一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

江戸のタワー・ジャンパーたち その3

2007-08-31 08:22:55 | History
昭和8(1933)年の「朝日新聞」に次のような記事が掲載されました。
「越来村胡屋の安里家四代の祖が、その弾力を利用して、弓を水平に支柱をとりつけ、弓の上に鳥の翼形のつばさをつけて、これを足で上下に動かして飛行する装置を考案し、泡瀬の海に面した断崖から飛び上がって成功した。」(昭和8〈1933〉年7月30日「朝日新聞」)

おそらく、この記事が、「飛び安里(あさと)」について触れた最初のものではないかと思われます。

2年後の昭和10(1935)年の「沖縄日報」の記事では、「飛び安里」の名まえが出され、より詳しいものになっていますが、本土にまでこの情報は伝わったのでしょうか。
「飛び安里は、西暦1768年尚穆(しょうぼく)王の代、首里鳥堀小村で、安里周当の四男として生まれた。周祥と推定され、さらに花火の名人だったという事実もつきとめた。
飛び安里の子孫が越来 509番地に住んでいた。その安里ゴゼイ(76歳)さんの話では、明治の初年頃、爺さんたちに聞かされてきた話では、先祖に飛行機のような物をつくって、空を飛んだ人がいたことを聞かされていた。ゴゼイさんから五代まえの周祥が、王の恩賞にあずかった程の手柄をたて、空を飛ぶという奇抜なことをやってのけた、というのである。」(昭和10〈1935〉年3月21日「沖縄日報」)

岡山の表具師幸吉が、飛行実験の咎で故郷を追われたのに比較すると、王から恩賞を受けたというのは、当時の沖縄が開明的であったことを思わせます(中国との中継貿易が盛んに行われていた)。
その後、「飛び安里」は飛行実験を繰り返したのかどうか、何も伝ってはいません。

戦後(1960年代)に刊行されて『沖縄風土記全集』第3巻コザ市篇によると、
「周祥は1780年11月10日、13歳のとき元服し、1784年17歳にて築登えに叙せられ、1800年33歳のおり、御蔵筆者となった。安里家は花火師(ひはなじ)安里と呼ばれ、周当、周英、周頭の三代まで、花火師であった。(中略)彼の製作した飛行体は、タコに似た羽ばたきで、高台より飛び、命綱は妻がにぎっていた。飛行地は一説では、越来東方のチカサンムイという、泡瀬を見下す台地というが、安里家は五代目になってから越来に移ってきているので、実際の飛行地は南風原(はえばる)津嘉山からであろう。周祥は1825年、59歳で死去した。」
となっています(南風原町役場HPによると、生年は1765年、没年は1823年)。

現在では、南風原町には「飛び安里初飛翔顕彰碑」とモニュメントが立てられているそうです(初飛行は、1780年と1768年との両説がある)。

江戸のタワー・ジャンパーたち その2

2007-08-30 08:04:22 | History
前回述べた岡山の浮田幸吉は、それなりに名まえが知られています(筒井康隆も『空飛ぶ表具師』という短編を書いているしね)。

初めて飛行実験を試みた岡山市の京橋には、「表具師幸吉の碑」が立てられ、現在でも地元の人にその存在を知らせています。
また、幸吉が晩年を過ごした静岡県磐田市(大見寺に墓がある)では、幸吉に因んだ「紙飛行機大会」などが開かれているようです。

江戸時代は、意外とこのような好奇心と冒険心に満ちた人がいたようで、今回ご紹介するのも、幸吉とほぼ同じ天明年間(1781 - 89)に活動した人。
三河の戸田太郎太夫です。

この人が、幸吉と違ってあまり知られていないのは、おそらく明確な同時代の史料が残されていないからでしょう。
現在われわれが知ることができるのは、明治時代の日本医学界で名をしられたエルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Baeltz, 1849 - 1913) の妻・花が証言を残しているからです。

