一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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近代天皇制における権威と権力 その4

2006-03-05 06:22:46 | Essay
徳川慶喜(1837 - 1913)

「天皇の権威」を実感していたのは、まず将軍である。
ことに徳川慶喜は、徳川斉昭の実子(七男)。水戸学を通じて、「天皇の権威」に関して知るところは、他の大名より深かったものと思われる。

慶喜にとって、天朝に反逆するということは、軍事上の問題ではなく、倫理上の問題であった。
というのは、
(神道学説によれば)「神というものの一切が、道徳の体現者、あるいは道徳の目標としてとらえられていることを意味する。天照大神は、理を体現した完全な道徳的存在者、すなわち聖人に比せられる。天照大神を頂点とする日本は、道徳の実現をめざす修養の世界であり、神代神話は道徳教説の体系として読まれる」(菅野覚明『神道の逆襲』)
からである。

したがって、幕府軍は軍事上の優位があったにもかかわらず、慶喜は密かに大坂城を脱出し、江戸に帰還してからは、ひたすら謹慎の態度を取るに到ったのである。
「錦旗」の威力は、一般の幕府軍将兵に対してではなく、幕府軍総指揮官である慶喜に対して、最も有効に働いたといってよいだろう。
「慶喜という人物は、父の斉昭から絶対朝廷にそむいてはならないということを懇々と言われて成長した。従って、錦の御旗が出て朝敵になったということで、非常なショックをうける。そこで小姓に化けて城を出、兵庫沖から軍艦に乗って江戸は逃げ帰る。しかし、いかなる理由があったとしても、総大将のいない戦争に勝利はない。ここで大勢は決定的となった。」(小島慶三『戊辰戦争から西南戦争へ』)

西日本の諸藩は、新政府支持を打ち出し、その軍事力をもって江戸に攻め上る。また大坂の経済力も新政府軍のものとなり、新政府は、より一層の財政事情の好転を見るのである。