一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

「つむじ曲がり」の効用 その2

2005-09-30 00:00:43 | Essay
『荘子(そうじ)』には、荘子(そうし)本来の言いたいことからかけ離れた部分がないわけではない。
前回述べた「無用の用」などは、その代表例。

結局、テクストから読めるのは、
「見る/考えるレヴェルを上げると、今までのレヴェルでは〈無用〉と思われたものも〈有用〉に変りますよ」
ということで、経営評論家と称する人々が、しばしば述べることと何ら違いがない。

小生が「荘子本来の~」と述べたのは、次のような1節があるからだ。
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志與、不知周也。俄然覺、則遽遽然周也。不知周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。(『荘子 斉物論篇)
(むかし荘周は夢に胡蝶となった。楽しく飛び回る胡蝶であった。心が楽しくて思い通りだったせいか、自分が荘周であることを自覚しなかった。ふと覚醒すると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が夢で胡蝶となっていたのか、胡蝶が夢で荘周となっているのか)
有名な「胡蝶の夢」である。
小生は、このように思う。

絵画でも彫刻でも音楽でも文学でも、その他何でもいい。
藝術にのめり込むと、われわれはこのような心理状態に近づく時が、たとえ一瞬であっても、あるのではないか。その一瞬を求めて、藝術に触れるのではないのか。

そこに「効用」などはあるのか。
「有用/無用」などという区別があるのか。

   百年(ももとせ)は花に宿りて過ぐしてき
   この世は蝶の夢にざりける    大江匡房

以下、続く。

「つむじ曲がり」の効用 その1

2005-09-29 00:02:00 | Essay
  惠子謂荘子曰、子言無用、荘子曰、知無用、而始可與言用矣(『荘子(そうじ)』)
(惠子(けいし)が荘子(そうし)にむかっていった。「あなたの話は(現実離れで)実際の役には立ちませんね。」荘子は答えた。「役に立たない無用ということがよくわかってこそ、はじめて有用について語ることができるのです)
と、荘子が惠子に答えた時から、既に「無用の用」は「より大きな有用性」という概念に掠め取られてしまっている。

荘子は言う。
「いったい大地はどこまでも広々として大きなものだが、人間が使って役立てているのは足でふむその大きさだけです。しかし、そうだからといって、足の寸法にあわせた土地を残して、周囲を黄泉にとどくまで深く掘り下げたとしたら、人はそれでもなおその土地を役に立つ有用な土地だとするでしょうか」
ああ、荘子よ、おまえもか、と言いたくなる。

ましてや、合理主義・能力主義の追及に汲々たる現代人においておや。

エリートばかり集めた営業所はかえって成績が上がらず、1人2人の能力の劣った人間を入れた方が、かえって成績もよくなる、とか、ブナの木は木材としては使えないが、水源資源確保のために役に立つ、とか、所詮は「無用」は「用」のダシとなるか、「無用」の「有用さ」を訴える言説ばかり。

「無用」は「無用」のままで、屹立とした意味がある、という論はないのか。

と他に期待していても仕方がないので、以下、「無用」に関して、いささか考察してみることとする。
題して、「つむじ曲がり」の効用。

本論は次回から。
諸子、刮目して待つべし。

『ラファエル前派の世界』を読む。その4

2005-09-28 00:00:25 | Book Review
▲Dante Gabriel Rossetti "Proserpine"

ラファエル前派の第2世代を形づくるバーン-ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones. 1833 - 1898) とウィリアム・モリス(William Morris. 1834 - 1896) とは、オックスフォード大学の同窓生で、2人ともロセッティの弟子となります。

そのモリスとロセッティとが、共にモデルとした女性が、後にモリスの妻となるジェインでした。
この3人の間の「もつれあう愛と友情の奇妙な三角関係(トライアングル)」を描くのが、本書の第5~6章の中心となります。

