神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

コロナ下の通夜式

2020年12月14日 17時51分38秒 |  コロナ騒動
取引先の四十物師(あいものし=干物などを作るプロ)のおじさんが作業中に梯子から落ちて亡くなりました
今、通夜に行って戻ってきました、通夜も一般参列者は一時間の間に弔問、通夜式には参加しません、その後、家族だけで僧侶と行います
コロナ流行になって葬儀や通夜に出たのは初めてです、なぜなのかわかりません

今日は深夜から激しい雨風、海には落雷が続き騒がしい夜でした、朝からも冷たい雨、時々みぞれが降りました
通夜に向かう途中も相変わらずで、冬至が近い今は5時前に暗くなり、車のウィンドウも曇りがち、走りづらくて仕方ありません
山間部から来たのか、屋根に雪を数センチ積んだ車も見かけました

式場に行ったけれど私の他に弔問客は一人だけ、この天候では出足も鈍いでしょうが明日は雪マークでもっと荒れそう
喪主にあいさつをして香典を渡す前に手の消毒、それから香典を出しましたが焼香場所もなく香典返しをもって帰るだけ
喪主が「よかったら顔を見ていってください」というので、ようやく通夜に来た気分になりました
事故死なのでいつもと同じ表情でした、良く働いた人で80歳半ば近くまで現役で地元名産のげんげ干物などを作り続けた人生
そして作業中に亡くなりました、本望とは言えませんが働き者のお父さんらしいおしまいだったと思うのです

それにしてもさみしいですね、やはり大勢の人から焼香を頂き、見送られるのは本人はともかく家族は心強いでしょうけど
私の父母はコロナ前、2~3年前に亡くなりましたけど、今になって思えばよかったと思います、二人とも2~300人の知人から見送ってもらったのだから
まあそれは人の考え方ですから大勢来てくれれば良いとばかりも言えませんが、私の経験では故人の遺言で、大好きな演歌を流し続けた葬儀もありました
祭壇を故人が大好きだったゴルフのグリーンに作った葬儀もありました
葬儀場が取引先や友人知人から送られた数百の生花でいっぱいになった葬儀もありました、生前の社会性がしのばれます

でも戦後の日本の独立に吉田茂総理と働いた白洲次郎さんのように遺言に「葬式するな、戒名つけるな」などと言う、さっぱりした人もおられます
葬儀を人生最後のイベントととらえる人、無駄ごとととらえる人、人さまざまです
私の両親の場合は埋葬の墓地について言い残しただけで、葬儀の仕方などは何も言わなかったので世間並みの通りにしました
だけど知っているようで知らないのが葬儀、お客様の数百回の葬儀に立ち会ってきましたが自分の事になると穴だらけでした








私に関係ありません

2020年12月12日 18時04分48秒 |  コロナ騒動
目の前のことが「たいへんだたいへんだ!」と
バブル崩壊して大銀行や大手証券会社がどんどん潰れた時も「たいへんだたいへんだ」、私には影響なかったけど
リーマンショックで株が大暴落した時も私に影響はなかったし
バブルで日本中、にわか成金が増えた時も、私には関係なかった
地震や津波や大火事があっても、原発が爆発しても私に影響なかった
日本が戦争に負けてアメリカ軍が乗り込んできたときは私はまだ生まれていなかった

自分に影響のない災害はいくら起きても、同情はするけれど自分の事とは思わない、冷たいけれど平気なのだ
でも、今回のコロナウィルスにはとことんやられている! 初めて同情される側に回った
そうなのか、被害者っていうのはこんなにもつらいのか、大変なのか毎日が、わからんかった
被害者側になって初めてわかった、私の県には福島原発事故のために故郷を追われた人たちが今も1000名ほど住んでいる
いつまでも終わらない災害の後遺症、原爆二世、三世という被害者もいる、今日のコロナですでに大損害を受けた人も多い
隣国に拉致されたきり祖国日本に戻れないでいる人も大勢いる、待ちわびる親も相次いで亡くなり、取り返せぬ無念の念はどこに行くのか

コロナで経済的に追い込まれた人、コロナで体を蝕まれて困っている人、感染の差別で苦しんでいる人
今は被害者でなくても、伝染病の被害はいつどこで誰がなるか予測もつかない、客観的観望者が翌日には被害者になる
もう10ヶ月が経ったのに、感染数は毎日増え続けている、100年前の伝染病の時も人の移動が感染を拡大させたと言っていた
それなのに今の日本では、また同じ轍を踏んでいる、昔よりはるかに簡単に遠くまで移動できるようになった
原因はわかっているのに阻止できない、阻止する力を持っている国が阻止しようとしない
移動しようがしまいが、私の仕事は最悪水準に変わりない「失うものがなくなった状態だ」

