一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

今日のことば(13) ― 勝海舟

2005-10-31 00:00:17 | Quotation
「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も食わないじゃないか。たとえ日本が勝ってもドーなる。(中略)今日になって兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところとなるくらいのものサ。」
(『氷川清話』)

勝海舟(1823 - 99)
人物の説明は必要もあるまい。
しいて解説するなら、明治維新後の海舟のことであろう。
戊辰戦争後、徳川家の駿府移住に従い静岡住いをしていた海舟は、新政府に呼び出され、海軍大輔、海軍卿兼参議などの官職に就く。
しかし、西南戦争での西郷の自刃を契機に、官職を退き、赤坂元氷川町(現在の港区赤坂六丁目)の自邸で、隠居生活を送る。
海舟の持論は、日清韓三国提携論であり、外債反対論であったから、日清戦争には大反対。上記のような発言になったわけである。

ちなみに、同趣旨の、次のような漢詩も作っている(読み下しは、半藤著による)。
 「隣国兵を交える日 その軍さらに名なし 憐れむべし鶏林の肉 割きてもって魯英に与う」(「鶏林」は朝鮮半島のこと。魯はロシア、英はイギリス)

『氷川清話』は、晩年の海舟がその自邸で、歯に衣着せず語った辛辣な人物評、痛烈な時局批判」を、東京朝日の池辺三山、国民新聞の人見一太郎、東京毎日の島田三郎らが聞き書きしたもの。

参考資料 勝海舟『氷川清話』(江藤淳、松浦玲編、講談社)
     半藤一利『それからの海舟』(筑摩書房)

今日のことば(12) ― P. カザルス

2005-10-30 00:00:20 | Quotation
「私の考えでは、人はもっぱらバッハの宗教的な面に傾倒しすぎている。(中略)もちろんこの巨匠は心から宗教的な精神の持主であって、受難曲や聖歌のなかに、彼はこの感情をもっとも完全で壮麗なかたちに表現しているのだが、私は霊感が彼の作品のすべてではないと主張するのだ。
 私にとっては、バッハはすべての高貴な感情を音楽に移す必然性を感じた詩人なのだ。」

(『カザルスとの対話』)

P. カザルス(Pablo Casals. 1876 - 1973)
スペイン、カタロニア生れのチェリスト。11歳でチェロへの道を志し、バルセロナ市立音楽院に学ぶ。13歳の時に、スペインを訪れたサン-サーンスと出会い、チェロ協奏曲の独奏部分を演奏して、作曲者を感動させたというエピソードがある。
1939年にスペイン内戦が勃発。反フランコ、反ファシストのカザルスは、祖国を去りフランスに亡命する。1945年、第二次世界大戦が終わり、演奏活動を再開するが、各国政府がフランコ独裁政権を容認する政策をとることに反撥、同年11月13日の演奏会を最後にして、演奏活動の停止を宣言。
1950年からはカザルスを音楽監督とするプラド音楽祭が開催されるが、1955年頃からは本拠を母の故郷、プエルト・リコに移し、1959年からは指揮活動を再開する。
1971年にはニュ―・ヨークの国連本部で演奏会を開き、アンコールで初めて『鳥の歌』を演奏する。以後、これが、カザルスのテーマ曲のようになる。
1973年、プエルト・リコの病院で、亡命生活のまま世を去った。

『カザルスとの対話』"Conversations avec Pablo Casals" は、カザルスと親交のあったホセ・マリア・コレドールが、フランスの片田舎にカザルスを訪れて交わした対話録。この巨匠の演奏家・作曲家としての波乱に満ちた足跡、バッハ、ベートーヴェンからワーグナー、現代音楽にいたるまでの彼の音楽観が淡々と語られている。

参考資料 コレドール、佐藤良雄訳『カザルスとの対話』(白水社)

今日のことば(11) ― 桐生政次(悠々)

2005-10-29 00:07:45 | Quotation
「小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎居候も、唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候。」
(「他山の石廃刊の辞」)

