一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

2006年、今年読んでよかった本【その2】

2006-12-31 02:30:12 | Book Review
松井今朝子に続いては杉本章子。

杉本章子は、第100回の直木賞受賞ですから、1988年のデビュー。かなり以前から知られていた作家ですが、これも小生、今年になって初めて読んだ。
本ブログでも記事にしましたが、その受賞作『東京新大橋雨中図』(文春文庫)は、なかなか結構な作品。

その後、『『間諜 洋妾(らしゃめん)おむら 』(文春文庫)も読みましたが、こちらはスパイ小説的なスリルとサスペンスを狙った部分が若干弱い。やはり、本領は、小林清親の画業とその人情や行動を明治文化の中に描いた受賞作のようなものではないでしょうか。
その点、『お狂言師歌吉うきよ暦』(講談社)や、「信太郎人情始末帖」(文藝春秋社)シリーズなどは、小生未読なのですが、どうなのでしょうか。

さて、以上2作家以外には、『大砲松』(講談社文庫)以後の東郷隆の戊辰戦争もの(本ブログでは『我餓狼と化す』をご紹介)や、『算学武芸帖』『戊辰算学戦記』(ともに朝日新聞社刊)などの金重明の算学小説を、興味深く読むことができました。

また、小生にとって『隆慶一郎全集』(新潮社)を全巻読破したことも、非常に役だったと付け加えておきましょう。

以上が、時代小説についての2006年を振り返っての感想です。

小説以外では、やはり、野口武彦の『幕末気分』(講談社文庫)を挙げざるを得ません。
元版の刊行が2002年なので、何を今更の感もするのですが、この人の文章のうまさ・構成の巧みさ・視点の斬新さは、何度言っても言い過ぎではないでしょう。
ついでと言っては何ですが、思わず『幕府歩兵隊――幕末を駆けぬけた兵士集団』(中公新書)まで読み返してしまいましたものね。さすがに『江戸の兵学思想』(中公文庫)にまでは、手を出していませんが……。

小説およびその関連分野ということになりましたが、それ以外にもノン・フィクションではいろいろとありましたが、あえて省くことにします。
皆さんの2006年はいかがでしたでしょうか。

それでは、2007年が、良い本との出会いが多い年でありますように。

この項、了


東郷隆(とうごう・りゅう)
『大砲松』
講談社文庫
定価:673円 (税込)
ISBN4-06-263335-2

2006年、今年読んでよかった本【その1】

2006-12-30 07:25:05 | Book Review
別に2006年のベスト・テンを選ぼうというわけじゃあありません。
第一、今年出版された本だけではなく、かなりの旧刊書もあるし、その中には再読した本なんてものもあるんだから。
単に、今年の読書生活を振り返って、未だに記憶に残っているものと言った方がいいのかもしれない。ただ、自信があるのは、ベスト・セラーと称するものは入っていないこと。

どうも、小生、つむじ曲がりで、皆が読んでいる本ということになると、それだけで読む気もしなくなる。ですから『国家の品格』も扱っていないし、『美しい国へ』なんても最初から読んですらいない。
それだけで、大体の読書傾向が分ろうというものです。

それはともかく、2006年最大の収穫は、松井今朝子の作品に触れることができたこと。
1997年に『仲蔵狂乱』で時代小説大賞を受賞しているのですから、前々から注目していた人は多いのでしょうが、小生、遅まきながら、今年になって初めて読み始めました。

第一にどの作品も後味がいいことと、文章の趣味がいいのが、読んでいてうれしい。

ということで、『仲蔵狂乱』はもちろんのこと、『幕末あどれさん』(PHP文庫)『奴の小万と呼ばれた女』(講談社文庫)『偽せ者(もん)』(講談社文庫)『家、家にあらず』(集英社)『銀座開化事件帖』(新潮社)と、立て続けに読みましたね。
シリーズものとしては「並木拍子郎種取帖」(『一の富』『二枚目』が角川春樹事務所から刊行済)なんてものもあります。

第二に、人物像が明快なのがいい。けれども、性格が単純ということではありません。
『奴の小万と呼ばれた女』における「奴の小万」、「並木拍子郎種取帖」シリーズでの「おあさ」などなど。すっきり爽快な女性の性格・行動描写がいいですね。

