京地図』
講談社文芸文庫
定価:775円(税込)
ISBN: 4061960520


断わり方いろいろ

2005-03-27 11:53:21 | Essay
「嫌だから嫌だ」
と言って文化勲章を断わったのは、内田百間。
これに対して、
「年金はいくら付くんですかい?」
と質問したのが永井荷風。こちらは、文部省(?)からの答えの金額に不満がなかったのか、素直に受賞している(1952年)。
二人とも一癖も二癖もある爺さんながら、硬軟の違いがあるのが面白い。
とは言え、噂ではなく事実だとすれば、荷風のそれは、ややさもしい感もある。もっとも、荷風の答えも、世間の見る目を意識したポーズという可能性を否定できないが。

百間の師、漱石は、西園寺公望が「雨声会」という会合に文士たちを呼んだ時に、
  時鳥厠半ばに出かねたり
との句を送って出席を断わっている。
どうせ断わるなら、これくらいの芸がほしいところ。

『圓生とパンダが死んだ日』を読む。

2005-03-27 01:39:15 | Book Review
本書より、落語家の人生観、老後、死生観など。

まずは志ん生
ご存知のように、志ん生は1968年10月9日精選落語会の高座を最後に、高座から離れた。
けれども、「志ん生自身、引退したなどという気持は」一切なく、過去の名人上手の「速記本を手許から離さず、目を通すのが日課だったといわれる」。
その志ん生、
「独演会やりてえな」
とうのが、死ぬまでの口癖になっていたという。
*五代目古今亭志ん生 1973年9月2日没。

桂文楽
「久保田万太郎であったか、吉井勇であったか、正確なところは忘れたが、とにかくこのどちらかが、桂文楽に、『文楽さん、長生きも藝のうちだよ』といったというのである。この『長生きも藝のうち』というのは、(中略)長生きしないことには、本当にきわめることのできない、藝というものの奥の深さについて語っている」。
*八代目桂文楽 1971年12月12日没。

林家彦六
三平の死後、彼の父親からあずかっていた正蔵を、遺族に返上。この隠居名を名乗ったが、小生なども、「とんがり正蔵」こと林家正蔵の方がピンとくる)。
「とんがり」というのは、正義感や合理性からきたあだ名で、
「パーティーの誘いなども少なくなかったが、会費制のものは極力出席するようにつとめ、万やむを得ず出席できないときは会費だけ弟子にとどけさせ、『御招待』とあるものはすべて欠席というのも、正蔵流交際法の神髄を見る思いがする」。
*八代目林家正蔵 1982年1月29日没。

この中では、最も若くして亡くなった春風亭柳朝
「見得っぱりで強がりをいうくせに、欲がなく、『こつこつ努力を重ねるべし』といった人生観に最後まで与せず、浅薄なるわが東京っ子の心意気に殉じてしまった」。
*五代目春風亭柳朝 1991年2月7日没。

そして、パンダの死んだ日に亡くなった三遊亭圓生
「地方都市の結婚式場で、小咄に毛のはえたようなはなしをして、去って行った姿勢が、藝人らしくて、圓生のために、よかったという思いがするのだ。人間は、そう簡単に、自分の死に方を選ぶわけにはいかないだけに、なおさらである。しかも、きけば奇しくも自分の誕生日であったというではないか」。
*六代目三遊亭圓生 1979年9月3日没。

皆、懐かしい藝人たちである。合掌。

矢野誠一
『圓生とパンダが死んだ日』
青蛙房
定価 2,060円(本体2,000円)
ISBN4790502740


『世の途中から隠されていること』を読む。

2005-03-26 08:22:57 | Book Review
「著者は、元兵庫県立近代美術館学芸員。現在は東京大学大学院文化資源学研究室助教授。専攻は日本美術史」
などと聞き、かつタイトルが『世の途中から隠されていること』となると、とてつもなく難しい「美学論」の本かと思うでしょう。
でも、以前に同じ著者によって書かれ、一部書評でも好意的に取り上げられた『ハリボテの町』(朝日新聞社刊)となるとどうでしょうか。『世の中の……』は、その『ハリボテ……』のいわば続編です。

著者紹介から引きます。
「見世物、造り物、人形、写真、お城など、美術史のなかからこぼれ落ちたものを丹念にひろいあげ」
紹介し、論じている本です。
何しろ面白がる視線が、ちょっと変った物(この本でいえば、「戦艦三笠」「大船観音」「広島の平和塔=旧凱旋碑」「第一軍戦死者記念碑」等に向けられているのですから、普通の美術史の本になるわけもない。とはいっても、ことさらエキセントリックな論理が立てられたり、結論が出されたりしているわけではない(その点、「トンデモ本」と違うところ)。

従来の美術史で無視されてきた物を通じて、日本人の美意識や、美術に対する社会意識に迫ろうという試み。なかなか面白い視点であり、こちらの想像力をそそります。

例えば、ヴァンドーム広場・アウステルリッツ戦勝記念柱の載せていた銅像が、政権交代に伴って、ローマ皇帝風の衣装を着けたナポレオン像から、アンリ4世像、再度ナポレオン像(今度は軍服姿)に変っていったこと、一方、広島の日露戦争凱旋碑が金鵄を載せたまま戦後は、平和塔となったこと。

これを著者は、こう意味付けます。
「時々の社会に合わせて変えるべき物は、記念碑に付される言葉であった。言葉さえ入れ替えてしまえば、イメージを改変せずに、イメージの意味だけを無効にできると、われわれの社会は信じているからだ」
どうです、いろいろなことを思い浮かべませんか?

これって、「イメージ」より「ことば」の力を信じているようで、実は「ことば」をも粗略にしていることになりはしませんかね。

木下直之
『世の途中から隠されていること』
晶文社
定価:3,990円(税込)
ISBN4794965214


パセリと宗教的タブー

2005-03-25 16:34:14 | Essay
年下の友人と食事をしている時に聞いた話である。

学食でハンバーグ定食を食べ終わると、それを見計らったかのように、西欧系の外国人留学生が声を掛けてきた。何かと思い緊張した耳に入ってきたのは、やや発音がおかしいものの、文法的には正確な日本語での、
「日本人が付け合わせのパセリを残すのは、何か理由があるのか?」
という質問であった。
彼にも理由は分からないものの、何も答えられないのは悔しい。
そこで、宗教上の理由から残すのだ、と自信ありげに答えた。
その留学生、後から聞くところによれば、鈴木大拙と禅の研究に日本にやってきたそうだ。それはどのような宗教観に基づくものか、肉食を禁止するタブーと関係するのか、仏教的なタブーなのか、それとも神道的なタブーなのか、あれやこれやと聞かれて往生したという。

そこまで話し終わった友人は、小生のパセリだけが載った空っぽの皿を見て、こう言った。
「ところで、日本人は、なぜパセリを残すんでしょうかね?」