一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

"Songs by Finzi and his Friends"

2007-02-28 19:18:52 | CD Review
前回の記事に対して、ハチャさんからコメントをいただきました。
簡単なデータは、コメント欄に書きましたが、今回は、それよりも多少は詳しいデータを。

まず、Finzi 自身の作品から
  "To a poet" op.13a
の6曲(バリトンの Stephen Roberts の歌唱)。

次に、Finzi の「親友」Robin Milford (1903 - 59) 。彼は、Finzi とだけではなく、ホルストや RVW との交流もあったようです。
その作品が3曲(テノールの Ian Partridge の歌唱)。

続いて、Ernest Farrar (1885 - 1918) の作品が1曲(これも Partridge歌唱)。
彼は友だちというよりは、Finzi 最初の作曲の師です(Farrar は Stanford に作曲を学んだそうですので、Finzi は、Stanford の孫弟子ということになりましょうか)。

Ivor Gurney (1890 - 1937) の作品が3曲続きます。
Gurney は詩人としても知られた人のようで、このアルバムの最後に収められた Finzi の "Oh fair to see" op.13b の4曲目 "Only the wanderer" は、彼の詩作品です。

Harry Gill (1897 - 1987) は、アマチュアの作曲家で、Finzi と交流があった人。このCDでは、彼らの交流圏にあった Percy Dixon (1898 - 1973) の詩歌 "In Memoriam" に曲をつけたものが収録されています。

前述したとおり、このCDの最後も Finzi の作品 "Oh fair to see" op.13b。
7曲からなっており、Ivor Gurney の他、Thomas Hardy, Edmund Blunden などの詩作品に曲が付けられています。

とりあえずデータ紹介だけで、曲に関する感想については、また改めまして。

CDあれこれ

2007-02-27 17:47:17 | CD Review
昨日、外出する機会がありましたので、CDをいろいろと手に入れてきました。
自分で考えても、実に無節操というか、雑食性というか、これといった特徴がない。
とりあえず、順不同でタイトルのみを示しておきます。内容に関しては、いずれご紹介を。
本日は、これらのCDを聴いておりますので、原稿を書くのはちょっとお休みです。

◯クセナキス『プレイヤード』、石井眞木『コンチェルタンテ 作品79』(DENON)
◯Bridge: Piano Music (Naxos)
◯Songs by Finzi and his Friends (helios)
◯Henry Cowell: Instrumental, Chamber and Vocal Music・2 (Naxos)
◯『ふるべゆらゆら 柴田南雄作品集』(fontec)
◯『ヘンデル:フルートのための作品全集』(DENON)


短編小説のエンディングについて

2007-02-26 09:34:52 | Criticism
長編に比べると、短編小説の結末をどうするかには、結構難しいものがあります。

長編小説は、ストーリーや主要人物の運命なりが一先ず完了した、という時点があるのですが、短編の場合には、その一部を切り取った/クローズアップした感があるので、どこをエンディングとするかは、著者の視点がはっきりと現れてくる。
今回は、安部龍太郎の短編集『お吉写真帖』をテクストに、エンディングについて考えてみようという趣向。

古風なエンディング観だと、まるで落語のようなトゥイストの効いた終りを良しとしたようですが、さすがに現在の短編では、そのようなものはあまりありません。
しかし、そのような、ある種鮮やかな結末が上手くいった場合には、それなりのカタルシスが得られるのも確かなようです(クラシカル音楽での「終止形」のようなもの)。

テクストとした短編集には、切れ味の良いエンディングの例はありませんが、思いがけない結末として余韻を残すものとしては、集のタイトルとなった『お吉写真帖』があります。
この短編は、いわゆる「唐人お吉」と、幕末から明治にかけての写真師下岡蓮杖との知られざる交流が描かれ、幕切れは、明治になってからのお吉の生き方を「写真史」の1ページに暗示するものとなっています。