さて、その証言とは、
「私の血族関係ある三河国宝飯郡御油町の戸田の家の次男に天明年間太郎太夫と申す一奇人がありまして、青年時代は発明に没頭しまして、こんな時代に、飛行機を研究し、御油の海岸に櫓をしつらへ、自ら櫓の上から飛行試験をやって墜落して重傷を負ったということです。また自転車の前身ともいふべき木製の三輪車を作り、それに乗って豊川稲荷に参詣したとのことで、土地の者に非常な変り者とされてゐました。近頃までその飛行機の翼が、つひ物置に保存されてありましたが、鳥を真似たもので、竹で骨組し渋紙で貼り、足を踏むと翼がバタバタ廻るといふ極めて原始的なものであったらしい。兎に角彼は交通発達史上に尖端を切ろうとして、苦心惨憺した人であったが、当時は此の様な研究をする者には非常な圧迫があって流刑の罪にさへ問はれさうな程で、発明とか研究に極度に恐れをなしたものであったさうですが、幸ひに太郎太夫は御油町の旧家で席貸の大元締の倅であったので、此の憂き目は見づに済んだが、親から貰った遺産は全部これ等の研究に使ひ果し、巳むなく豊橋に移って実業に従事したといひます。」(ベルツ博士夫人花子『欧洲大戦当時の独逸』)
というものです。

戸田太郎太夫というのは、花の父方の実家で、東海道御油の宿で戸田屋という宿屋を営んでいました。この証言にある太郎太夫は、その実家の人ということになります(証言では「次男」とありますが、「太郎太夫」というのは、代々の「当主」の名乗り。したがって、花としては、その辺をぼやかしているのではないでしょうか。年代的には曾祖父あたり。祖父の太郎太夫は1887年に死去)。

江戸のタワー・ジャンパーたち その1

2007-08-29 10:42:51 | History
どうやら人間は、昔から、できそうもないことに挑戦してきたようです。

「イカロスの伝説」をみても分かるように、その中でも「空を飛びたい」という欲求は強いようで、伝説だけではなく、多くの人がそれに挑んできたという史料が残されています。

日本人も、決してその例外ではない。
江戸時代にも、かなりの人が飛ぶための実験をしたという記録があります(西洋では、エンジンなしで高いところから飛び降りて、何とか飛行しようとした人たちのことを「タワー・ジャンパー」と呼ぶようです。リリエンタールなどは、その中で成功した部類)。

障子のようなものを背負って、橋の上から飛び降りたという、岡山県の表具師・浮田幸吉(1757 - 1847)の名前は割合に知られています(「鳥人幸吉」「表具師幸吉」とも)。
「機巧  備前岡山表具師幸吉といふもの 一鳩をとらへて其身の軽重羽翼の長短を計り我身のおもさをかけくらべて自ら羽翼を製し 機を設けて胸前にて揉り打ちて飛行す。地より直に飃(あが:実際は「票」ではなく「易」)ることあたはず 屋上よりは(羽)うちていづ。ある夜郊外をかけ廻りて一所野宴するを下し視て もししれる人にやと 近よりて見んとするに 地を近づけば風力よわくなりて思はず落ちたりければその男女おどろきさけびて遁はしりけるあとに 酒肴さはに残りたるを 幸吉あくまで飲くひして また飛さらんとするに 地よりはたち飃りがたきゆえ 羽翼をおさめて歩して帰りける。後に此事あらはれ市尹の庁(=町奉行所)によび出され 人のせぬ事をするは なぐさみといへども一罪なりとて 両翼をとりあげ その住る巷を追放せられて 他の巷にうつしかへられける。一時の笑柄のみなりしかど 珍しき事なればしるす。寛政の前のことなり。」(菅茶山『筆のすさび』)
このほかに、筆田満禾『黄薇野譚』偽天狗編、小島天楽『寓居雑記』、『西山拙斎詩稿』鳥人篇などにも記述があるようです。

竹内小虎『日本航空発達史』によれば、その後、
「追放処分に処せられた幸吉は岡山をさってそれより東海道を静岡に下り、ここに落ちついて、最初は時計の修繕業をはじめ、のち歯医者に転業して栄え、子孫ながく歯科医をつづけたといふ」
とありますが、いかなる思いを抱いて歯医者をしていたのでしょうか。

「笠戸丸」のこと

2007-08-28 08:47:49 | Essay
前回の続きのような、そうでもないような……。

岩城宏之著『音の影』「アルベニス―一秒間のキス」の項目に、なぜか北原ミレイが歌った『石狩挽歌』の話が出てきます(なかにし礼作詞、浜圭介作曲)。
とは言っても、ここでは歌の話ではありません。
歌詞の中に出てくる船のこと。