ということで、今も『辰巳屋疑獄』(筑摩書房)を読んでいるところ。
やはり、代表作の『仲蔵狂乱』、あるいは痛快な女性主人公が活躍する『奴の小万と呼ばれた女』あたりから読み始めることをお勧めしておきましょう。
ちなみに、「奴の小万」は、フィクションとしては鶴屋南北『裙模様沖津白浪(つまもようおきつしらなみ)』の主人公でもあると同時に、実像としては木村蒹葭堂(きむら・けんかどう)や柳沢淇園(やなぎさわ・きえん。柳里恭(りゅう・りきょう)とも称す)との交流があった女性でもあります。

この項、つづく


松井今朝子(まつい・けさこ)
『奴の小万と呼ばれた女』
講談社文庫
定価:729円 (税込)
ISBN4062737302

『イギリス弦楽小曲集 第5集』を聴く。

2006-12-29 10:56:41 | CD Review

ENGLISH STRING MINIATURES・5
John Ireland・Francis Chagrin
Percy Fletcher・Paul Lewis
Royal Ballet Sinfonia・Gavin Sutherland
(NAXOS 8.557752)

「ミニアチュア」という音楽ジャンルがあることを、われわれに知らせてくれたナクソスの『イギリス弦楽小曲集』"ENGLISH STRING MINIATURES" シリーズも、いよいよ第5集となりました。

けれども、さすがに第5集ともなると、超マイナーな作曲家が多くなってくるのも仕方のないことでしょうね。
この第5集に収録されている楽曲は、
  パメラ・ハリソン(Pamela Harrison, 1915 - 90)
  フランシス・シャグラン(Francis Chagrin, 1905 - 72)
  パーシー・フレッチャー(Percy Fletcher, 1879 - 1932)
  ポール・ルイス(Paul Lewis, 1943 - )
  アルバート・カザボーン(Albert Cazabon, 1883 - 1970)
  トマス・ロージングレーヴ(Thomas Roseingrave, 1690 - 1766) 
  ジョン・アイアランド(John Ireland, 1876 - 1962)
といった作曲家の作品です。
こうやって並べて見てみると、ロージングレーヴを除いて、20世紀に活躍した人びとということが分ります(恥ずかしながら、小生、さすがに名前と作品を知っていたのは、アイアランドだけでありました。調べてみたら、ルイス『英国組曲』が第4集にありました)。

もっとも制作者の意図としては、
「舞台や映画、放送、教育の分野で、より知られているだろう作曲家たちに焦点を当て」
たということのようですが。

作品的には、ハリソンの『ティモシーのための組曲』やシャグランの『ルネサンス組曲』、アイアランドの『ダウランド組曲』など、擬古典的な傾向のものが多いように思います。
その中でも、もっとも知られているのは、アイアランドの楽曲でしょう。
これに比べると、シャグランの『ルネサンス組曲』(1969年作曲)、ルイスの『ナヴァラの娘』組曲(2002年作曲)などは、作曲年代が新しいということもあり、擬古典的な中にも、新しい響きが聴かれます(それにしても、民謡旋律を取り入れた、いかにも英国風の保守的な作風!)。

第1集からそうであったように、気楽に聴ける英国音楽入門CDとしては、選曲に凝った、良い曲集ではないでしょうか(第1集の J. ラター、第2集の G. ブッシュ、第3集の M. ハード、第4集の P. ホープなど)。

介護はつらいよ 年末年始編

2006-12-28 03:36:57 | Essay
12月26日付の「朝日新聞」投書欄に次のような趣旨の文章が載っていました。
タイトルは「在宅介護者に気が重い正月」。
埼玉県在住、60歳男性の投書です。

この方は、「重度の難病にかか」った奥さんを在宅で介護なさっている。
ところが、「在宅看護・介護の支援事業所が一斉に年末年始休暇をとって休んでしま」い、「在宅介護人としては、支援のよりどころを失い困惑しながらも、自力でこの期間の介護を乗り切らざるを得なくなる」。