桐生政次(悠々)(きりゅう・まさつぐ(ゆうゆう)。 1873 - 1941)
本名は政次、悠々は号。金沢生れのジャーナリスト。28歳の時に入社した「下野新聞」を始め、「大阪毎日新聞」「大阪朝日新聞」「信濃毎日新聞」で論説記者となる。明治末期に「信濃毎日新聞」の主筆となり大胆な論説を書くも、経営陣と対立、「新愛知」に転ずる。昭和3(1928)年、ふたたび「信濃毎日新聞」主筆となる。昭和8(1933)年、陸軍関東防空演習に際して、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」という題の社説で、
「敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落とすこと能わず、その中の二、三のものは、自然に我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。
(中略)断じて敵機を我領土の上空に出現せしめてはならない。
(中略)こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければ、如何にそれが大規模のものであり、又如何に度々それが行われても、実戦には、何等の役にも立たないだろう」
と正論を述べたが、陸軍は激怒、信濃毎日新聞に圧力を掛けた。桐生は、社に迷惑を掛けるのを良しとせず、自ら身を引き、昭和9(1934)年から名古屋で「他山の石」という個人雑誌を発行する。
「他山の石」は、内務省により度重なる発禁・削除処分を受け、ついに昭和16(1941)年、廃刊を決意する。その際、読者に送った最後のメッセージが上記の文章である。

参考資料 保阪正康『昭和史の謎』(朝日新聞社)
     奥住喜重、早乙女勝元『東京を爆撃せよ』(三省堂)

「つむじ曲がり」の効用 その20

2005-10-28 15:01:40 | Essay
▲ Igor Fedorovich Stravinsky (1882 - 1971)

バフチンの言う〈カーニヴァル的世界感覚〉とは、われわれに太古の記憶を呼び戻す。
それは「死と再生」の儀式である。
「冬、大地は死に絶え、すべては枯れはて、不毛になる。しかし、春になれば、緑が萌え、花が咲き、やがて秋の豊穣な実りを約束する。」
ストラヴィンスキーの『春の祭典』について書かれた文章である。

やがて、その儀式が「冬の王」殺しと「春の王」の復活という形態に変化する。
そこには、微妙に現在の体制に対する呪詛めいたものが混在してくる。
「祭りとしての反乱」
「反乱としての祭」
である。

しかし、話を少し先へ進め過ぎたようだ。
ここでは〈カーニヴァル的世界感覚〉が、なぜわれわれに「〈用〉対〈無用〉」を超えた、新たな展望を切り開くのかを語らねばならない。

われわれの〈生〉が、日々の生活の中で「擦り切れ」かけていることを感じない人は幸いである。
大多数の人々の〈生〉は、
「時代・社会・気質・性格などの制約に応じて小さな穴を掘り、その甲羅に似せた日常性の洞穴の中に身を潜めて」(福島章『続 天才の精神分析』)
いるような状態にある。
人によっては、それを「人間疎外」と呼ぶ。

つまりは、
「人間が本来持っていたはずの豊かで広大な『生』を限定化し狭隘化する以前の、人間の自然で完全な姿」
を見失っているのが、われわれの日常なのだ。

それを心理学的なタームで言えば、
「人びとは理性・知性・功利・意識・世俗的現実のみに心を奪われ、自然と肉体にややもすれば背を向け、内なる狂気・不条理・本能・衝動・情念などを抑圧・疎外することによって、自己を『正気』の自己にのみ限定し、狭めてしまったとみることができる。理性の支配するこの『正気』の世界に、『非理性』や『狂気』が姿を現わすのは、現代ではたいてい精神病、神経症、暴力、犯罪といった、きわめて歪めら矮小化された姿においてである。」(福島 前掲書)
ということになる。

以下、続く。

今日のことば(10) ― C. レヴィ-ストロース

2005-10-28 00:00:30 | Quotation
「一つの民族の習俗の総体には常に、或る様式を認めることができる。すなわち、習俗は幾つかの体系を形作っている。私は、こうした体系は無数に存在していないものであり、人間の社会は個人と同じく、遊びにおいても夢においても、さらには錯乱においてさえも、決して完全に新しい創造を行うことはないのだということを教えられた。」
(『悲しき熱帯』)

C. レヴィ-ストロース(Claude Levi-Strauss. 1908 - )
ベルギー、ブリュッセル生れ、フランスの文化人類学者。F. de ソシュール、R. ヤコブソンなどの構造言語学や、M. モースなどのフランス社会学の影響を受ける。ブラジル、アメリカで民族学を研究後、1949年に帰国。社会人類学研究所を創設し、『親族の基本構造』" Les Structures elentaires de la parent?"(1949)などで、「文化の厳密な構造分析方法たる構造主義」の旗手となる。
『悲しき熱帯』"Tristes Tropiques"(1955) は、1930年代に彼がブラジルに滞在し、フィールド・ワークを行なった記録をまとめたもの。

