一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

今日のことば(104) ― J. キーガン

2006-03-06 10:43:25 | Quotation
「もし戦争の起源を紀元前四〇〇〇年とするならば、その後五〇〇〇年の間に戦われた戦争の大部分は、名誉ある人間や高潔な戦士が加わる余地などは、ほとんどないものだった。(中略)実際には、彼ら(=騎士道精神を重んじる騎士たち)はみな、少なくとも数のうえでは、粗暴な一般の兵卒、愚鈍な徴用兵や荒くれた傭兵、獲物を狙って蹴散らし回る騎馬民の群れ、ロングシップを操る海賊などに圧倒されていたのである。」
(『戦争と人間の歴史』)

J. キーガン(John Keegan, 1934 - )
イギリスの軍事史家。ロンドン近郊のクラッパムで、アイルランド系カトリックの家に生まれる。ウィンブルドン・カレッジ、オックスフォード大学バリオル・カレッジを卒業。1960年から1986年まで、サンドハースト陸軍士官学校で教鞭をとる。
その後、デイリー・テレグラフ紙の軍事担当論説員として勤務。
『戦略の歴史 抹殺・征服技術の変遷』『戦争と人間の歴史』など、軍事史に関する著書多数。

キーガンの説く「戦争」に多少なりとも国際的なルールが生まれたのは、近代になってからのことで、大は「開戦法規」(jus ad bellum) から、小はジュネーヴ諸条約に至る国際法が整備されてから。

それ以前の戦争は、「リアリズム」の世界で、例えば「だまし討ちを無自覚に肯定する」(佐伯真一『戦場の精神史』)。「勝利」を最大の価値とする世界に、もし、倫理があったとしても、それは「戦場の倫理」であって、ヤクザの世界にもルールがあるのと同様である。

近代になってすら、国際的なルール違反は絶え間がない。
特に問題になるのは、非戦闘員の殺害であろう。
これは、戦前の日本陸軍刑法ですら(そして多くの国家における陸軍刑法においても)、犯罪とされてきた。ましてや、非戦闘員の大量殺戮においてをや。

「テロリズム」と国家の行なう暴力行為である「戦争」とを区別するものは、唯一「非戦闘員の殺害」を公然と認めているかどうかという一点のみと言っても過言ではない。
その違いすら曖昧になるようなら、もはや「テロリスト」と「軍人」とを区別するものはなくなるのだが。

参考資料 ジョン・キーガン『戦争と人間の歴史 人間はなぜ戦争をするのか?』(刀水書房)