歌の出だし(「♪ソソーソ、ソソソ、ソソソ、ララドー」)が、「おきを、とおるは、かさとまる」というものなのです。
これ、普通耳にしただけでは意味が分かりません。
小生も、最初は「沖を通るは」までは理解できたのですが、次が意味不明だった。
だから、ちょっと考えて「かさ と まる」すなわち「傘と丸」、そのような紋所を付けた千石船だと解釈した(まあ、船だということは当たっていたのですが)。

それが「傘と丸」ではなく「笠戸丸」だと知った時には驚いた(なぜ知ったのかは、覚えがありません)。

「笠戸丸」は、知る人ぞ知る、有名(?)な船なんですね。
証拠になるかどうか、ウィキペディアにも項目がある(→こちらを参照)。

有名(なことにしておきましょう)な原因は、まず日露戦争でのロシアからの拿捕船であること(1900年イギリス建造。ロシア船名「カザン」)。
日本が入手して「笠戸丸」と改称(「カザン」に音を通わせてある、多分)。

次に有名になったのは、ブラジル移民船として使用されてから。
石川達三の『蒼氓(そうぼう)』(第一回芥川賞受賞作)に描かれた、戦前のブラジル移民ですね(石川自身が1930(昭和5)年に、ブラジルに渡っているから、この時乗ったのは「笠戸丸」だったかもしれない)。
いずれにしても、戦前のブラジル移民の話というと、必ずといっていいほど、この「笠戸丸」が出てくる。

これからが、歌に出てくる世界なのですが、船齢が古くなり、1930年代には魚の加工船に改造されて、北の海で働くことになります。
ですから、『石狩挽歌』に「沖を通るは笠戸丸」という歌詞が出てくるわけですな。

さて、このような船も、1945(昭和20)年の敗戦時に皮肉にも旧ソ連軍によって爆撃を受け沈没、その生命を終えます。45年というのは、船にしては長い生命を保ったものです。

船には、それぞれに様々な生涯があるのですが、「笠戸丸」は、その中でも多様な変転を遂げた船の一つではないでしょうか。

最近の拾い読みから(178) ―『音の影』

2007-08-27 07:21:31 | Book Review
今回のテーマは、ことばによって音楽は伝えられるか、ということになるでしょう。

本書の著者も、
「ベートーヴェンの悲劇的序曲『コリオラン』は、ハ短調である。最初に、Cの音を二小節、弦楽器がユニゾンで強く奏し、それを全オーケストラが四分音符のサブ・ドミナントで断ち切り……。
やはり、やめておこう。
楽譜や音で説明できないので、実にまだろっこしいのだが、要するにこの曲は、しょっちゅう音楽を断ち切るという、劇的な展開の連続で作曲されている、とだけ書く。」
と述べ、別の箇所では、
「指で触ったら音が出る印刷は、発明されないものだろうか。」
とも言っています(まあ、半分冗談でしょうが)。

それでは、ことばによって伝えられる音楽に関する情報とは、どういうことになるでしょうか。

CDの解説書を見れば、お分かりのことでしょう。

一つは、岩城氏の文章の引用にもあったように、「ベートーヴェンの悲劇的序曲『コリオラン』は……」と、音楽展開を文章にしてしまうというもの。

もう一つは、その音楽から受けたものを、感想文的につづるというもの。
その上等なものを、吉田秀和の文章に見ることができます(もっとも、吉田氏の場合は、第一の方法との合わせ技になっているケースが多いのですが)。
「(ベートーヴェンの)『第五交響曲』をきいて、まるで怪物がこちらにむかって歩いてくるような感じをうけた。こう書くと比喩のようにうけとられる恐れがあるが、実際、ここでは〈音楽〉がこちらに向かって歩き出してくるのである。重くて、野蛮な足どりでもって。」(『世界の指揮者』)

そして、以上の二つのケースを諦めて、演奏家や作曲家のエピソードやゴシップを述べるという手段もあります。
本書は、その手段を採っているのね。

しかし、それでも、文章としての「藝」を捨てるわけにはいきません。
まずは、エピソードなりゴシップなりの選択から始まって、それをいかなる構成・文体の文章で読ませていくか、というところまで。

本書では、著者自身の体験を語ったパートが、もっとも出来がいいでしょう。
「アルベニス」の項目の大学時代の恋の話、「メシアン」の項目のメシアンに出会った頃の話など。特に後者は、メシアン作品の本質に触れるものがある。

