一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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歴史書の文体と小説の文体 その2

2007-11-03 00:48:27 | Criticism
ここで面白いのが、共に同時代の人びとに「国民作家」と呼ばれた吉川英治と司馬遼太郎の文体の相違です。

2人とも歴史小説を書いているわけですが、吉川作品には、第三人称の純客観体(=歴史書の文体)の割合が少ない。
それも例えば、
「官軍は、11月の25日、三河の矢矧(やはぎ)まで来て、はじめて足利勢の抵抗を受けた。
海道の合戦は、この日に始まり、交戦3日後には早やその矢矧川も官軍2万の後方(しりえ)におかれていた。そして序戦にやぶれ去った足利方の先鋒(せんぽう)高ノ師泰(もろやす)は、鷺坂までなだれ退いて、
『残念だが、味方の来援を待つしかない』
とし、初めからおおうべからざる敗勢だった。」(吉川英治『私本太平記』「風花帖」)
というように、会話を含めるなどのヴァリエーションを施しています。

これに対して、司馬作品は、
「かれらは、その後なおアフリカ東岸のマダガスカル島の漁港(ノシベ)にすわりこんだままであった。
繰りかえすと、この遠征艦隊がノシベの泊地に錨を投げこんだのは、1月9日である。その早々、旅順が陥落した(1月2日)というこの艦隊の運命にかかわるニュースを知らされた。」(司馬遼太郎『坂の上の雲』「黄色い煙突」)
と、ほぼ第三人称の純客観体で通しています。

それでは、松本清張の次のような文章はどうでしょうか。
「有朋は朝が早かった。
暗いなかで、洗面所から主人のがらがらと喉を鳴らす嗽(うがい)の音がする。それから書生を呼ぶ。馬に乗りたければ別当を呼ぶ。
槍と馬は一ばん好んだものだった。槍は長州の奇兵隊時代から得意にしたもので、九尺柄を襷(たすき)がけでしごく。座談のときには思わず姿勢がその見構えとなって出てくる。身体を斜めに構えて左手を長く突き出す癖がその現われだった。汗をかくと、全身を冷たい水で拭き上げ、着物を更えさせる。」(松本清張『象徴の設計』)

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