参考資料 C. レヴィ-ストロース、川田順造訳『悲しき熱帯』(中央公論社)

「つむじ曲がり」の効用 その19

2005-10-27 15:10:42 | Essay
▲〈えいじゃないか〉での〈お札降り〉を示す当時の絵。

〈えいじゃないか〉は、従来歴史学者により、否定的な扱いをされてきている。
代表的なものが、経済史学者の土屋喬雄の見解。
「民情にたいする洞察力をもった『勤王派』が、迷信に動かされやすい当時の民衆の心理をとらえて煽動して、王政のありがたさを知らしめたもので、これによって民衆が『ええじゃないか』と、新政を謳歌したものであるとした。」
(藤谷敏雄『〈おかげまいり〉と〈ええじゃないか〉』)

歴史学者、羽仁五郎、遠山茂樹らも、その意味を、
「幕末の百姓一揆などにあらわされた民衆の革命的エネルギーを『低落』し、そらせるための政治的役割を果したものであるとし」、
(藤谷 前掲書)
「あの慶応三年の政治的危機が醸し出す異常な社会的雰囲気の中にあって、いとも簡単に、宗教的エクスタシーと、それをかりての性的倒錯の放埒情態の中に革命的エネルギーを放散せしめてしまったのである」
(遠山茂樹「近世庶民心理の一面」)
とする。

彼らにとって、「性的倒錯」「放埒情態」は、「革命的エネルギー」をそらすもの、とする意識が強いのには驚く (まだしも島崎藤村の方が、フランス人の口を借りてではあるが、多少なりとも事の本質を直覚していた)。
どのような立場であれ、政治的な存在にとっては、彼らのコントロールの効かない社会的行為は、常に「反社会的」であり「反動的」なのである。

しかし、これを一種の〈カーニヴァル〉と見たらどうであろうか。
そこには「〈社会的〉対〈反社会的〉」「〈革新的〉対〈反動的〉」という二項対立すら超越するものがありはしないだろうか。
「家分に応じ、御下りのある家には御造酒として上酒壱樽、あるいは二樽、三樽、または五樽、このころは川崎へん、妙見町(一風斎註・いずれも伊勢の地名)などには家々に右の造酒を、亭主などが商売は皆御下りあると四、五日も休み、ただ表を通る人にのますを仕事に致し、また奉公人などや、娘下女の類は、昼夜鳴物などを打ちたたき、男女老若も町中を大さわぎ、または面におしろいなどをつけ、男が女になり、女が男になり、また顔に墨をぬり、老母が娘になり、いろいろと化物にて大踊り、ただよく(欲)も徳もわすれ、ゑじやないかとおどるのみなり。
(藤谷 前掲書より再引用)

以下、続く。

今日のことば(9) ― E. フロム

2005-10-27 00:00:43 | Quotation
「権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと、それが人物の力によろうと、制度の力によろうと、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。。力は、その力が守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、彼を夢中にする。かれの『愛』が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的に彼の軽蔑をよびおこす。無力な人間をみると、かれを攻撃し、支配し、絶滅したくなる。」
(『自由からの逃走』)

E. フロム(Erich Fromm. 1900 - 80)
ドイツ、フランクフルト生れの社会心理学者。ハイデルベルク、フランクフルトなどの大学で、心理学と社会学を専攻。ベルリン大学で精神分析学を学び、精神分析を社会現象に適用する新フロイト主義の立場に立つ。
1933年、ナチに追われてアメリカに移住、後に帰化する。
このような経歴を持つフロムが『自由からの逃走』(1941) で述べているのは、現代において個人の自由が、政治的全体主義などの社会的圧力によって脅かされているだけではなく、人々が自由な状態から逃れ出たいとのぞむような「呪詛」にもなりうる、ということである。

参考資料 エーリッヒ・フロム、日高六郎訳『自由からの逃走』(東京創元社)

今日のことば(8) ― M. エリアーデ

2005-10-26 00:00:18 | Quotation
「空間と同様に、宗教的人間にとっては時間も均質恒常ではない。一方には聖なる時の期間、祭の時(大部分は周期的な祭である)があり、他方には俗なる時、つまり宗教的な意味のない出来事が行なわれる通常の時間持続がある。」
(『聖と俗―宗教的なるものの本質について』)

