イスラム史の研究者(山内昌之)と歴史小説家(中村彰彦)とが、幕末の歴史をめぐり論じた対談集。
この手の本の場合、「異色の組合わせ」ということで、従来の定説や常識とはされていることが、思わざる観点から覆される面白さがセールス・ポイントとなることが多い。
けれども、本書の場合、意外にそのような面白さが少ないのが難。
例えば「第一章 徳川官僚の遺産」などは、
実際に対談に登場するのは、川路聖謨、小栗忠順を中心として、杉浦譲、尺振八、福地桜痴、成島柳北など。
川路聖謨は吉村昭の『落日の宴』、小栗忠順は星亮一の『最後の幕臣 小栗上野介』などの小説にも取り上げられ、また、司馬遼太郎の『明治という国家』では小栗を「明治の父」とまで言って、その功績を讃えている。
ということで、この対談で目新しい見解は、ちょっと見受けられない。
徳川官僚の再評価は、この対談を待つまでもなく、近年の大きな傾向なのであるから。
また、旧幕臣の文化面での一つの有り様は、山口昌男『敗者の精神史』に詳述されている。技術系官僚の明治新政府への横滑りではない、屈折した「敗者」としての生き方が興味深い。
このような比較的常識的な「第一章」に比べると、「第二章 徳川斉昭と水戸学」の方が面白いか。
対談者二人ともに、徳川斉昭嫌い、水戸藩嫌いであるためか、歯に絹を着せずに思い切り語っている点が、その面白さの大きな原因。
山内の斉昭評に曰く、
ただ、この章の話題を真面目に言えば、光圀に始まる前期水戸学と、斉昭を中心に形成された後期水戸学とを、きっちり仕分けしていないのが、やや物足りない。
以下、「第三章 薩摩と長州」「第四章 一会桑」「第五章 ふたたび徳川官僚の遺産」と続くが、一、ニ章とほぼ同様。
全体に、もう一つの「明治維新」=「近代化」の可能性を軽視しているのは、小生としては物足りないところ――かろうじて、最終章で
また、そのこととも関連するが、技術系の官僚(=テクノクラート)にとって、その能力はどのような政権であっても活用するのがア・プリオリに「善」とするのは、如何なものであろうか。
山内昌之、中村彰彦
『黒船以降―政治家と官僚の条件』
中央公論新社
定価:1,800 円 (税抜)
ISBN4120036960
この手の本の場合、「異色の組合わせ」ということで、従来の定説や常識とはされていることが、思わざる観点から覆される面白さがセールス・ポイントとなることが多い。
けれども、本書の場合、意外にそのような面白さが少ないのが難。
例えば「第一章 徳川官僚の遺産」などは、
「江戸幕府が開国に踏みきった当時の政権の光と影を分析するとともに、当時ようやく育ってきたキャリア官僚たちについて話し合ってみた」とのことであり、
「初めて外交とは何かという困難なテーマを突きつけられた徳川官僚のなかには、忘れがたい人材も少なからずいたのである」と、「忘れがたい人材」を紹介しているのだが……。
実際に対談に登場するのは、川路聖謨、小栗忠順を中心として、杉浦譲、尺振八、福地桜痴、成島柳北など。
川路聖謨は吉村昭の『落日の宴』、小栗忠順は星亮一の『最後の幕臣 小栗上野介』などの小説にも取り上げられ、また、司馬遼太郎の『明治という国家』では小栗を「明治の父」とまで言って、その功績を讃えている。
ということで、この対談で目新しい見解は、ちょっと見受けられない。
徳川官僚の再評価は、この対談を待つまでもなく、近年の大きな傾向なのであるから。
また、旧幕臣の文化面での一つの有り様は、山口昌男『敗者の精神史』に詳述されている。技術系官僚の明治新政府への横滑りではない、屈折した「敗者」としての生き方が興味深い。
このような比較的常識的な「第一章」に比べると、「第二章 徳川斉昭と水戸学」の方が面白いか。
対談者二人ともに、徳川斉昭嫌い、水戸藩嫌いであるためか、歯に絹を着せずに思い切り語っている点が、その面白さの大きな原因。
山内の斉昭評に曰く、
(阿部正弘に比較して)「斉昭のほうはまず女性にはダメでしょう。男の私から見ても閉口するほど脂ぎっている。しかも獰猛な顔つきだから」政治的にも、
「本当にやることがくさいのですよ」
「斉昭は、機密情報を朝廷に漏らしていく。(中略)不謹慎のきわみですよ。それだけで、政治家としては失格だと思います」と、さんざんな言われようである。
ただ、この章の話題を真面目に言えば、光圀に始まる前期水戸学と、斉昭を中心に形成された後期水戸学とを、きっちり仕分けしていないのが、やや物足りない。
以下、「第三章 薩摩と長州」「第四章 一会桑」「第五章 ふたたび徳川官僚の遺産」と続くが、一、ニ章とほぼ同様。
全体に、もう一つの「明治維新」=「近代化」の可能性を軽視しているのは、小生としては物足りないところ――かろうじて、最終章で
「中規模であっても経済力と国防力をもち、東アジアにおいて独立自尊の国家として文化的にも自立した国に向かう可能性」が述べられているが。
また、そのこととも関連するが、技術系の官僚(=テクノクラート)にとって、その能力はどのような政権であっても活用するのがア・プリオリに「善」とするのは、如何なものであろうか。
山内昌之、中村彰彦
『黒船以降―政治家と官僚の条件』
中央公論新社
定価:1,800 円 (税抜)
ISBN4120036960