一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『マルチチュード』を読む。[予告編(2)]

2006-03-23 10:05:23 | Book Review
権力秩序がグローバル化によって〈帝国〉(「いまや地球全体を覆い尽くしつつあるばかりか、人びとの生の奥深くまで浸透しつつある」)化した現在、それに抗する民主主義は、どのような可能性があるのか。

それを探ろうとしたのが本書だといえるでしょう。

まず、「マルチチュード」という概念には、そのような問題意識が前提としてあることを押さえておいた方が良い。
「〈帝国〉的権力に抗する特異的かつ集団的な主体を『マルチチュード』と名づけ、その多種多様な力と欲望にもとづくグローバル民主主義の可能性を探ろうと試みた」
わけです。

ここからは、本書の「序 共にある生」に触れながら、ご紹介していった方が分りやすいでしょう(前記座談会は、アップ・トゥ・デイトな話題に逸れていくから)。

まず、著者たちは、「マルチチュード」を「人民(ピープル)・大衆(マス)・労働者階級といった、社会的主体を表すその他の概念から区別」していきます。

まず「人民」なる概念は、人びとの「多様性を統一性へと縮減し、人びとの集まりを単一の同一性とみな」します。
これに対し、「マルチチュード」は、
「異なる文化・人種・民族性・ジェンダー・性的指向性、異なる労働形態、異なる生活様式、異なる世界観、異なる欲望など多岐にわたる。」

「大衆」という概念も、本質的に「差異の欠如」を特徴とします。
「すべての差異は大衆のなかで覆い隠され、かき消されてしまう。人びとのもつさまざまな色合いは薄められ、灰色一色になってしまうのだ。」
「これに対しマルチチュードでは、さまざまな社会的差異はそのまま差異として存在しつづける――鮮やかな色彩はそのままで、したがってマルチチュードという概念が提起する課題は、いかにして社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互いにコミュニケートしつつともに行動することができるのか、ということである。」

それでは、「労働者階級」はどうでしょうか。
「労働者階級」という概念は、
「もっとも狭い意味では工業労働者のみを指し(この場合は農業やサービスその他の部門に従事する労働者から切り離される)、もっとも広い意味ではすべての賃金労働者を指す(この場合は貧者や不払いの家事労働者など、賃金を受け取らないすべての人びとから切り離される)。
これに対してマルチチュードは、包括的で開かれた概念である。」
「今日における生産は、単に経済的な見地からだけでなく、社会的生産(物質的な財の生産のみならず、コミュニケーション・さまざまな関係性・生の形態といった[非物質的な]ものの生産をも含む)という、より一般的な見地から考えられねばならない。」

ここで著者らがモデルとしているのが、「インタ―ネットのような分散型ネットワーク」であるのが興味深いところ。
「その理由は第一に、さまざまな節点(ノード)がすべて互いに異なったまま、ウェブのなかで接続されていること、第二に、ネットワークの外的な境界が開かれているため、常に新しい節点(ノード)や関係性を追加できることである。」

このようなマルチチュードの特徴が明らかになったところで、本書は、〈帝国〉の戦争の問題と、それに抗するネットワーク型運動の問題に入っていきます。

これに関しては、「予告編(3)」へ続きます。

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート
『マルチチュード―〈帝国〉時代の戦争と民主主義(上)(下)』
NHKブックス(日本放送出版協会)
定価:本体1,260円(税別。上下巻とも)
下巻:I SBN4140910429