ロセッティは、ジェイン以前にも、愛人のファニーをモデルに『ボッカ・バチアータ』を、同じく愛人のアレクサ・ワイルディングをモデルに『モンナ・ヴァンナ』を描いていますが、ジェインを知るようになってからの女性像は、『パンドラ』『ラ・ビア・ド・トロメイ』と、ほとんどが彼女をモデルにしています。
その中でも傑作だと思われるのが、ここに掲載した『プロセルピナ』。
ロセッティがアルコール中毒、薬物中毒になり精神を病みながらも、描き続けていた作品です。

この辺りの詳しい事情は、本書を読んでいただくこととして、モリスはインテリア・デザインの分野で活躍を始めます(後に「近代デザインの父」と呼ばれるようになる)。
一方、バーン・ジョーンズは、ラファエル前派から離れ、
「『芸術のための芸術』という標語に代表される唯美主義の流れと同調し、現実の『物事ではなく想念を描く』と語ったワッツと同じ姿勢で創作に向かうように」
なっていきます。

このようにして、ラファエル前派は、ヨーロッパ全体に大きな影響を与えつつも、20世紀に入ると否定され、忘れられた存在となってしまいます。
「二十世紀現代美術を称揚し、形式の純粋性を追及するあまり、過去の芸術いっさいを駆逐せんばかりの偏向はなはだしいモダニズムの風潮のなかで、いかなる意味でも西欧美術の歴史や伝統と切り離せないラファエル前派は、まさしく恰好の餌食となってしまったのである。」
そして今、ラファエル前派は、再び着目され始めてきています。
本書の著者によれば、
「物質的に豊かになることが至上命題だった時代が過ぎ、『目に見える』力がすべてだった戦争の世紀をくぐりぬけてなお、いっこうに定まらぬ二十一世紀の現代にあって、人間が信ずるに足る最後のものは、やはり『目に見えない』美や愛ではないか」
というわけです。

さて、もう1つ、本書の読みどころは、第7章「もうひとつのラファエル前派」。
ここでは、ロセッティの最初の妻リジー(エリザベス・シダル)を初め、アナ・メアリー・ホーウィットルーシーとキャサリンのブラウン姉妹など、ラファエル前派周辺の女性画家たちに注目しています。
ここでの記述は、ジェンダー・フリーをめぐっての昨今の動きに示唆を与えるものが大いにあるでしょう。

最後に、ラファエル前派が、日本の諸芸術に与えた影響について触れられていないのは、やや物足りないものがある、と指摘して、この書評を終えることとします。

この稿、了。

「現代音楽」を聴く難しさ

2005-09-27 01:09:56 | Criticism
吉田秀和氏は、エッセイ「新音楽への視野」(『吉田秀和全集3』所収)で、
「現代音楽はむずかしいといわれている。旋律らしい旋律がない。古典やロマン派の音楽のように気持のよい、きれいな響きがしなくて、何かわけのわからない、きたない音がするなど、要するに『音楽らしい』ところが少ない」
ことが、とっつきにくいと思わせる原因であると書いている。

それは「慣れ」の問題でもある、と吉田氏は説く。
「昔からある作品(一風斎註・ゲーテの詩、シェイクスピアの演劇、ドストエフスキーの小説、レンブラントの絵、ゴチックの彫刻)はみんななんとなく慣れてしまっている。だからわかるような気がしているだけなのだ」。
けれども、それを本当に「慣れ」の問題に還元できるのか。

現代音楽とは何か、ということはさて置こう。そうしないと、議論が脇道に逸れるばかりで、前に進まない。
ここでは、第2次世界大戦後に作曲された音楽、とザックリした共通認識に留めておきたい。

このような現代音楽に共通する特徴は何か?

吉田氏の前述の文章に基づき、整理すれば、

(1) 旋律らしい旋律がない。
*無調・12音技法・セリエリズムなどなど
(2) 古典やロマン派のように気持のよい、きれいな響きがしない。
*上記の音楽語法による機能和声の否定
(3) わけのわからない、きたない音がする。
*(2)に付け加えるに、新楽器(ミュージック・コンクレートや電子音楽も含む)・新奏法・民族音楽の取入れや組込み
ということになる。