同様にして、日本人現代作曲家についての記述もほしかったところですが、'06年6月13日の死によって、惜しくも、本書は岩城氏最後の音楽に触れた文章作品となってしまいました。
改めて合掌。

岩城宏之
『音の影』
文春文庫
定価 580 円 (税込)
ISBN978-4167271077

最近の拾い読みから(177) ―『座談会 昭和文学史』

2007-08-26 10:00:12 | Book Review
小生、このシリーズが出た時には、拾い読みしかしていませんでした。
今、つれづれに通読してみると、これが実に面白い。
その面白さを語るのが、今回のテーマとなるでしょう。

おそらく、最初の企画として、柳田泉、勝本清一郎、猪野謙二『座談会 明治・大正文学史』(全6巻。岩波現代文庫)を意識していたと思います。けれども、この『明治・大正』が文芸評論家による分析とすれば、『昭和』はゲストに現役の文学者や、関係者を呼んで発言させているところが、一つのミソでしょう。

第1巻で言えば、「第3章 志賀直哉」における阿川弘之(晩年の弟子だったし、評伝『志賀直哉』の著者でもある)が典型的な事例。
その他、「第2章 谷崎潤一郎と芥川也寸志」では中村真一郎、「第5章 横光利一と川端康成」では川端香男里、保昌正夫など。

したがって、対象となった文学者の「文学」だけではなく、エピソードが入ってくるのも親しめるところ(この点は、伊藤整『日本文壇史』を連想させる)。
この辺りのバランスが、固くもなく、柔らか過ぎもせず、となっているのは、司会役でもある井上ひさし、小森陽一のお手柄でしょう。

もう一つは、定説だけではなく、新たな知見が随所に見られるところ。
小生が弱いところなのですが、「第4章 プロレタリア文学」などは好事例なのではないでしょうか。
例えば、
「小田切(秀雄) (略)プロレタリア文学は、革命運動案内にもなっていたんです。
 井上 そういう意味では、情報小説ともいえますね。
 小森 運動のためのマニュアル本でもあったわけですね。」
これだけだと「思いつき」にすぎないかもしれませんが、その後に、
「井上 (略)一例をあげます。宮本百合子の『舗道』という小説。丸の内の一流会社に勤める女子事務員が主人公ですが、世の中に共産党員というものがいて、なんだかわからないが世の中のために頑張っているらしいことにだんだん気がついてくる。推理小説のような仕立てで、ごくごく身近にいる同僚が活動家らしいとわかってくる。物語性があるのです。文章も、正確でしなやかです。」
などと続くと、説得性が増してくる。

小説好きの方は、そのような面白さのある、本書に一度目を通されてみてはいかがでしょうか。

*なお、これは第2巻に収録されているものですが、「第6章 島崎藤村―『夜明け前』に見る日本の近代」は、文学者の加賀乙彦と歴史家の成田龍一との発言が、噛み合っているようで微妙にずれて、それに加賀が苛立つ部分があり、座談会としても面白いものでした。

井上ひさし、小森陽一
『座談会 昭和文学史』第1巻(全6巻)
集英社
定価 3,675 円 (税込)
ISBN978-4087746471

最近の拾い読みから(176) ―『トンデモ日本史の真相―と学会的偽史学講義』

2007-08-25 07:51:12 | Book Review
「トンデモ」というと理系の言説が注目されますが(「水伝(みずでん)」や「相対性理論は間違っている」など)、文系、特に歴史ものにも多いようです。

その歴史ものの「トンデモ」をあつめて、その「トンデモ」ぶりを楽しもうという趣旨の書物です。
ただ、著者の原田実が、「九州王朝論」の古田武彦の元にいた人物なので、どうしても古代史が話題として多くなるのは、しかたがないでしょう。

それでは、歴史系の「トンデモ」には、どのようなものがあるか。

まあ、有名なところでは、「義経=チンギス・ハーン」説とか、「信長暗殺謀略説」などでしょうか(最近では、ネット上で、「フルベッキ写真」を元に「明治維新はフリーメーソンの陰謀だった」などの言説が盛んなようですが、これらは本書で扱われている)。

この歴史系の「トンデモ」、大きく分けると、偽史偽伝と謀略論になるんじゃないでしょうか。
偽史偽伝の最近の流行は知りませんが、「竹内文書(たけうちもんじょ)」「秀真伝(ほつまづたえ)」などが有名どころで、広い意味では、これに「未来記」や「東日流外三郡史(つがるそとさんぐんし)」「武功夜話」「金史別本(きんしべっぽん)」なんかも入るんじゃないかしら。