まあ、実際に体験しないと、分かりにくいかもしれませんが、拙宅の例で言えば、90歳代の年寄りが一人おりまして、「要介護5」という認定を受けております(「4級」の身体障害もあり)。
ちなみに「要介護5」というのは、要介護度区分(軽いものから「要支援1」「要支援2」「要介護1」~「要介護5」となっています)で、もっとも重いランクね。
おそらく、この投書なさった方の奥さんも、拙宅の老人より重い身障者認定なんじゃないかしら。

また、拙宅の場合、在宅サービスとしては、週2回の在宅看護と2週に1度の在宅診療、その他に、週3回のデイ・サービスと月に5日のショート・ステイを受けています。
投書者の方の場合は、具体的な回数は分りませんが、「訪問看護ステーションや訪問入浴・リハビリなど、在宅看護・介護」を受けているようです。

それらのサービスが、年末年始はまったく受けられなくなるのね。
したがって、
「介護生活に休みはなく、お正月だろうとやるべき日課に変りがない。気持ちの片隅にあるのは、手に余る事態になった際の不安で、緊張に拍車をかける。突然の発熱や病変、清拭(せいしき)、胃ろう処置、痰吸引等々が、家事に加え、介護人の肩に載る。お正月こそ忙しくなる不思議さ。」
ということになるわけです。

小生の場合は、この方のおっしゃることは、身近なことなのですが、読者の方にとっても他人事じゃあないのよ。
まずは、ご自分の親御さんの世話が迫ってくる。それがないにしても、今度は自分自身に振りかかってくる問題になるのですよ。
小生だって、介護をしながらも、自分自身がそうなった時のことを考えると、不安感が一杯になってきますからね。

それはさておき、投書者は、次のように書いています。
「近年は元旦から営業している顧客志向の業界も多い。来年は、福祉ももっと利用者志向になってほしいものだ。」

けれども、公共的に「弱者切捨て」の傾向は、ますます強まっています(身障者の外出支援の時間上限が決められるなど。一方で、金銭的な余裕のある人=強者は、あれこれサービスの付いた有料老人ホームが使えるのですねえ)。
小生が老人になった場合、公共福祉はどこまで切りつめられているのでしょうか。
近年の政治動向を見ていると、不安感は強まるばかりです。

ということで、弱者にとって「年末年始の介護/被介護はつらいよ」というお話でありました。

「鍋」いろいろ―「夜鍋」と「ちりとり鍋」

2006-12-27 08:46:23 | Essay
これが「ちりとり鍋」(ちりとり鍋『大島』HPより)

冬は、やはり「鍋」でしょう、ということで、新聞にも2本ほど「鍋」に関する記事が載っていました(「朝日新聞」12月25日付夕刊)。
ということで、本欄も「鍋」についての雑考を。

料理名としての「鍋」は、多くがその主な具材を前に付けています。
「牡蛎鍋」「鮟鱇鍋」「泥鰌鍋」「鯨鍋」「ボタン(猪肉の別名)鍋」「サクラ(馬肉の別名)鍋」などなど。
また、「土手鍋」「寄せ鍋」など、料理のしかたを示すものや、謂れ因縁がありそうな「成吉思汗鍋」「石狩鍋」「柳川鍋」などもあります。

これらは料理名ですが、それ以外にもちろん、料理器具としての「鍋」の種類を表す単語もあるのね。
「石鍋」「土鍋」「中華鍋」「行平鍋」「寸胴鍋」などなどです。

ですから、新聞のコラムにあったようなお話もありうるのですな。

窪田聡作詞作曲の『かあさんの歌』について。
著者(五木寛之)が、この歌を口ずさんでいた。
こういう歌詞です。
「かあさんは よなべをして 手袋 編んでくれた……」
それを耳にした若いスタッフが、
「〈よなべ〉って、なんの鍋ですか」
と尋ねたそうです。

つまりは、「よなべ(夜鍋)」というのを、「牡蛎鍋」「鮟鱇鍋」あるいは「成吉思汗鍋」「石狩鍋」の一種と思った、というわけね(ちなみに「夜鍋」とは、徹夜作業のこと。「夜、鍋をかけ夜食をとりながら仕事をすることによる」そうです)。