その原因としては、常に作曲家は新しい表現を求めているからだと言えるだろう。
考えるに、背景にあるものは、1つは、芸術の価値がオリジナリティにあると、より強く意識されるようになったということ。もう1つは、聴衆に新しい価値観なり美意識なりを突きつけたいから、ということであろう。
要するに「尖った音楽」がベストという価値観ですな。

従来の音楽観を壊したくない、という態度が、クラシカル音楽の聴衆に根強くあるのは否定できない。
―ー文藝批評の語をもじれば「聴衆反応批評」(lisener-response criticism) における「修辞的な示し方」(rhetorical presentation) を享受する層ということになりますか。
これに対して「尖った音楽」=「弁証法的な示し方」(dialectical presentation) を良しとする層もある、というわけ。

この前者に対して、「慣れれば難解でも何でもなくなりますよ」、という形での啓蒙活動は、ある種の不毛ではないかと思える。

吉田氏が、
「難解だといわれる現代音楽の中にもバッハやモーツァルトよりは、はるかにやさしいものがたくさんある。ただ、その音が新しいので、聴き手の理解がききにくい音のその先にある精神的な内容の問題を考えるところまでとどかないのだ」。
と、いくら「修辞的な示し方」を享受している層に向け発言しても、彼らは言うだろう、おそらくは物理的に音楽が聴けなくなるまで。
「おっしゃりたいことは良く分りました。けれども、私は、自分がこうであってほしいという世界を疑似体験し満足するタイプですから」
と。

啓蒙活動が不毛であるとすれば、どうすれば良いのか?

小生、その根が、学校教育を含めた音楽教育にあると思っているので、まず短期的な戦術は無効であろうかと思う。

では、長期的な戦略は、どの辺にあるのか?

それは、次の機会に。


『ラファエル前派の世界』を読む。その3

2005-09-26 11:11:13 | Book Review
▲John Everett Millais "Ophelia"

以下、本書はジョン・エヴァーレット・ミレイ (John Everett Millais. 1829 - 1896)、ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt. 1827 - 1910)、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ (Dante Gabriel Rossetti. 1828 - 1882) という、〈ラファエル前派兄弟団〉創立メンバーの中心人物について、その足跡を辿っていきます。

詳しくは本書を読んでいただくとして、この3人は「芸術家としてまったく異なる道を突き進むことに」なります。
この事実は、実は〈ラファエル前派兄弟団〉なるものが、それほど強固な集団ではなかったということを裏書きしています。

まず、反アカデミズムという面で、ミレイが、
「一八五三年一一月七日、二十四歳という異例の若さで」「ロイヤル・アカデミー準会員に選出され、あっさりとそれを受けた」
ことによって、〈ラファエル前派兄弟団〉は実質的に消滅することになります。
「結果的にミレイは、年収三万ポンドをほこる国民画家となり、一八九六年の死の直前にはとうとうロイヤル・アカデミー会長にまでのぼりつめた。」

そして、ハントは、〈ラファエル前派兄弟団〉に見切りをつけて、1854年からエジプトとパレスティナに旅立つ。

ロセッティは、
「例の『受胎告知』以来」「依然として自作の公開を拒絶し、しかもあきらかにラファエル前派の理想とは相容れない独自路線を歩みはじめ」
ることになります。

このようにして〈ラファエル前派兄弟団〉は自然消滅、その理念は第2世代のエドワード・コーリー・バーン-ジョーンズ (Edward Coley Burne-Jones. 1833 - 1898) やウィリアム・モリス (William Morris. 1834 - 1896) に受け継がれていくことになるのです。

以下、続く。


センスのない学者と学識のない批評家と

2005-09-26 00:04:56 | Criticism
何世代か前の「~を聴かねばならない」とか「~はこのように聴くべきだ」という言説に対して、「好き/嫌い」「面白い/面白くない」という感覚で判断する傾向が出てきたのは、ある意味で当然のこと。

ただし、1リスナーとしての発言ではなく「評論」となると、それだけではすまないのは明らかである。自らの感覚や感性を基準とする以上、その感覚なり感性なりを客観的に表現できなければ、他人には伝わらないからだ。