小生、前から偽史偽伝そのものより、このようなものを作る人々の動機や心理に興味があったのですが、この本はその趣旨から、それについては少々触れているだけですね。それでも、和田家文書(「東日流外三郡史」もその一部)と朝日新聞の和田シンパ U 記者なる存在について、若干の記述はあります。この辺りは、古田武彦の弟子だった著者の体験が生きていますね。

さて、謀略説に関しては、本書ではあまり触れられていませんが、それは近代史の「トンデモ」への記述が少ないこととも関係しているのでしょう。
というのも、日本近代史については、さまざまの謀略説が多いからです。一番有名なのが、真珠湾攻撃はルーズベルトの謀略に日本海軍がひっかかったからだ、というもの。
もっとも、こういうテーマになると、1冊まるまる使っても足りないかもしれないので、本書では扱わなかったのかもしれませんが。

本書は、ご自分が、どの程度、歴史系「トンデモ」に汚染されているかをチェックするにはいいかもしれません(正直言うと、小生も若干汚染されていました。どの部分かは訊かないでね)。
なお、ルビの間違いが散見されるのは、編集者の責任でしょうが、原田センセーもチェックをしっかりしてよ。

原田実
『トンデモ日本史の真相―と学会的偽史学講義』
文芸社
定価 1,575 円 (税込)
ISBN978-4286027517

なぜかチューバ音楽を聴いてみる。

2007-08-24 07:30:49 | CD Review

LE TUBA ENCHANTEE
JOHN FLETCHER
(KING FIREBIRD COLLECTIOIN KICC-472)


小生、管楽器奏者については詳しくないのですが、このCDで演奏しているジョン・フレッチャーは、かなり有名なチューバ奏者のようですね。
1941年生まれのイギリス人で、かのフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルにも参加していました(PJBE解散後は、ロンドン・ブラスを結成)。しかし、1987年には、脳卒中で急逝しています。

このCDは、『蚤の歌―魔法のテューバ』という邦題で、日本で録音したもの。

前半は、チャイコフスキー(『くるみ割り人形』組曲から小序曲。テューバ四重奏曲版ということですが、フレッチャー1人の多重録音なんでしょうね)、エルガー(『朝の歌』)、ヴァグナー(『タンホイザー』から「夕星の歌」)、ムソルグスキー(「蚤の歌」)、モーツァルト(『フィガロの結婚』より「もう飛ぶまいぞこの蝶々」)といった編曲もの。

まあ、編曲ものもそれなりに面白いのですが、実際の聴き所は、後半のウォルター・ハートレー『無伴奏テューバのための組曲』とパウル・ヒンデミット『テューバとピアノのためのソナタ』、ジェニファー・グラス『テューバとピアノのためのソナティネ』でしょう(W. Hartley は1927年生まれのアメリカ人作曲家。J. Glass については、どのような音楽家なのかデータがありません)。

テューバの音色の多様性を楽しむには、ハートレーの作品が無伴奏なだけに一番でしょうし、20世紀音楽における管楽器のありかたのようなものは、ヒンデミットの作品がよく現しています(1955年作曲)。J. Glass の作品は、おそらくヒンデミットより新しいのではないかと思われます。いわゆる現代音楽に含まれるのでしょう(とは言え、十二音技法的ではない)。

このように、CD後半では三者三様のテューバ音楽が聴けます。
これにヴォーン・ウィリアムズとヴァン・ホルンボー(→こちらを参照)の『テューバ協奏曲』などがあれば、ほぼテューバ音楽の全容が掴めるでしょう。

なぜか、今日(8月23日)は涼しかったので、テューバ音楽となりました。
もし、管楽器の音色を暑苦しく感じる方がいらっしゃったら、ご免なさいであります。

エジプトの古典音楽を聴く。

2007-08-23 07:40:15 | CD Review

world music library
Classical Music of Egypt
(KING)