これとは同日、「ちりとり鍋」の記事も載っていました。
小生、この名前は初めて目にしました。

文章を読むと、「牛赤身とホルモン、山盛りの野菜を一緒に煮る」鍋だそうで、命名の由来は、「ちりとりの形に似た底の浅い四角い鍋を使うこと」によるとのこと。

ですから、これは料理器具としての「鍋」の名称が、料理としての「鍋」の名前に転化したもの(大阪の鉄工所の経営者が、副業に始めたホルモン鍋の屋台から生まれた「鍋」ということも、関係あるのかもしれない)。
同様の例は、あるのでしょうか。小生は、今ちょっと思いつかない。
そういう意味では、興味深い名称の生まれ方になります。

しかし、「ちりとり」という汚れ物系の名前(語感は、三味線の音色のオノマトペ「ちりとてちん」に似て、汚くないんだけどね)を料理に付けるという即物性は、やはり関西系のような気がしますが、小生のような関東者の偏見でしょうか。

まあ、その内に、「浮世の塵芥(ちりあくた)を取り去る」なんていう語源伝説が生まれそうだけどね(こういうのもフォーク・エティモロジーと言うのでしょうか)。

F. プーランクの『即興曲 第15番』を聴く。

2006-12-26 03:17:10 | CD Review

Kyoko Tabe
Romance
(DENON COCO-70873)

このところ、故あって、日本人演奏家のクラシカル音楽を耳にすることが多いのですが、なかなか巧くなったものです。

少し以前なら、日本人演奏家は「技術」があっても「心」がない、などとよく分からない批判をされていたものでした。
分らないなりに小生が理解するところだと、音符どおりに正確には弾けるけれども、そこに自分なりの解釈をつけ加えることは少ない、というようなことを指していたのではないでしょうか。

けれども、このCD「ロマンス―ピアノ小品集」での田部京子などを聴くと、そんなことはもはや懸念するまでもない、という気になってきます。

作曲家の時代的には、古いところでシューベルト(『セレナード』! なんとまあ懐かしい)、メンデルスゾーン(これも懐かしい「無言歌」の『デュエット』)から、新しいところでドビュッシー(『月の光』)、プーランクといったところ(例外的に、バッハ作曲ケンプ編『シチリアーノ』が含まれる)。

その中で、小生が感心したのが、プーランクの『即興曲 第15番』です。

ご承知のように、プーランクには明朗闊達な曲のほかに、時々、この即興曲のような「小唄振り」のものがあるのね(歌曲『愛の小径』"Les chemins de l'amour" などが典型)。
かなり俗っぽいので、演奏のしかたによっては「低俗」になりかねないものを、ここでの田部京子は巧く弾いています。

まずは、そのテンポの揺らし具合(テンポ・ルバート! ヘタにやると、とてつもなく下品になる)。実に洒落ているし、かつ「泣き節」として上等です。
また、フレーズのお終いの和音で長調に開いて、それが次のフレーズに続いていくところの演奏の処理の具合(これは作曲家の功も大きいが)。
前記のテンポ・ルバートと相まって、感情表現として立派な演奏になっています。かといって、大仰にはなってはいないのがなかなかの出来映え。

こういう作曲の良さも含めると、エルガーの『愛の挨拶』などは、軽い出来なもののイギリス的な野暮さが目立ちますね(WW I の戦闘機で言えば、ソッピース・キャメルとスパッド13の違いぐらい。ちなみに、スパッド7には滋野清武男爵=バロン・シゲノが搭乗していた)。

ということで、廉価版が登場したのを機会に、強くお勧めしておきます。
それにしても、なんで『プレアデス舞曲集』はあんなに値段が高いのでしょうか……(嗚呼)。

P. マスカーニの『イリス』を聴く。

2006-12-25 04:27:42 | CD Review
MASCAGNI  IRIS
PLACIDO DOMINGO - ILONA TOKODY
JUAN PONS - BONALDO GIAIOTTI
CHOR DES BAYERISCHEN RUNDFUNKS
MUNCHNER RUNDFUNKORCHESTER
GIUSEPPE PATANE
(SONY MSK45526)

日本を舞台にした「異国オペラ」には、『蝶々夫人』や前回説明した『ミカド』のほかに、ピエトロ・マスカーニ(1863 - 1945)の『イリス』があります。

今回は、そのオペラを、再掲載にてご紹介します。


映画のジャンルには、ドイツ映画『ベルリン忠臣蔵』とかアメリカ映画『SFソードキル』などの「異文化誤解もの」につっこみを入れて笑って楽しむ、というサイトがあるのに、クラシカル音楽にはないようなのね。
クラシカル音楽ファンは、真面目なのかしら。

そこで、今回は、そのような楽しみ方もできる、P. マスカーニのオペラ『イリス』(1898年初演。日本初演は1985年!)を取り上げてみました。
果して、このオペラ、顰蹙ものなのか、それとも苦笑ものなのか(「国辱もの」とだけは言わないでくださいよ)?