それでも戦争に行って毎日不自由な環境で暮らし、敵と殺し合う日々よりはずっとましだ
ものは考えよう、自分がどん底などと考えず、まだまだこのあたりにいることに感謝しよう




いまどき「エール」を見てる

2020年12月11日 19時20分41秒 | 映画/ドラマ/アニメ
撮りためておいた「エール」を見ている
完全に出遅れたので、見る気にもならなかったけどブロ友さんの評判がとてもいいので録画だけはしておいた
新ドラマ「ちょっちゃん」が始まって、今度は出遅れまいと第一話から見ているが子役がうますぎてハマった
*おちょやん だった!(苦笑)
それにしても朝ドラのいつものパターンだけど、子役がうますぎて突然「8年後」とかなって大人になったヒロインが出てくるとイメージについていけん
子役の面影がどこにもない、今の子役も(名前はしらん)ほんとにいい演技をして心にジーンと来るのだ
大人役はしばらく見んと、良し悪しはわからん
「ちょっちゃん」は毎日一話だからすぐ終わる、だから「エール」を続けて五話くらいずつ見るのだ、見だしたら面白い

浪花千栄子がモデルだそうだ、本名が「なんこうきくの」なので、軟膏の会社からCMオファーを請けたエピソードをラジオで聞いた

私の子供時代のお笑い芸人? 
横山エンタツ、柳家金五郎 花菱アチャコなどの同年代かな?出てくるかな?
そういえば藤山寛美、トニー谷とかも活躍してた、時代の前後はわからないけど

朝ドラの魅力は父や祖父たちが生きた時代を見ることができるところだ
明治、大正、昭和、戦争、復興、この流れが一番興味がある。 戦国時代や幕末はめっぽう詳しいけれど
明治、大正、昭和前期は知らないことが多すぎる、明治維新が起こり武士の時代が終わり、日本の西洋化、近代化が始まり戦争の時代に入っていく
敗戦、戦後の復興、その間に幾多の政治家、軍人が歴史の主役になっていった、でもその人物像や功績はほとんど知らない
今、「吉田茂」を読み終えようとしている、イギリス通の吉田は戦争反対派であった、戦後は敗戦国のトップとして戦勝国との対応に明け暮れた
日本が独立国でなく戦勝国に占領されている時代の総理大臣として、日本のプライドをどう守るかに明け暮れた
ずっと前にドラマで「白洲次郎」の物語を見た、あれを見て以来、歴史上もっともかっこいい日本人は白洲次郎だと思っている
吉田総理の片腕として米英と渡り合った外交官だ、その生きざまもかっこいいし、英国仕込みのダンディな姿、顔もかっこいい

近頃また政治家の金銭問題が出てきた、小物だと思う
数百万、数千万の金で魂を売る汚い政治家(ではないだろう)、その点、吉田茂はかっこいい
吉田茂の孫である麻生太郎が豆腐の値段を知らないと言って非難されたとか言うが
金銭に無頓着なくらいの政治家の方が金権政治家にならなくて良いのではないだろうか
誰に対しても正面からモノが言えるのは素晴らしいことだ、そうでなくては一流の政治はできない
吉田茂を読み終えれば、今度は山本五十六と共に開戦反対派だった「米内光正」を読む、それを読み終えたら「白洲次郎」を読む
昭和14年ころから昭和27年までの戦争を中心に置いた政治家と外交官と軍人の生きざまを読む
いままで自分の中で白紙だった時代の空白を埋めていく。 この時代は幕末の動乱にも劣らぬ人々の交錯と戦いがある





秋 Gotoトラベルの想いで 国営越後丘陵公園

2020年12月10日 08時29分40秒 | ドライブ
また旅に出ずらいようになってきた
都会は医療崩壊が起きつつあるというのに、Gotoトラベルは健在
観光大国北海道の危機はどっと入り込んだ旅行者とは関係ないのだろうか?
65歳以上を封鎖して、それ以下は変わらぬ恩恵で旅行に出ていく
たしかに旅行社、観光地、宿は息を吹き返している、同じ痛みを感じる私に恩恵は伝わってくる
だがこのまま増えていけばどうなるのだろうという不安はある
同じ使う国家予算なら、もう少しやり方はあると思うが
国家公務員の英知を集めて、地に足ついたどっしりとした政策をやってもらいたい