また『適塾青春期』は、長与専斎の適塾時代を描いたもので、青春の喜びと哀感が表された、なかなかの好短編です。
けれども、エンディングという点では、特に工夫があるわけではなく、まあ標準的な出来。

長編の一部としか思えないエンディングのものとしては、西周助(周)のオランダ留学への旅を描いた『オランダ水虫』、加賀の支藩大聖寺藩での幕末の贋金造りの顛末を描いた『贋金一件』があります。
これらは、結末はあってなきがごときもので、まさしくまだまだ続きがある、という感じを抱かせます。

ということで、書く側にとって、なかなかエンディングは難しいもので、上手いアイディアが浮かべば、そこからの逆算で一編が仕立て上がったも同様のところがあります。

さて、本短編集の作者は、どのような経過で、これらの短編を組み立てたのでしょうか。
そんなことも考えながら一冊を読むのも、面白いものではないでしょうか。

安部龍太郎
『お吉写真帖』
文春文庫
定価:650円 (税込)
ISBN978-4167597030

明恵とアッシジの聖フランチェスコ

2007-02-25 08:29:59 | Essay
明恵(みょうえ、1173 - 1232) とほぼ同時代、キリスト教の宗教者にアッシジの聖フランチェスコ(San Francesco d'Assisi, 1182 - 1226)という人がおりました。

この人、やはり明恵と同様に、信仰一途、清貧に暮らし、かつ自然との一体感を抱いた宗教者だったことから、明恵所縁(ゆかり)の栂尾(とがのお)高山寺とアッシジの聖フランチェスコ教会とは、1986年から兄弟教会となっているとのこと。

それより何より、クラシカル音楽好きの方には、リストの『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』やメシアンのオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』で知られているでしょう(明恵にも、島に手紙を書いたというエピソードや、修行中の彼を小鳥や栗鼠が囲んでいる画像が残されている)。

さて、この『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』というお話、出典はおそらく『黄金伝説』(『レゲンダ・アウレア』、"Legenda Aurea")辺りだろうと見当をつけてみたのですが、まだ直接当ってはいません。
ただ、どうやら簡単な伝記が、『黄金伝説』にはあるそうなのですが、そこに「小鳥に説教する……」という件(くだり)があるのかどうか。

少なくとも、このエピソードが、『聖フランシスコの小さな花』"I Fioretti di San Francisco" なる書にあることは、定かなようです。

同様なエピソードを持つ宗教者には、パドバの聖アントニオ(1195 - 1231)という人がおりまして、こちらはマーラーが『子どもの不思議な角笛』で「魚に説教するパドバの聖アントニオ」という形で取り上げている(こちらの出典に関しては、未調査)。

ここで小生、疑問に思うのは、キリスト教の場合、「小鳥」にしろ「魚」にしろ、人間でないものに対して説教をするという行為が、いかなる意味を持つのか、ということです。

仏教の場合だと「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」ということばから分るように、アニミスティックな考えもあるのね。ですから、明恵が、小島や小鳥、栗鼠との一体感を持ったとしても不思議はない。
けれども、反進化論でも分るように、キリスト教では、人間と他の存在との間には、はっきりと一線が画されている。

となると、小鳥や魚に説教した聖人たちは、どうなのでしょうか。聖人になったことから思うに、異端としての考えを持っていたはずがないでしょう。
となると、民衆レベルでの伝説・伝承なのでしょうか(『黄金伝説』は、そのような性格が強い)。それとも、説教はしても、彼ら小動物に伝道しようという意図はなかったのでしょうか。

小生、キリスト教に関して知るところが少ないので、詳しい方からのご教示をいただきたいところであります(リストやマーラーは、作曲するに当って、どう考えていたのでしょうか)。