CDを聴いた限りでは、日本的な情緒というものは、まったくありません。
日本の民謡・俗曲などが引用されているわけでもなく、5音音階を取り入れた旋律が出てくるわけでもない。
その点、6年ほど後に初演が行なわれた『蝶々夫人』(1904年初演)とは違っています。

ただ、登場人物やところどころにでてくる地名やものの名まえなどが、日本のものなのね。

たとえば、主人公イリス(これだけは西洋名!)に岡惚れしている「金持ちで好色な若旦那」の名まえがオーサカ(本CDではプラシド・ドミンゴが演じる)、そのオーサカに「とりいっているずるがしこい幇間」がキョート。

その他、地名としては色町のヨシワラ、「フジヤマよりもなお白い純白な」という台詞や、三味線らしい楽器、もちろんゲイシャも出てきます。
中で奇妙なのが、ダンジューロー(「私はこの人形劇団の座長のダンジューロー」というんだから「団十郎」なんでしょうね、やっぱり)が出てくる。
どこから、こんな名まえを聞いてきたんでしょうか。
もっとも、台本作者のルイジ・イルリカ(1857 - 1919)は、この本の執筆に当って、「日本やその習慣・風俗に関してかなりの調査をした」とか。ただ、その取材源には、かなりのバイアスがかかっているのは間違いないでしょう。

一方、音楽の方は、
「マスカーニは、和声法の大胆な革新、近代的な新しい和声の開拓という点では、(中略)〈カヴァレリア〉のごく常識的な和声法からみると、エンハルモニックの手法や転調の鮮やかさに彼の大きな進歩がうかがえる」(CD添付解説書より)
という評価が下されている。

ただ、舞台面を想像すると、ジャケットにあるように、遠見のフジヤマを配して、その前面に中国風とも日本風ともつかない四阿(あずまや)がある(もちろん、提灯なんかもぶら下がっていてね)、といった具合ではないのでしょうか(20世紀初めの『蝶々夫人』公演の写真から想像してですが)。

日本のオペラ・ハウスで演じられることがありましたら、ぜひ一度見たいものです。

ギルバート・サリヴァンの『ミカド』を聴く。

2006-12-24 12:34:12 | CD Review
GILBERT AND SALLIVAN
THE MIKADO
SIR CHARLES MACKERRAS
ORCHESTRA & CHORUS OF THE WELSH NATIONAL OPERA
(TELARC CD-80284)

イギリスのジャポニズムの代表作は、1885年初演のオペレッタ『ミカド』でしょう(ウィリアム・ギルバート台本、アーサー・サリヴァン作曲)。

舞台が「日本」であるのと同時に、第二幕で歌われる、
Miya sama, miya sama
On n'm-ma no maye ni
Hira-Hira suru no wa
Nan gia na
Toko tonyare tonyare na!
という『宮さん宮さん』の歌でも有名です(プッチーニの『蝶々夫人』でも使われる)。
ちなみに、この曲は「日本の国歌と解した人達があつて、古い海軍の軍人には外国の軍隊から『宮さん宮さん』を奏して敬意を表されて苦笑したといふ話が幾つも残つてゐる」(堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』)。

さて、ここでのジャポニズムは、19世紀音楽の例に漏れず、異文化誤解を表しているのが今日では面白く聴けますが、当時の日本人には国辱ものと思われても不思議はない(ストーリー自体は、日本を舞台にしているが、当時の英国の世相を風刺したもの)。

