著者の戦争体験を描いたノン・フィクションの代表作『ボクラ少国民』の番外編、あるいは音楽編。
お若い方のために、念のために言っておくと、「少国民」とは「少年・少女」の戦争中の言い換え語です。低年齢ではあっても、大日本帝国の皇国民としての自覚をもて、という意図から作られた用語。
その少国民の一人であった著者が、どのような音楽体験をしてきたかを、実際の歌に即して語っていく作品です。
その歌を一言で表すと「戦争応援歌」となる。
つまりは、
軍歌は、ことさら「少国民」のために作られたわけではないので省くとして、国民学校*の教科書での歌から。
「一 日本 よい 国、
きよい 国。
世界に 一つの
神の 国。
二 日本 よい 国、
強い 国。
世界に かがやく
えらい 国。」
といった歌『日本』が、教科書に掲載されていたわけです。
この歌の意図は、教師用「指導要旨」によれば、
そういえば、以前に「日本は天皇を中心とする神の国」と言った総理大臣がいましたが、彼は1936(昭和12)年生まれ。国民学校でこれを歌った世代になります。
初等教育での刷り込みが、いかに骨がらみで行なわれたかを実証する一例でありましょう。
本書では、このほかに、『無言のがいせん』『三勇士』『大東亜』『肇国の歌』などの学校での教材となったもののほかに、『英国東洋艦隊潰滅』『大東亜決戦の歌』『空襲なんぞ恐るべき』などが取り上げられています。
以上、ごく一部をご紹介しましたが、学校教育のみならず、音楽生活そのものが、戦争遂行に方向付けられていったことが、著者の体験上から詳細に語られているのが本書です。
山中恒(やまなか・ひさし)
『ボクラ少国民と戦争応援歌』
音楽之友社
定価:本体2,000円(税抜)
ISBN4276212820
*1985年初版発行。現在は朝日文庫版 (ISBN4022605723)、またはCD付きでクリエイティブ21版(ISBN4906559107) あり。
お若い方のために、念のために言っておくと、「少国民」とは「少年・少女」の戦争中の言い換え語です。低年齢ではあっても、大日本帝国の皇国民としての自覚をもて、という意図から作られた用語。
その少国民の一人であった著者が、どのような音楽体験をしてきたかを、実際の歌に即して語っていく作品です。
その歌を一言で表すと「戦争応援歌」となる。
つまりは、
「そのごく一部を除いては、ほとんどがまさに、お国のための『死の応援歌』であり、聖戦の名のもとの侵略『戦争応援歌』であり、しかも、天皇教ファッショの讃美歌であった。」ということです。
軍歌は、ことさら「少国民」のために作られたわけではないので省くとして、国民学校*の教科書での歌から。
*1941(昭和41)年から今までの「尋常小学校」という名称が「国民学校」と代わった。
「それまでの日本の公教育の総集編ともいうべき性質のもので、天皇教ファシズムを根底とした、総力戦体制のための皇国民作りの初等教育学校であった」
「一 日本 よい 国、
きよい 国。
世界に 一つの
神の 国。
二 日本 よい 国、
強い 国。
世界に かがやく
えらい 国。」
といった歌『日本』が、教科書に掲載されていたわけです。
この歌の意図は、教師用「指導要旨」によれば、
「要するに国民精神の昂揚といふこと、情操的に国民の基礎的錬成といふことに直接深い関係を持つ教材である。この点を中心と考へて指導することが肝要である。」となります。
そういえば、以前に「日本は天皇を中心とする神の国」と言った総理大臣がいましたが、彼は1936(昭和12)年生まれ。国民学校でこれを歌った世代になります。
初等教育での刷り込みが、いかに骨がらみで行なわれたかを実証する一例でありましょう。
本書では、このほかに、『無言のがいせん』『三勇士』『大東亜』『肇国の歌』などの学校での教材となったもののほかに、『英国東洋艦隊潰滅』『大東亜決戦の歌』『空襲なんぞ恐るべき』などが取り上げられています。
以上、ごく一部をご紹介しましたが、学校教育のみならず、音楽生活そのものが、戦争遂行に方向付けられていったことが、著者の体験上から詳細に語られているのが本書です。
山中恒(やまなか・ひさし)
『ボクラ少国民と戦争応援歌』
音楽之友社
定価:本体2,000円(税抜)
ISBN4276212820
*1985年初版発行。現在は朝日文庫版 (ISBN4022605723)、またはCD付きでクリエイティブ21版(ISBN4906559107) あり。