明恵の歌一首

2007-02-24 12:02:49 | Essay

  あかあかやあかあかあかやあかあかや
  あかあかあかやあかあかや月

明恵(みょうえ、1173 - 1232) の歌なのですが、このような技巧的なのか無技巧なのか判然としない作品は、小生、もっとも苦手とするところ。

無技巧とみる人は、おそらく彼の宗教性と関連づけて捉えるのでしょう。
けれども、明恵は、けっして歌の技巧のない人ではなかった。
というのは、『玉葉集』『風雅和歌集』『新勅撰和歌集』にも、その歌が選ばれていることからも分ります。
ですから、ここでは、技巧的な(あるいは技巧の極北として、前衛にまで到達した)歌として見ることにします。

そうすると、近代以降の詩歌にも通じるものがあることに気付きます。
まず第一に連想するのが、山村暮鳥の『風景』。

  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  いちめんのなのはな
  かすかなるむぎぶえ
  (以下、略)

という例の詩ですな。
繰返しによって広がりを見せるという技法。
どうも、この辺にも、明恵の歌は通じるものがあるような気がします。

もっとも、これが世話にくだけて、

  月々に月見る月は多けれど
  月見る月はこの月の月

という詠み人知らずの歌になると、江戸の臭みがして、今一ついただけないのですが。

「死の不条理さ」を体現する黒旋風・李逵

2007-02-23 10:33:59 | Essay
李逵(りき)というのは、言うまでもなく『水滸伝』の登場人物の一人。
高島俊男の『水滸伝の世界』を引けば、
「李逵は、水滸伝の主要人物のなかで独立の物語を持たぬ数すくない人物の一人である。にもかかわらずわたしは、李逵を、宋江とともに、水滸伝の主人公である、あるいはすくなくとも梁山泊集団の性格を代表する人物であると考えている。
李逵の殺人は枚挙にいとまがない。李逵に殺された人間の数をかぞえることは誰にもできないであろう。彼は、文字通り、手当たり次第に人を殺すからである。」

高島氏の評価はともかく、小生は、この不条理な殺人が、そのまま「死」の不条理を表していると思えるのね。

誰にとっても「死」は不条理であります。
その原因、理由の如何を問わず、
「因果応報がおそらく成り立たないとすれば、死は不条理な強制であり、すべての人間を平等に襲う。」(加藤周一「夕陽妄語」、2月20日付け「朝日新聞」夕刊掲載分より)
のであります。
まあ、その不条理さを納得する/させるために、宗教や藝術が生まれたといってもいいのかもしれない(「あの人が死んだのは、これこれの理由によって必然である」!)。

ですから『水滸伝』というお話のほとんどで、人の死には理由付けがなされています。
林冲の妻は、彼の留守中に高衙から縁談を迫られ首を縊って自死しますし、武松は、金蓮と西門慶を、兄の仇討ちとして殺すのです。

しかし、李逵の場合はそうではない。
まさに「無目的」な殺人なのです。

再び、高島氏の文章を引きます。
「この李逵の殺人(引用者註/第73回での「魔物退治」のエピソード)が、さきに述べた魯達、武松、林冲の殺人とよほど趣きを異にすることは、誰の目にも明白であろう。この殺人には、必然性というものがまるでない。鄭屠のあくどいやりかたに対する魯達の義憤、兄を殺された武松の怒り、妻を奪われ、人生をめちゃくちゃにされた林冲の恨み、といった心理的衝動もない。生命や生活の安泰を賭したリスクもない。といって、若い二人の忍ぶ恋に倫理的憤りをおぼえて二人を殺したのでもない。彼はただ、人を殺すのが好きだから、人を殺すのが楽しいから殺したにすぎない。」
この無目的性は、実に現代的ですね。

なぜ、現代的なのか。
「神の死んだ」現代では、すべての「死」は不条理だからですね。
そこには「死における平等」はあっても、「死における必然性」はない。
現代に生きる私たちは、誰もが、「李逵の殺人」の前に立っている。
そこから、どのような藝術が生まれるのでしょうか(神秘的なる「神」を信じることのできたメシアンは、幸いなるかな)。