単に「分る人には分ればいい」とうそぶいているだけでは、「評論」とはならない。あくまでも「評論」とは、文章によるコミュニケーションの1つ、表現の1手法であるから(今さら、故小林秀雄の名を挙げるまでもあるまい)。そうでなければ、自らの感覚や感性を表すための音楽活動(作曲や演奏)をして、それを伝えなければならない。

あるブログで次のようなことばが紹介されていた。
「センスのない学者と学識のない批評家。これは世の習いである」
と。おっしゃる通り。
小生が述べているのは後者の「学識のない批評家」についてである(ここでは前者については触れないが、「センス」には時代感覚ということ以外に、文章における「藝」も含まれる。最近の学者さんは、読みやすい文章を書くようになってきているが、「藝」のない人がまだ多い)。

映画は、ヴィデオなどコンテンツをパッケージしたメディアが登場したため、知識は豊富になったが、それに伴う歴史的パースペクティヴを持っていない人間も多くなったと言われる(小林信彦のエッセイには、そのような口吻がたびたび洩らされている)。
まあ、それも善し悪しで、通時的(diachronic) に映画を捉えるだけが能ではなく、共時的(synchronic)に考察すると見えてくるものもあるだろう。

音楽に話を戻すと、こちらは100年以上前から、レコードという形でパッケージングされたメディアが登場してきている。

そのために、歴史的パースペクティヴを失ったリスナーが増えたか?
演奏に関しては、そうかもしれない。かえって、相当以前の指揮者や演奏家を範とするマニアが出てきているのは否定できない。
しかし逆に、「音楽史」なるものが昔から記述されているために、その枠からなかなか抜け出せないとも言える。
*従来の「音楽史」は、美学的な「音楽様式史」に偏っているのではないか。むしろ「聴衆史」=「音楽をどのように享受してきたか」のような社会史的見方、あるいは「文化史の1ジャンルとしての音楽史」が必要なのではあるまいか。ごく一部ではあるが、そのような「音楽史」もないわけではない。

つまり、映画とは逆に、通時的に捉えがちで、共時的な見方ができにくいということだ。

というのも、「学識のない批評家」が多いからだろう。
お決まりの「音楽史」に則って発言することは、たやすい。
けれども、共時的な見方をするためには、理論の裏づけなり、オリジナリティが必要になってくる。そこで物を言うのが「学識」。
それが乏しいが故に、ついつい安易な方向での発言をしてしまう。まさしく音楽評論家の怠慢である。
それならば、実作者で筆の立つ人の発言の方が、よっぽど役立つというもの。
幸いにも、故柴田南雄氏、別宮貞雄氏などの著作は、実作の体験を踏まえた理論的記述が多く、いまだに価値を失っていない。

再度繰り返す。
はてさて、音楽批評業界は、このままでいいんだろうかね。

文藝批評と映画批評とのパラレルな関係

2005-09-25 01:02:47 | Criticism
北野圭介『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』を読む(ただし、この本自体は、お勧めできるような出来とは言えないので、書評では扱わない)。
この本を読むと、映画批評は文藝批評から、かなりの方法論を借りているようで、映画ならではの批評の方法論が乏しいような印象を受けた。

たとえば、「前衛的映画解釈理論」なるもの。
「映画に対する分析方法として、『鑑賞者の経験』に考察の軸足を置くもの」と紹介されているが、これはまさしく、「読者反応批評」reader-response criticism に他ならない。

簡単に言えば、文学の表現の仕方には、
(1) 「修辞的な示し方」rhetorical presentation
(2) 「弁証法的な示し方」dialectical presentation

の2種類があるとするもの。
そして(1)は、
「読者がすでにもっている意見を反映し、強化するような方法」
であり、(2)は、
「読者を刺激し、自分で真実を見つけようと挑みかけるようなやり方」
を取る、とする。
「読者反応批評」では、(2)に研究対象としての興味を抱く。