真夏に鍋焼きうどん

2020年12月09日 17時27分36秒 | 料理を作る・食べる
昨日はコロナ対策型店舗開業の為、補助金申請書類作成で商工会議所、市役所、郵便局と飛び回っていた
申請書は30ページ近いもので、その中に様々な計画を事細かに書いて、予算書から見積書、資金の目途まで書き連ねる
それを経営指導員と二人三脚で手直ししながら1か月ほどかかって、何度も訂正を重ねてようやく昨日中央省庁に速達書留で郵送したのだ
締め切りの二日前だった、担当指導員の彼女と「小説一冊書き上げたようだね」と顔を見合わせて笑った
なかなか厳しい審査だというからまだまだ予断を許さない、無理だろうが何だろうが、チャレンジするしか仕方ない
先の見えない今は過去につながっていても仕方ない、ダメなものはダメでさっさと切り替えが必要だ
始まってから10ヶ月経つが状況は悪化するばかりだ、人の知恵など自然界の脅威の前では脆いものなのだ

今日は半年ぶりにメインストリートの食堂に行った、銀行もしばらく行ってなかったので銀行巡りをして
腹が空いたので、友達の食堂に寄ったのだ(いつもの同級生の食堂とは違う)
なんだか急にカツどんを食いたくなって、メニューを見るまではそう思っていたのだが、なべ焼きのメニューがあった
季節限定のなべ焼きは私の大好物で、それを注文した、だけど足りない気がしたので卵丼も注文した、本当はカツどんにしたかったが食べきれまい
「卵どんは少なめにしときますか?」運び出しの店員さんが気を利かして聞いてきた、なるほどそれはいい、お願いした
店員さんの息子と私の息子は同級生で、地元も同じなので、この人とは馴染みなのだ
しばらくすると、またやってきて「旦那さんが『海老天も入れますか?』言ってますが?」と聞いてきた
去年までの私の好みを覚えてくれているのが嬉しい「お願いします」

この店のおばあちゃんが出てきた、85歳くらいかな「yottinさんの声がしたみたいだから来てみたら、やっぱりそうだ」
「久しぶりですね、お元気そうで」
ちょっと世間話をしたが飲食店同士、やっぱり話はコロナに行ってしまう
「だけどさ、今までが良すぎたんだよ、このくらいのことはあたりまえだと思わないとね、電気だってこのとおりだもん、
端から端までいっぱいつけてさ、昔は一つの電氣で風呂敷かぶせたこともあった、みんな贅沢になったんだよ」
「そうですね、おれも親父たちの戦争の時を思えばこのくらいは苦労のうちに入らんと思ってるんですよ」
「そうだね、食い物だって贅沢なほどあるし、配給のサツマイモを家族で分けて食べた時代もある、今のこれくらいでもいいほうだよ
苦労すりゃ、いろいろ考えるようになるし悪いことばっかじゃないさ」

なべ焼きと卵丼がやってきた、ちょうどよい量だ。 「味噌汁も食べて下さい」「お茶お替りいかがですか」
今まで以上にサービスが良くなった、この店も親父も一皮むけたようだ、コロナにも学ぶところはある。
なべ焼きを見て思い出した、三年ほど前の暑い夏の日に東京へ行った、神宮外苑に車を停めて青山だか赤坂だかのカナダ大使館へ行ったとき
(旅行の件で問い合わせに行ったのだが、結局旅行には行かなかった)
東京を歩くと面白い、東京は思ったよりも狭い土地の中にテレビに出てくる名前がどんどん現れる
カナダ大使館の周りだけでも、乃木坂、高橋是清記念公園、富山県の会館まである

腹が減って土地勘のない場所を歩き回って、ようやく赤坂小近くの路地で小さな食堂を見つけて入った
坂の上り下りで汗もかいて冷やし中華でも食べようとメニューを見たら、真夏と言うに鍋焼きうどんがあった
もちろん大好物だから注文するに決まっている、真夏のなべ焼きもうまいものだ、特にこの店のは量も多くて味もいい
いい体験をした










1941 12 08

2020年12月08日 19時27分01秒 | 昭和という時代
1941  12  09 腹違いの叔父さんの誕生日
叔父さんが生まれた日、日本中はラジオ放送で沸き立っていた
ハワイ真珠湾攻撃が大成功、マレー半島への上陸も成功、大日本帝国は二方面への軍事作戦がことごとく成功した
今時の若い人は「なんのこっちゃ?」だろう

日本は満州国を建設し、さらに中国に攻め込んで首都南京、上海を占領、アメリカやイギリスの虎の尾を踏んだ
結果、石油や鉄など日本では生産できない軍事資源を止められて、米英の言うことを聞いて中国、満州から撤退するか
それとも余力あるうちに米英と戦争を始めるかの選択に迫られた
すでに中国と数年戦って勝利を重ねていた陸軍は、中国での戦線拡大を望む傾向があり、米英何するものぞ!と鼻息荒い
海軍はアメリカ通の山本五十六などアメリカの底力を知っている者はアメリカとの戦争は避けるべきと言った
しかし山本は遠くに追いやられ、その間に開戦派がのし上がって、ついに天皇陛下の戦争やむなしの許諾をえたのであった