高島俊男
『水滸伝の世界』
ちくま文庫
定価:840円 (税込)
ISBN978-4480036865

反面教師としての「天声人語」

2007-02-22 09:34:33 | Essay
「天声人語」といえば、大学入試に問題文として引用されたりして、世の中では「名文」ということになっているようですが、本当にそうでしょうか。

文章には、どのような長さのものであれ、テーマがあります。たとえ、それが「感慨」や「感情」を伝えるものであれ。
けれども、昨今の「天声人語」は、テーマらしきものに直接ストレートなアプローチをする手法は採っていないようです。

むしろ、俳句(正確には連歌)のように、イメージをつなげていって、最後のことばで締める、という方法が多いようなのね。

たとえば、今日(2月22日)付けのそれ。
まずは、南方熊楠のことばから始まり、南方熊楠賞受賞者の話になり、その受賞者が「農薬の乱用を憂」いた人物の一人であることから、レイチェル・カーソンのことばを引き、最後の「結論」――「今年も、春の足音が聞こえている。それが永遠に繰り返されるかどうかは、人間次第だ。」と締めくくる。

おそらく、こういうイメージ連想型の文章が、入試問題作成者の国語教師のお気に入りなんでしょう。
だけど、個々のイメージ自体は、さしたる情報があるわけではない。一知半解の知識や、片言隻句が提示されているだけ。今日のケースでいえば、南方熊楠やレイチェル・カーソンについて、情報の断片が投げ出されている、という感が強い。
だから、どうしても書き手の「知識誇り」といった態度が目立つのね。

しかも皮肉なことに、同じ新聞の「文化欄」では、全国の神社分類に関する記事が載っていて、沖縄県を除く都道府県では和歌山県が最も神社の数が少ない、と結果が報じられている。
なぜ「皮肉なことに」と書いたかといえば、その原因が「明治末に知事の権限で神社が整理され」、それに熊楠が大反対をしたことは良く知られているとおり。その文章の一節が「天声人語」の書き出しに使われている、というわけです。

そっちへ話を持っていけば、一貫したテーマでの文章になったものを、なまじに環境問題に引っぱっていったものだから、このように批判されるはめにもなる。

さて、入試問題に使うのなら、同じ熊楠の文章から話を展開させる、という小論文問題などはいかが。
ちなみに、その文章は以下のようなものです。
「千百年斧斤(ふきん)を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候。」

時代小説の会話文

2007-02-21 13:16:33 | Criticism
以前から何度か、時代小説/歴史小説の会話文について触れてきました。
どうも、会話文の扱いに関しては、2種類の方法があるようです。

というのは、赤木駿介の『天下を汝に-戦国外交の雄・今川氏真』を読んでいた、最初は違和感があったものの、徐々に「これも、ありかな」と思い出してきたからです。

書き出しから会話文です。
「ほんとにおどろきましたな。お聞き及びでしょう、上洛中の信長公のこと。従三位参議というのはまあ致し方ないとしてもですよ、蘭奢待(らんじゃたい)の切り取りを所望したとは……。ただもう、おどろきだけでして」
といった具合。
「所望」などという漢語以外には、特に時代色を感じさせることばは使われていない(もちろん、「信長公」「従三位参議」なんていうのは別よ)。

これは公卿の菊亭春季の科白ですが、これが主人公の夫人となると、
「あなた、珍しいお人が来ましたよ」
「さあ、こっちにお回りなさい」
となってくる。

どうやら、この筆法も、時代色を感じさせる書き方も、芥川龍之介辺りに始まっているんじゃないかしら。

彼の作品の場合、既に2種類の書き様が現れています。
「ところでね、一つ承りたい事があるんだが。」
「何だい、莫迦に改まって。」
「それがさ。今日はふだんとちがって、君が近々に伊豆の何とかいう港から船を出して、女護ケ島へ渡ろうという、その名残りの酒宴だろう。」
「そうさ」
このような書生さん同士の会話のようなのが、戯曲ですが『世之介の話』。
井原西鶴の『好色一代男』を基にしていますから、時代は江戸時代ということになるのですが。