これに対し、「前衛的映画解釈理論」では、文藝批評と異なり、鑑賞者に力点を置いた表現をするが、
(1) 「作品に誘導されるがまま、鑑賞者が自分の欲望を満たすという経験」
であり、「自分がこうであってほしいという世界を疑似体験し満足するタイプの経験」なのだと、説明する。
もう1つのタイプは、
(2)「作品に触発されつつ、自分自身がこれまでもっていた物の見方や世界の見方を変えてくれるような経験」
であり、つまりは「予測される快楽を覆してくれる経験」であり、「無意識の次元までも含めて、従来の感性や思考を刷新する契機となる経験」でもある、とする。

如何でしょうか。
小生には、完全にパラレルな言説だと思えるのですが。

それにしても、映画批評の最前線はまだましな方かもしれない。音楽の世界となると、いまだに個人の感性や審美眼に頼った批評ばかりで、骨董業界とほとんど変りがない(多少ましなところで「伝記的批評」や「歴史的批評」といったところか。そもそも、音楽批評家に、他ジャンルの芸術批評理論を心得ている人が、いかほどいるものか)。

はてさて、音楽批評業界は、このままでいいんだろうかね。

『ラファエル前派の世界』を読む。その2

2005-09-24 15:30:29 | Book Review
▲Dante Gabriel Rossetti "Ecci Ancilla Domini (The Annunciation)"

前回述べたようないきさつで集まったラファエル前派兄弟団ですが、当時の美術界への反撥以外に、共通する特徴として、著者は次のようなものを挙げています。これには評論家ジョン・ラスキンの影響が大きい。

1. 中世への憧憬
「前世紀の産業革命に起因する生産システムの機械化と利便化は、たしかに国民全体の生活水準を底上げすることには成功した。しかし同時に、イギリス社会のあちらこちらに一種のひずみが生じはじめた」
「人びとはいつしか手作りの美と喜びを忘れ、土地と密接に結びついた素朴な生活をも失っていった」
「こうした合理化社会への危機感ないし嫌悪感から、ラスキンの目は否応なく現在から過去の時代へ、とりわけ中世へと向けられるようになっていく。ラスキンにとって中世とは、生産者と消費者が個人として揺るぎない関係を築き、その安定のなかで、世界で唯一無二の作品が生みだされる幸福な時代にほかならなかった」

2. 反アカデミズム
「現実世界の皮相のみを扱い、道徳的ではあっても崇高な精神性の表現にはほど遠い同時代絵画の氾濫に、ラファエル前派の面々が画壇の倦怠をつよく感じていた」
「けっして体制や流行に与しない反主流という芸術家としてのスタンスが、この時期の彼らを『兄弟』として強く結びつけていた」

3. 文学的主題の絵画
「文学作品の視覚化が可能であり、極論すれば文学と絵画のちがいは表現方法の差異でしかない」
ただし、その認識は、ラファエル前派の画家たちだけではなく、「イギリスにおいて事実上ひろく一般に認知されていた」のですが。

4. 緻密な色彩表現

これは、特に彼らが表立って言い表してはいないが、「どう表現すべきかを認識するために、自然を注意深く観察すること」という彼らの目標と関連します。

以上の特徴を見てお分かりのように、彼らの主張は、「ラファエル以前に帰れ」というスローガン以外は、19世紀ロマン主義の思潮そのものでもあります。
ロマン主義においては、「一般に、主観的で感情的なものを強調したばかりでなく、いくつかの特定の主要素をも強調したのである」。
デイヴィッド・G・ヒューズはそう述べて、「主要素」として、「自然」「孤独」「無限で得ることのできないもの」「夜」を挙げています。
それらの要素を示す、具体的な題材は、「超自然的なもの」「時代的にもそして場所としても遠く隔たった彼方のもの、そして、特に、『中世』が好まれている。中世は、ロマン主義者によって非常に理想化され、そこには、善政を行なう統治者、厚徳で幸福な農民、騎士の英雄などが含まれている」
(ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』)と指摘しています。

ことイギリスに限った場合でも、
「ラファエル前派とて、十九世紀ヴィクトリア朝に属した画家の一群であることに代わりはない」
「ラファエル前派の登場をもって、四〇年代に勢いづいた文学的主題の絵画がやがてひとつの完成をみることになると結論づけたほうが正しいくらいである」

ラファエル前派の位置づけが分ったところで、それでは彼らの運動は、どのようにして進展していったのか?

