女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

女子会参加に想う(後半)

2012-07-26 | インポート

引き続き中村です。

以前のブログにも書いたが、

私は根っからのキャリア志向ではない

私のコアを形成しているのは

・専業主婦の母と母からの教え

・亭主関白な父と父からの教え

・奔放(だと当時は感じていた)な姉の存在

三重という地域性

などをベースに形成した「いい子でいたい」「守られたい」思考。

自立とは対極にある。

就職の際、あまり考えずになんとなくアパレル業界に就職したのも、「どこに

就職しても子供ができたら仕事は辞めるし(=どこに就職しても一緒)」とい

う思考から。総合職を選んだのは、単に一般職より給料がよかったから!

専業主婦として、あるいはパートとして社会と接点をもちながら生活する幸せ

もありだし、できる自信もあった。

※もちろん、面接ではそんなことは言わず「結婚しても仕事をし続けます」なんて言ってたけど・・・

じゃ、自社の社員や就職活動中の女子学生に説いている「自分の足で立って

人生を自分で切り拓く=自立思考」は たてまえか?きれいごとか?

きっぱりと    NO

この思考は「こうありたい自分の姿」そのもの

いやっ、

「こうありたいと『追い続けた』自分の姿」そのもの

私の中にはナチュラルに存在する「守られたい意識」と意志に基づく「自立願望」

というアンビバレントな価値観が共存している。

※注)アンビバレントとは、主に精神世界で用いられる「相反する感情が同時に存在するさま

そしてこのアンビバレントな価値観はさまざまな選択の場面で、全く異なる選択

をしろと私にささやく。

強度で言うと「守られたい意識」の方が強い。なぜならそれが自分自身の根っこ

だから。

前回のブログにあるifの場面に置き換えると、

B:県外の学校に進学

ではなく

A:県内の学校に進学

を選択するのが自然。

でも、そうしなかった

当時それを意識していたわけではないが、今になって振り返ってみると、

間違いなくこの選択が自分自身のターニングポイントになっている

なぜ三重を出たのか?

今まで幾度となくこの質問を投げかけられ、そのたびに

「心理学が学べる大学がなかった」

と、もっともらしい返答をしてきた。

でもちょっと違う。

~だから、~したいから三重を出た。ではなく

三重を出たかった

このまま親元にいたら、

「いい子(を演じる)」の自分。現状に甘んじてしまう自分を

変えたかった

ただそれだけ。

心理学を学びたい!というのは後づけの理由

進路変更する理由を考える⇒勉強して、親を説得するための実績をつくる

⇒受験レベルに達する⇒合格

こうして私はありたい自分(=自立した自分)を実現するために一人暮らしを始め、

今に至る。

もちろん、一人暮らしをすることを快諾してくれた両親やその後出会っていろん

な場面で支えてくれた友人知人がいるから今の自分がある。

いかされている自分を再認識する・・・。

どんな人にもターニングポイントがあり、その都度自分の意志でどちらかを

選択している。自分がそれを選択したことによって、悲しい想いとをしたり、迷

惑を被る人もいるかもしれない。

でも、

だからこそ、

自分の意志で選択した道を邁進し、悔いが残らないよう

生きることが大切。

ここまで進めてきてふと思い出した光景がある。

大学入学後初めての帰省の際、

いつもの習慣であたりまえのように自分の部屋のドアを開けた時、

そこはすでに「自分の部屋」ではなく「物置部屋」だった。

「もうここは自分の部屋ではない」⇒もうここには戻れないし、戻らない!

一抹の寂しさを感じながら心に決めたことを思い出す。

あかん、あかん、なんかちょっとセンチメンタルな私・・・・。

久しぶりに想いを新たにするきっかけになった女子会だった。