もう一方は『或日の大石内蔵助』。
「引き上げの朝、彼奴に遇った時には、唾を吐きかけても飽き足らぬと思いました。何しろのめのめと我々の前へ面をさらした上に、御本望を遂げられ、大慶の至りなどというのですからな。」
「高田も高田じゃが、小山田庄左衛門などもしようのないたわけ者じゃ。」
「何に致せ、御一同のような忠臣と、一つ御藩に、さような輩がおろうとは、考えられも致しませんな。さればこそ、武士はもとより、町人百姓まで、犬侍の禄盗人のと悪口を申しておるそうでございます。」

いずれにしても、その時代の人びとの会話を直接聞いたわけではないし、口語の資料が多量に残っているわけでもないので、想像で造られた会話ではあるのですが。

その点、幕末期になると、資料も残っているので、結構リアルなものになる。特に、芥川の場合には、下町育ちなので、そのような口調でしゃべっている人もまだいたことでしょう。

例は『お富の貞操』。
「どうも相済みません。あんまり降りが強いもんだから、つい御留守へはいりこみましたがね――何、格別明き巣狙いに宗旨を変えた訳でもないんです。」
「驚かせるよ、ほんとうに。――いくら明き巣狙いじゃあないといったって、図図しいにも程があるじゃないか?」

といった案配で、どちらの書き様を採るかは、完全に著者に方針次第ということでしょうか(読者は読者で、それなりの趣味があるでしょう)。

ちなみに、鳶魚翁は、
「昔の人間の口語を現代語にうつすということについては、随分骨も折っておられるようであが、どうもその人間がそこに現れて来るようにはゆかない。昔の人間の思想なり、心持なりを現すというよりも、作者の現在の心持を現しているもののようにのみ思われる。」(「島崎藤村氏の『夜明け前』)
といっていますが。

最近の拾い読みから(124) ―『大本営が震えた日』

2007-02-20 10:22:21 | Book Review
一言で表せば「太平洋開戦秘話」ということになるだろうか。
「昭和16年12月1日皇居内東一の間で開かれた御前会議において、12月8日対英米蘭開戦の断を天皇が下してから戦端を開くに至るまでの一週間、陸海空軍第一線部隊の極秘行動のすべてを、事実に基づいて再現してみせた作品である。」(本書「解説」より)

開戦司令書を持った参謀が、中国での航空機事故で行方不明になるという「上海号事件」から始まり、日本郵船の客船〈竜田丸〉の12月8日の航海、マレー半島上陸作戦のための大船団の秘匿航海、などなど、エピソードの積み重ねで、太平洋開戦前夜が描かれる。

ただし、元版が1968(昭和43)年刊行と、30年以上も前の作品であるから、構成・文体の面では、吉村作品としては物足りないものがある。
淡々と事実を述べる文体であることに、後の作品と変りはないのだが、視点が日本側のみに置かれているため、平板な印象にもなりかねない(特に「失敗した辻参謀の謀略」でのピプン首相の描き方など)。

それはさておき、私たちは、この戦争がどのような結末を迎えたかを知っているため、「何という無駄な努力を」との徒労感が先立つのであるが、これが仮に勝ち戦であったとすれば、本書に出てきた人びとの行動は、ある種のヒロイックなものとして讃えられるのであろうか。

本書解説(泉三太郎)によれば、
「奇襲による以外に勝算のおぼつかない大作戦を、ハワイからマレー半島にいたる太平洋の各地域で同時進行させるためには、長い準備期間と慎重敏速なスケジュールの消化が要求される。それぞれの現場でときに発生する齟齬を埋めてゆくためには、個々の人間の生命などは、虫けらのように見棄てられてゆく。ばかばかしいほどのエネルギーを結集して進行してゆくこの歴史のドラマの結末が、日本の敗戦で終わることはすでに歴史上の事実となっているだけに、そのむなしさと徒労感が読者の上に重苦しい圧力となって覆いかぶさってくる。目的と結果の不一致は、吉村作品に一貫して流れるモチーフであり、それは作者の無常観とはなれがたく結びついている。」
となるのだが、その無常観は、後期の作品に比して、本書ではやや希薄なのではなかろうか。