M. エリアーデ(Mircea Eliade. 1907 - 86)
ルーマニア、ブカレスト生れの宗教史学・宗教現象学者。
「聖なるものは遠い人類の神話時代に発し、古代社会および原始社会における人類の生存全般にわたって顕現した宗教的価値であり、やがて歴史時代の進展と共に衰退し、近代の工業社会に至ってほとんどその影を没しようとしているものである。本書はこの聖なるものの現象形態全般とそのなか生きる人間の状況とを叙述し、現代社会に代表される俗なる世界との対比により、いわゆる宗教的人間(homo religiosus) のあり方を出来るだけ明らかにしようとしたもの」。(「現代と東洋の宗教(訳者あとがきに代えて)」より)

参考資料 M. エリアーデ、風間敏夫訳『聖と俗―宗教的なるものの本質について』(叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局)

『綾とりで天の川』を読む。

2005-10-25 09:41:32 | Book Review
例によって、知的好奇心を充たしてくれる丸谷エッセイ最新作。
エッセイ16本が収められているが、この最新作の特徴は、歴史ジャンル(特に人物がらみ)のものが多いことでしょうか?

「自転車屋の兄弟の伝記作者」のライト兄弟、「ミイラの研究」の福沢諭吉、レーニン、スターリン、アイスマン(アルプスの氷河から発見された5000年前のミイラ)、「生のものと火にかけたもの」のネアンデルタール人、「ある婦人科医の考古学的意見」のストーン・ヘンジ、「批評家としての勝海舟」などが、それに当たります。

その他、直接的なテーマは別のものごとなのだが、歴史的な内容に触れたものが多いことは言うまでもありません(何しろ『忠臣蔵とはなにか』の著者ですから)。

相変わらず面白いのが〈取り合わせ〉の藝。
ここでの〈取り合わせ〉とは、思いがけない複数のものが一つの視点からいっしょに述べられるということ。

例を挙げましょうか。
「生のものと火にかけたもの」でのテーマは、先に述べたようにネアンデルタール人なのですが、ここではH. G. ウェルズとW. ゴールディング(傑作小説『蠅の王』の作者)とが取り合わされる。
ねっ、結構意外な〈取り合わせ〉でしょ?

そのほかに、この手のエッセイとして範とすべきなのが、〈以外な事実〉というやつ。
これも例が必要でしょう。
「ミイラの研究」での福沢諭吉のミイラ。
1977(昭和52)年福沢家の墓を一つにまとめるということになり、品川常光寺の墓所を掘ったところ、福沢諭吉の遺骸が屍蝋化して出てきたという(遺族の意向により、解剖もしないですぐに火葬してしまったそうです)。
ご存知でしたか、このこと。
小生は知らなかった、ですからびっくりした、愕然とすらした。

この手の興味の惹き方が、なかなか巧い。

最後に一つ。
映画『カサブランカ』に関して。
「例のあの夜、イングリッド・バーグマンとポール・ヘンリードが飛行機で飛び立つのは何年何月何日かといふクイズ」。
答えは、本書148ページを見てください。

丸谷才一
『綾とりで天の川』
文藝春秋
定価:本体1429円+税
ISBN416367070X

今日のことば(7) ― 上田敏

2005-10-25 00:24:38 | Quotation
「自我を没することなく、例へば音響が自個の性を失はず洋々たる諧音(ハルモニイ)を組立て組成して行くやうなのが、文明の大勢である。」
(「新婦人」大正2年)

上田敏(うえだ・びん。1874 - 1916)
号は柳村。明治時代の詩人、外国文学者。東京帝国大学文科大学、同大学院在学中から西欧音楽に興味を抱き、演奏会評、音楽評論、外国音楽家の紹介などを執筆する。彼の周辺には、大学院時代の恩師ケーベル博士(哲学科教師として来日したが、モスクワ音楽院卒業の音楽家でもある)、平田禿木、島崎藤村、星野夕影などの西欧音楽愛好家がいた。
著書『海潮音』(明治38年)は、ボードレール、マラルメなどフランス象徴詩、イタリア、イギリス、ドイツなどの詩をも収録した訳詩集で、明治文学界に大きな影響を与えた。
「『海潮音』なり『牧羊神』なりを、つぶさに読みほぐすと、訳者である上田敏博士独特の音楽感覚が、到るところに生きいきとしている。」(内藤濯)

参考資料 中村洪介『西洋の音、日本の耳ー近代日本文学と西洋音楽』(春秋社)