当時、イギリスではちょっとした日本ブームがあり、ロンドンのナイツブリッジには「ロンドン日本人村」という見世物(日本人の日常生活を再現したテーマ・パーク)が行なわれていました。
「村といっても青空の下に茅葺きの家が立並んでいたり、芝居小屋や茶店が作られているのではない。雨や雪が降ってきても支障がないように、天井がガラス張りの巨大な温室のような建物の中に、日本家屋がセットのように組み込まれているのだ。」(高橋克彦『倫敦暗殺塔』)

このようなブームの一貫として、『ミカド』が作曲されたのですが、大人気を得て、計627公演が行なわれたといいます。
また、
「この『ミカド』はロンドンでの成功後、アメリカに渡り、ここでも人気を博した。ニューヨーク、ボストン、シカゴなど主要都市でロングランをつづけ、〈ミカド煙草〉〈ミカド人形〉〈ミカド帽子〉〈ミカド手袋〉から〈ミカド煮料理〉までもが出現。いまでいうキャラクター商品である。
 また、たまたま当時、日本からアメリカのボールドウイン社に蒸気機関車が発注されており、その駆動軸数(1D1=先輪1軸、動輪4軸、従輪1)の蒸気機関車は〈ミカド型〉とよばれるようになった。ついこのあいだまで蒸気機関車の代表として知られていたD51も〈ミカド型〉に属する。そして、アメリカ中西部には〈ミカド号〉と明記した列車もあらわれた。いまアイオワ州にある〈ミカド〉という名のちいさな町も、おそらくこの一連のミカド・ブームの遺産であるにちがいない。」(加藤秀俊『外国語になった日本語の事典』)

オペレッタ『ミカド』の演奏としては、この C. マッケラス指揮のものは、実に立派なものです。
ただ、小生の好みとしては、この手のオペレッタにはキッチなところが必要だと思いますので、その点では立派過ぎる気もしないわけではありませんが、
音楽として純粋に『ミカド』を楽しみたい方には、お勧めはできます。

*なお、多少なりともキッチな雰囲気のあるCDとしては、
 ドイリー・カート・オペラ・カンパニー盤(ロイストン・ナッシュ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団演奏、Decca/London 425190-2)
 があります。
*その他のソフトに関しては、こちらをどうぞ。
 http://www.cris.com/~oakapple/gasdisc/mik.htm

音楽における19世紀【その14】

2006-12-23 09:10:04 | Essay
19世紀半ばの世界を概観してみると、大きく3つの世界に分かれる。

 1.ヨーロッパ諸帝国(政治形態が「帝制」かどうかは、別にして)
   *大英帝国、フランス(1852年から第2帝政)、オーストリア帝国、ロシア帝国、アメリカ合衆国
  **これらの諸国に、やや遅れて、イタリア、ドイツが加わる。

 2.諸帝国の周辺諸国(地域的に帝国領土に含まれていることが多い)
   *ヨーロッパ以外には、カナダやオーストラリア、南アメリカ諸国など

 3.非西欧地域(アフリカ、中近東、アジア、太平洋諸島の各地域、各国)

1.の各国の勃興による「ナショナリズム」(「ショーヴィニズム」に近い)と、2.3.の地域各国の「対抗ナショナリズム」とが激突するのも、この世紀の特徴であろう。

音楽*史的に言えば、1.の各国はロマン主義音楽と、その地域的ヴァリエーションである「国民楽派」の音楽とが主流。
*音楽:ここでは「コモン・プラクティス(一定地域・期間での一般的なやり方)音楽」、西洋近代音楽いわゆる「クラシック音楽」を指す。

また、2.の諸国は、音楽的な自立が未完成で、1.の各国音楽に影響されるところが大。

3.の地域では、1.による植民地化の過程で、導入する動きとそれを拒否しようとする動き(伝統的な民族音楽を重視する動き)とが、その植民地化の度合いや、文化様式に応じて、さまざまな傾向を示す。

また、1.の各国では、2.や3.の工芸・芸術への興味・関心から、「異国趣味(エキゾティシズム)」が徐々に高まりつつあった(ゴンクール兄弟の浮世絵発見に始まる「ジャポニスム」など)。
逆に、3.では、西洋近代化への「対抗ナショナリズム」から、自らの文化のアイデンティティを確認しようという「文化ナショナリズム」も生まれる(日本の場合で言えば、青山御所内に能舞台が作られたのは、1878年のこと)。