むしろ、ビッグ・プロジェクトでの個人の有り様、というものを焦点に置いた作品に読み取れるのだが。

吉村昭
『大本営が震えた日』
新潮文庫
定価:620 円 (税込)
ISBN978-4101117119

「風船爆弾」のこと

2007-02-19 13:58:41 | Essay
「風船は朝陽を浴び、また西陽に反射して、中空に達するまでは幾つもの大きな造花が浮遊したように美しかった。
(中略)
外観からも、まことに物静かな、粛々とした攻撃であった。戦争という残酷な劇のなかにまき込まれている現実からあまりに遠い、大空の飾り物のようであった。敵本国を脅かす唯一の秘密の凶器だが、浮上するにつれて太平洋上空を派手に彩る。
風船爆弾たちは、互いに風のまにまに旅をしようと声をかけあっているように見える。一定の距離、間隔をおいて整然たる秩序をまもり、鮮烈な生物のように駘蕩と集団飛行をしてゆく。
住民たちは見惚れて、見飽きなかった。」(鈴木俊平『風船爆弾』)

妙に「風船爆弾」に惹かれるところがあります。

読者諸兄諸姉は、「風船爆弾」につき先刻ご存知だとは思いますが、老婆心ながら一言。
「風船爆弾」とは、「太平洋戦争末期アメリカ本土爆撃をめざして打ち上げられた」「大きな気球に吊るされた爆弾」(直径約10メートル)で、「高度約1万mを吹く偏西風が強まる11月~3月の期間を利用して、太平洋上8千kmを時速約200km、2~3日で横断してアメリカ本土を攻撃するもの」(埼玉県平和資料館HPより)です。

その材料が、蒟蒻(こんにゃく)糊で張り合わせた和紙、ということから、ローテクなイメージがありますが、「風船爆弾」というアイディア自体は、当時の科学技術を十分に生かしたものなのね。

科学技術という点では、一つに、太平洋上空を吹くジェット気流の発見ということがあります。
高層気象台の初代台長だった大石和三郎が、1926(大正15)年に、観測データを元にしたジェット気流の存在を発表していた。けれども、世界的な注目を得るにはいたらなかったんです。
また、風船爆弾に搭載された耐寒電池や高度維持装置などの開発も、当時のハイテクでありました。

そのローテク材料と科学技術との組合わせという点は、いかにも、この国の近代化を象徴しているようです。

一方のアメリカでは、ハイテクの粋を集め、大量殺戮を狙う原子爆弾の開発が行なわれ、海のこちらでは、限りある資源(物的にも知的にも)を結集して「風船爆弾」が開発された。
実に皮肉なものです。

その両者は、一瞬の「対決劇」を演じています。
「ワシントン州ヤキマ市東方65キロメートルにあるプルトニウム生産のハンフォード工場へ、風船爆弾は不発のまま寒い冬のさ中に舞い落ちていた。
風船爆弾は、ハンフォード工場の送電線にふれてひっかかったまま、無気味に風に揺れた。原子爆弾工場は停電となり、動力が中断して大騒ぎを起こした。原爆工場を狙ったような日本の新兵器の降下であった。偶然であった。
風船爆弾は炸裂しなかった。
しかし原子爆弾の製造は、この出来事で三日間遅延させられていた。」(鈴木、前掲書)

そんな意外なドラマ性も、「風船爆弾」に惹かれるところなのでしょうか。

*「風船爆弾」の模型は、江戸東京博物館や埼玉県平和資料館に、実物はワシントンDCのスミソニアン博物館に展示されてあります。
**なお、吉野 興一『風船爆弾―純国産兵器「ふ号」 の記録』に関しては、こちらを参照。