一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『マルチチュード』を読む。「予告編(3)」

2006-03-24 11:27:12 | Book Review
〈帝国〉における戦争は、従来の「国民国家同士の武力衝突」である状態から、
戦争や政治的暴力の状況や性質は必然的に変化している。戦争は今やグローバルで果てしない、全般的現象となりつつある」(「第一部 戦争」)
と著者らは見ます。
しかも、それは「〈帝国〉内部のグローバルな内戦」と呼んでいい性格を持つ。
なぜなら、「国家がもはや有効な主権の単位ではなくなった」からであり、「(内戦の)舞台は今やグローバルに広がっ」たからである。
ここでは「戦争に関する国際法の枠組みはもはや弱体化」してしまっています。
「個々の地域戦争は孤立したものではなく、程度の違いこそあれ、他の戦争地帯や現時点での非戦闘地域とリンクしており、ゆえに大きな連関の一部をなすものとみなされるべきなのだ。これらの戦争の戦闘員が主権を持つと標榜しても、それは控えめにいって疑わしい。彼らはせいぜい、グローバル・システムのさまざまなレベルにある階層秩序のなかでの、相対的な優位を求めて戦っているにすぎない。こうしたグローバルな内戦に対応するには、国際法を超えた新たな枠組みが必要である。」

このような新たな戦争状態が生まれたことによって、次のような結果を生むと著者らは指摘します。

第一は「戦争が空間的にも時間的にも不確定なものとなったこと」である。
例えば「合衆国の指導者が『対テロリズム戦争』を宣言したとき、彼らはそれを世界中に拡大し、何十年、あるいは何世代にもわたって無期限に続けなければならないことを強調した。社会秩序を創造し維持するための戦争に、終りはない。それは継続的で絶え間のない力と暴力の公使が必要なのだ。(中略)こうして今や戦争は、警察活動と潜在的に区別がつかなくなっているのだ。」

第二は「国際関係と国内政治とがますます似通い、混ざり合ってきたことである。
つまり「セキュリティを目的とした軍事活動と警察活動とが渾然一体となることで、国民国家の内側と外側との違いはかつてないほど小さくなっている.」したがって、従来は国外にあると考えられた『敵』と、従来は国内にあるとされた『危険な階級』との区別がどんどんつきにくく」なっているため、「さまざまな形の社会的意義申し立てや抵抗が犯罪とみなされる傾向が実際に強まっている」。

この指摘は、あえて例を挙げるまでもなく、われわれを取り巻く社会情勢の中に、容易に見て取ることができるでしょう。
このような見方からするならば、われわれの日常生活が戦時体制にある、というのも決して言い過ぎや、レトリックではないわけです。

次に指摘されている、新たな戦勝状態から生まれた結果は、「正戦」概念が復活したということです。
これに関しては、紙幅を要するので、「予告編(4)」で改めて。

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