「虚実皮膜の間」ということばを思い出させる戦記小説です。
近松のこのことばには、いくつか解釈がありうるでしょうが、ここでは単純にフィクション(=創作)と歴史的事実の間を縫って作り上げた作品、というような意味で使っておきます。
それでは歴史的事実とは……。
本作で登場する潜水艦〈海大VI型a〉「伊百六十八潜」は、実在の潜水艦です。
手持の資料『写真集 日本の潜水艦』(光人社刊)によれば、「伊百六十八潜」は次のような潜水艦です。
また、その内面描写はともかくとして、艦長田辺弥八も実在の人物です(先任将校以下の乗員については不明)。
さて、そういったことで、ストーリーのアウトラインは、実際の戦闘経過を描いています(『証言 ミッドウェイ海戦』あり)。
しかし、それを支える潜水艦のディテイルは、必ずしも記録の通りではないかもしれません。しかし、潜水艦の航海において、まず日常ありうることを述べているのでしょうから、必ずしも「嘘」とは言えないわけです。
この辺から、「虚実皮膜の間」が始まってきます。
特に、潜水艦乗りの心理・心情については、著者はいろいろと調べたことでしょう。しかし、個々の潜水艦、個々の乗員に関しての記録があるとは限りません。
ましてや「伊百六十八潜」は、昭和18年7月27日(ミッドウェイ海戦のほぼ1年後)に、消息不明となっているのですから(米軍の発表によれば、同日米潜水艦〈スキャプ〉の攻撃により沈没)。
そこを、いかに必然性・蓋然性(=いかにもあり得ること)のある描写で埋めていくかに、著者の腕が掛かってくるのです。人によっては、その工夫を「嘘へのコーティングのしかた」と言いますが。
そのようなフィクションでの充填のしかたには、なかなかの腕前が見受けられます。
例えば、本田学三等兵曹の森口佳乃への淡い恋情などは、おそらくフィクションでしょう。たとえ、それが事実だとしても、彼女の写真を同室の吉本宏二等兵曹に見せるなどというエピソードは、作者のフィクションとしか考えられません。
そのようなエピソード群と歴史的事実を織り交ぜながら、淡々と戦闘状況を描いていくのが本作品です。
そこに、上層部の安易な作戦の破綻によって、過酷な運命に巻込まれていく「伊百六十八潜」とその乗員との上に、シンボリックな意味が浮き上がってきます。
やはり、この手の作品は、声高にメッセージを語らない方がよろしいようです。
池上司(いけがみ・つかさ)
『ミッドウェイの刺客』
文春文庫
定価:630円 (税込)
ISBN978-4167206031
近松のこのことばには、いくつか解釈がありうるでしょうが、ここでは単純にフィクション(=創作)と歴史的事実の間を縫って作り上げた作品、というような意味で使っておきます。
それでは歴史的事実とは……。
本作で登場する潜水艦〈海大VI型a〉「伊百六十八潜」は、実在の潜水艦です。
手持の資料『写真集 日本の潜水艦』(光人社刊)によれば、「伊百六十八潜」は次のような潜水艦です。
「開戦時、ハワイ作戦に参加し、(昭和)17年6月7日、ミッドウェー海戦において空母ヨークタウン、駆逐艦ハンマンを撃沈した。」このミッドウェイ海戦での戦いに巻込まれた潜水艦の戦いと、その乗員の心情を描いたのが、本作品です。「巻込まれた」というのは、本来の任務が「敵情の偵察」で、海軍上層部の作戦破綻により、止むなく敵艦との戦闘になってしまったからです。
また、その内面描写はともかくとして、艦長田辺弥八も実在の人物です(先任将校以下の乗員については不明)。
さて、そういったことで、ストーリーのアウトラインは、実際の戦闘経過を描いています(『証言 ミッドウェイ海戦』あり)。
しかし、それを支える潜水艦のディテイルは、必ずしも記録の通りではないかもしれません。しかし、潜水艦の航海において、まず日常ありうることを述べているのでしょうから、必ずしも「嘘」とは言えないわけです。
この辺から、「虚実皮膜の間」が始まってきます。
特に、潜水艦乗りの心理・心情については、著者はいろいろと調べたことでしょう。しかし、個々の潜水艦、個々の乗員に関しての記録があるとは限りません。
ましてや「伊百六十八潜」は、昭和18年7月27日(ミッドウェイ海戦のほぼ1年後)に、消息不明となっているのですから(米軍の発表によれば、同日米潜水艦〈スキャプ〉の攻撃により沈没)。
そこを、いかに必然性・蓋然性(=いかにもあり得ること)のある描写で埋めていくかに、著者の腕が掛かってくるのです。人によっては、その工夫を「嘘へのコーティングのしかた」と言いますが。
そのようなフィクションでの充填のしかたには、なかなかの腕前が見受けられます。
例えば、本田学三等兵曹の森口佳乃への淡い恋情などは、おそらくフィクションでしょう。たとえ、それが事実だとしても、彼女の写真を同室の吉本宏二等兵曹に見せるなどというエピソードは、作者のフィクションとしか考えられません。
そのようなエピソード群と歴史的事実を織り交ぜながら、淡々と戦闘状況を描いていくのが本作品です。
そこに、上層部の安易な作戦の破綻によって、過酷な運命に巻込まれていく「伊百六十八潜」とその乗員との上に、シンボリックな意味が浮き上がってきます。
やはり、この手の作品は、声高にメッセージを語らない方がよろしいようです。
池上司(いけがみ・つかさ)
『ミッドウェイの刺客』
文春文庫
定価:630円 (税込)
ISBN978-4167206031