一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
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『明治維新私論』を読む。

2006-03-26 13:02:04 | Book Review
『マルチチュード』の書評の続きは「『予告編(4)』で改めて」と書きましたが、もうこうなってくると、予告編レベルの論議ではなくなるので、機会を改めまして本編にてご紹介ということに。

ということで、今回は歴史もの。
ですが、たった今、書店関係のサイトを検索してみたら、絶版入手不可、とありました(マア、20年以上前の本なので、仕方ないのかという気もするが、講談社学術文庫あたりで出さないのかね)。
もし、ご興味おありの方は、図書館でお探しになるか、古本屋をあたられるしかないのですが、内容は非常に興味深いので、あえて、ここでご紹介いたします。

「興味深い」と書いたけれど、これは小生を含め、かなり少数派の感想かもしれません。
なぜなら、大多数の人びとが明治維新にもつ興味関心は、坂本龍馬や高杉晋作、勝海舟などの「英傑」に対してで、本書のように、歴史が持つ「もう1つの可能性」などにではないだろうから。

本書には、さまざまな機会に著者が書いたものを集めてありますが、副題にあるように、メイン・テーマは、あくまでも「アジア型近代の模索」ということであります。
つまりは、実際に行なわれた日本の近代化が、完全に西欧型のそれを取り入れたのに対して、もう1つの可能性として、アジア型の近代化というものはありえなかったのか、ということです。

著者は、その芽を、横井小楠に発見したようです。

まずは、ペリー来航時の対応のしかた。
これは、単に黒船への対応のみならず、異文化(西欧文化)へどのように対応するか、にも関わってくる。

小楠は、
「第一に判断すべきは、相手の言い分が道理か道理でないかである。道理なら受け入れ、非道なら拒絶する。拒絶するために武力が必要なことも多いから武備を怠ってはならないけれども、第一義的なことは、相手の要求について道理に基づく判断を下すことである。」
としました。
しかし、実際の歴史では、その路線は採られず、
「相手が弱いとみれば、要求を聞きもしないで攘ち払う。強そうでとてもかなわないとみれば、要求の是非を判断することを初めから放棄して屈伏し、国内むけには、追い払うために武備を強化しなければならないという政策を打ちだす。道理はどこにもない。」
ということになったわけです。

以上のような小楠の基本線は、幕府側、反幕府側を問わず理解されず、
「そういう道義性を基盤に世界にたちむかっていくという構想についていけない。武士道に屈服し矮小化されたエセ儒教を温存しつつ、まるごとヨーロッパ近代に組み込まれてしま」
ったのです。

以下、小楠のみならず、アジア型近代を模索した人びとの紹介が、本書では続きますが、冒頭の「アジア型近代の模索」と、それを受けての「アジア型近代への背反」だけでも、十分に示唆的であります。

現状追認主義的な歴史叙述に飽き足らない方に、ぜひ一読をとお勧めいたします。

松浦玲
『明治維新私論 ―アジア型近代の模索』
現代評論社
定価:本体1,600円(税別)
1979年12月初版発行