前回はリュート音楽のご紹介をしましたので、今回は、そのご先祖とでもいうべきウードの演奏を。

エジプトの古典音楽なのですが、さすがにピラミッドが建造された頃の音楽ではありません。
イスラム文化が入ってきてからの音楽なのね。

さて、ウードとは
「アラブ古典音楽で用いられる木製の撥弦楽器。その歴史は古く、ササン朝ペルシャの楽器バルバトがその前身とされる。またウードは、ヨーロッパのリュートの直接の祖先でもある。」(HP "arab-music.com/instruments" より)
そうで、形はジャケット写真にあるとおりです(リュートやギターとは異なりフレットがありません)。

音楽を聴く限りは、アラブ音楽の一種なのでしょうが、このCDでの演奏はいささか哀愁を含んだ旋律で、かなり凝った演奏なのではないでしょうか。
興味深いのは、その手の中に、スペイン風のギターによくあるものが使われていることです("Maqam Kurd" という曲)。
簡単に考えると、イベリア半島がかつてイスラム文化圏だったことの証拠のようにも思えますが、逆に、近年になってからギター演奏の技法がエジプトのウードにも影響を与えた、とも考えられます。
これはどちらなのかは、小生には判断が付きません。

また、このCDには、カーヌーンというチターによく似た楽器による作品が2曲("Maqam Nahawand" "Maqam Hijazkar") とナイという葦笛による作品が1曲("Maqam Saba") 含まれています。

涼しい曲かといえば、必ずしもそうとは言い切れませんが、ともかくエキゾティックな情緒が味わえることは間違いがありません(通俗的なエジプト・イメージではないし、サン-サーンスの『ピアノ協奏曲第5番〈エジプト風〉』のエジプト・イメージでもないけどね)。

悠久のナイルの流れに思いを馳せて、お聴きください。

涼しい音を求めて

2007-08-22 08:12:46 | CD Review

ENGLISH LUTE DUETS
JAKOB LINDBERG - PAUL O'DETTE
FERRABOSCO*DOWLLAND*DANYEL
JOHNSONE*ROBINSON*MARCHANT*NON.
(BIS CD-267)


日本の夏から秋に掛けての涼しげな音は、何になるでしょうか。

まずは谷川を流れる清流の音、そして町中だとかそけき風鈴。
秋になりかけると、蟋蟀、鈴虫などが鳴き出します。

まちがっても、救急車のサイレンなどは、暑くるっしくなるだけ。
今年は、なぜか拙宅の前の国道を走る救急車が多いみたい。まさか、全部が全部熱中症の患者さんだとは思いませんが、その内かなりの割合でいるのじゃないかしら。ご無事なことを祈るのみです。

さて、それでは涼しげな楽器となると、何だと思います?
人によって、さまざまでしょうが、小生は、その一つにリュートを挙げたい。

楽器の構造が単純なだけに、あまり大きな音が出せないこと。
また、オシロスコープに現してみると、きっとあまり複雑でない波形のように思えます。
つまり、耳をそばだてなければ聴き取り難く、かつシンプルな音がする。
そんなところが、涼しげに聞こえる原因ではないかしら(あと、日本の箏や琵琶と同じで、自然音を連想させるところも、大きな理由)。

そこで、今回聴いてみるのが、"ENGLISH LUTE DUETS" というCD。
ヤコブ・リンドベルイとポール・オデット、リュート演奏の巨匠二人のデュエットで、主に17世紀の英国音楽を演奏しています。

このCDには、Alfonso Ferrabosco II (1575 - 1628), John Dowland (1563 - 1626), John Danyel (1564 - 1626), John Johnsone (? - ?), Thomas Robinson (c. 1560 - after 1609?), John Marchant (1588 - 1611) といったマイナーな英国作曲家(ダウランドは有名?)によるリュート音楽のほか、無名氏作曲の作品3曲を含め、全21曲が収録されています。

こうしてまとめて聴いてみると、やはりダウランドの3曲が、飛び抜けて出来がいいようです。ただ、ダウランドの作品は、リズミカルなものが2曲、"Lachrimae" のようなスローでメロウなものは、"Complaint" 一曲のみ、しかも短い曲、というのが残念です。

なお、無名氏の作品 "La Rossignoll" なども、結構面白く聴くことができました。

暑さ凌ぎにリュート音楽などいかが、というお勧めでした。

*この他に、
John Dowland "LACRIMAE, OR SEAVEN TEARES" (BIS CD-315)
"ROBIN IS TO THE GREENWOOD GONE"(NONESUCH 79123) (→こちらを参照)
などもあります(前者はリンドベルイ、後者はオデットの演奏)。