以下、続く。


『ラファエル前派の世界』を読む。その1

2005-09-23 11:07:59 | Book Review
〈ラファエル前派〉って、意外と知られていないのね。
小生手持ちの『カラー版西洋美術史』(高階秀爾監修、美術出版社刊)には、取り扱われていない。19世紀絵画というと、フランス中心の動きになって、イギリスの〈ラファエル前派〉などは傍流扱いなんでしょう。
したがって、日本では、美術史というよりは文学史の方で知られているかもしれない。

例えば、漱石。
芳賀徹氏の『絵画の領分』(朝日新聞社刊)では、
「ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ウィリアム・モリスなど、漱石自身親しんだラファエル前派」
と出てくる。

それでは〈ラファエル前派〉とは、どのようなスクールなのか。

話は、1848年9月に遡ります。
「『ラファエル以前』の絵画の再発見により、ハント、ミレイ(一風斎註:ジョン・エヴァレット)、ロッセティの三人は一様にそれまでの美術教育に対する疑念と不満を噴出させ、イギリス美術界の刷新の必要性を痛感しだした。」
そして、他の仲間を含め「計七名のメンバーで『ラファエル前派兄弟団』を結成」したのが、この年のことでした。
「グループ命名の由来は、ラファエルによって代表される盛期ルネサンスではなく、それ以前の十五世紀イタリア絵画およびフランドル派への讃美と憧憬にあった。」

以下、続く。


斎藤貴子
『ラファエロ前派の世界』
東京書籍
定価:本体2800円+税
ISBN4487800846


『小松崎茂 昭和の東京』を読む。

2005-09-22 10:00:06 | Book Review
小松崎茂という画家を知ってる人はどのくらいいるのかしら。
画家とはいっても、今日のイラストレーター。絵物語やプラモデルのパッケージ、少年雑誌の未来想像図など、独特のタッチで主として少年たちの夢をかき立てたものです。

その小松崎茂が、昭和11(1936)年の東京をスケッチしていたんですね。
そのスケッチと、スケッチを元に描き起こされたカラーの絵。合わせて百数十枚が本書には掲載されています。

こうして見ていくと、東京オリンピックまで、東京のところどころには、まだ戦前の面影が残っていたみたい。
戦後生れの小生でさえ、懐かしく感じられる作品が多々あります。

巻頭、浅草の六区はほとんど変わってしまったけれど、浅草寺の境内や吾妻橋から松屋(外装が現在は違っている)を望む景色などは、戦前と昭和30年代とは、ほとんど同じみたい(地下鉄ストアの塔はなかったけれど)。

現在では、奇妙な高層ビルが建ち、高速道路が走っている吾妻橋の対岸も、小生が覚えている景色と、昭和10年代のそれとは違いがない。
横に広がったアサヒビールの工場と、吾妻橋の北東橋詰にあった工場直営のビアホールは、記憶にあります。

千住のお化け煙突は、いつまで残っていたんだろう。
これも、かなり離れた、京成電車や総武線の鉄橋からも望むことができました。

こうしてみると、街並はすっかり変化してしまったけれど、鉄橋とか駅舎などは、現在でも昭和10年代(ということは、関東大震災後に建築された)の様子をとどめているものが、結構あるのね。

最後に1つだけ。
印象深かったのは、昭和10年代の東京の空が高いということ。
空気が汚れていなかったことと同時に、街並・家並がそれだけ低かったということでしょう。
現在残された写真はモノクロだから、空の色合いや空気感が分らない。しかし、イラストだとそれがはっきり分ります。

東京の町を壊したのは、空襲だけじゃあないね。
高度成長期以降のスクラップ・アンド・ビルドが、いかにすさまじかったかが感覚的につかめます。

ああ、去年の雪、今何処、とレトロスペクティヴな感慨に耽るも良し、当時の歴史(昭和11年といえば、二・二六事件が起きた年です)に思いを馳せるも良し、いろいろな楽しみ方のできる本だと思います。

根本圭助編
『小松崎茂 昭和の東京』
ちくま文庫
定価:本体1000円+税
ISBN4480420991