どうもクラシカル音楽を聴くのに、背景となる《物語》を必要とする人が、まだまだ多いようで……。
昔なら、『月光』ソナタと盲目の少女、といったお話が有名だった。そういったお話を頭に浮かべないと、音楽を聴いて感動することができない(実際は、音楽にではなく、お話に感動しているんですがね)。
「そんな素朴な人、今どき、いないんじゃないの?」
と、お思いか?
けれども、形を変えて存在してるんですね、これが。
現代では、そういったお話を、ドキュメンタリ番組やTVドラマなどが与えてくれている。
一番良い例が、ピアニストのフジ子・ヘミングでしょう。
フジ子・ヘミングの場合、スウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれたために、戦争によってもたらされた数奇な運命、そして、身体の障害を乗り越えて復活したというエピソードが、《物語》の中心になっている(何という通俗的な/消費しやすい《物語》! そう言えば、民放でTVドラマ化もされましたな)。
NHKでドキュメンタリイ番組となってから、CDが売り上げを伸ばしコンサートも満員御礼、という状況を見れば、音楽ではなく、《物語》が必要とされているということが良くお分かりでしょう。
けれど、《物語》を取っ払って音楽だけに限れば、彼女は今では古くさくなったテクニックでピアノを弾く、ミスタッチの多い、ヨーロッパに限らず日本でも、ざらにいる演奏家に過ぎないでしょう。
そういう音楽が本当に好きなら好きで、個人個人の趣味の問題だから、何も申しますまい。けれども、マスコミが中心になって作り上げられた《物語》を消費するかのように音楽を聴くのなら……。
ましてや、彼らの音楽がCD化されることによって、本当に実力のある若手が、自分の演奏を発表する機会を奪われるとすれば、いかがお考えになるか?
要は、《物語》に頼るのではなく、ご自分の耳で音楽を聴いていただきたい、ということです。まあ、自戒のことばでもあるのですけれどね。
昔なら、『月光』ソナタと盲目の少女、といったお話が有名だった。そういったお話を頭に浮かべないと、音楽を聴いて感動することができない(実際は、音楽にではなく、お話に感動しているんですがね)。
「そんな素朴な人、今どき、いないんじゃないの?」
と、お思いか?
けれども、形を変えて存在してるんですね、これが。
現代では、そういったお話を、ドキュメンタリ番組やTVドラマなどが与えてくれている。
一番良い例が、ピアニストのフジ子・ヘミングでしょう。
フジ子・ヘミングの場合、スウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれたために、戦争によってもたらされた数奇な運命、そして、身体の障害を乗り越えて復活したというエピソードが、《物語》の中心になっている(何という通俗的な/消費しやすい《物語》! そう言えば、民放でTVドラマ化もされましたな)。
NHKでドキュメンタリイ番組となってから、CDが売り上げを伸ばしコンサートも満員御礼、という状況を見れば、音楽ではなく、《物語》が必要とされているということが良くお分かりでしょう。
けれど、《物語》を取っ払って音楽だけに限れば、彼女は今では古くさくなったテクニックでピアノを弾く、ミスタッチの多い、ヨーロッパに限らず日本でも、ざらにいる演奏家に過ぎないでしょう。
そういう音楽が本当に好きなら好きで、個人個人の趣味の問題だから、何も申しますまい。けれども、マスコミが中心になって作り上げられた《物語》を消費するかのように音楽を聴くのなら……。
ましてや、彼らの音楽がCD化されることによって、本当に実力のある若手が、自分の演奏を発表する機会を奪われるとすれば、いかがお考えになるか?
要は、《物語》に頼るのではなく、ご自分の耳で音楽を聴いていただきたい、ということです。まあ、自戒のことばでもあるのですけれどね。