日本軍は連戦連勝でマレー半島、シンガポール、ビルマと勝ち進み、海軍もニューギニアからラバウル方面まで進出した
しかし開戦から半年ほどで作戦の失敗からハワイ前方のミッドウェイで海軍が大型空母4隻と航空機200機以上+ベテランパイロットを失って大敗した
それ以後も各地で勝ったり負けたりしていたが、昭和19年ころからは軍艦、飛行機、武器弾薬、石油の補充がつかぬ日本は
軍艦や航空機をどんどん量産して増やしていくアメリカと大きな戦力差がついて南方のいたるところで島守備隊の玉砕が続いた
ついにグアム、サイパンを占領したアメリカ軍は新型爆撃機B29の基地を作って日本の太平洋岸の大都市爆撃を開始した
日本機の攻撃があって、B29は高空から爆撃するので命中率は悪かったが、硫黄島を占領するとB29を守る護衛戦闘機も使えるようになった
防弾が厚く、馬力があるアメリカの重戦闘機に軽量なゼロ戦なども歯が立たなくなった
B29は低空からの爆撃が可能となり、軍需工場、港湾、飛行場などを爆撃して日本の抵抗力を弱めた
そして20年3月10日深夜には2~3時間にわたって東京を爆撃して100万戸を焼き10万人以上の一般市民を焼き殺した
8月には広島、長崎に人類史上初めて原爆を投下して、合わせて20万人もの一般市民を殺した
それからも全国の都市を爆撃して多くの国民を殺傷した、昭和20年はアメリカのワンサイドゲームで日本は打たれ続けるだけだった
沖縄は特に悲惨だった、日本が初めて経験する国内での戦闘だ、県民は逃げることもできない島の中で大勢が犠牲になった

17年前半までの勝ち戦の連続の時に、米英と停戦講和をすれば有利な条件で戦争を終結できたという軍人もいたとか
しかし後悔先に立たず、その後の結果は歴史の通りだ
それでもIF?もし、そこで講和がなっていたら、2020年の日本はどんな国になっていただろうか?
今も朝鮮半島は日本領だろうか? 中国はどんな国になっていただろうか?
毛沢東は、蒋介石は中国をどのようにしていただろうか? 台湾は?
日米関係は? 日ソ関係は? ドイツはどうなったのだろうか?

歴史は国家のリーダーシップで未来まで変わってしまう、戦争を開始した時の日本のリーダーたちは「イケイケ」だった
国民もマスコミも皆「イケイケ」だった、勝っているときはだいたいそんなものだ

それまでは政治家にも軍人にも、戦争に反対する発言をする人たちはいたのだ
しかし昭和11年2月26日に青年将校たちが決起して、
天皇陛下の側近で、軍に物言う政治家などを襲って総理大臣など数名を殺した2.26事件が起こった
それ以来、政治家は軍人を恐れて心を閉ざした、これが軍が政権まで担って戦争遂行した原因となった

それが4年後に悲惨な結末を迎え、今もなお日本は完全な独立国家と言えない
何かにつけ「敗戦国」の傷に塩を塗り込まれている








感動! 有言実行! 新谷仁美

2020年12月05日 14時29分27秒 | マラソン/駅伝
日本陸上女子1万m、レース前に一周74秒で日本新記録を出すと広言した新谷(にいや)
スタート前には緊張感というより、思い詰めたような悲壮な表情をしていた
序盤こそ2位につけていたが2000mで飛び出すと、ついて行ったのはマラソンで五輪内定した一山だけ
一周70から74秒で安定したハイペース3000mで一山も離れていく、その一山も参加標準記録を大幅に上回る
5000mではラストの選手を一周抜いた、抜かれた選手も全日本クラスの選手だ
この時の新谷の5000mのタイムは1万mの半分の時点なのにもかかわらず、この前の5000m決勝の3位になるタイムとは驚き
もちろん参加標準を大きく上回り、日本記録さえ大幅に上回っている、解説も、とばしすぎではと心配している
結果は、18年前に渋井陽子が作った日本記録を28秒以上も上回る大記録、30分20秒だった
ゴール直前では参加標準記録とほぼ同じペースの3位選手までも一周抜き去った、結局21名中1周抜かれなかったのは一山だけだった
新谷は記録が悪くても今回優勝するだけで五輪内定を得ることができた、しかし彼女が挑戦したのは代表決定より世界との戦いだった
新谷を見ているとまわりの選手と競っているというように見えない、彼女の目には周回遅れの選手が、先行する世界の選手に見えたのでは?

彼女は世界と戦っていたのだ、しかし新谷の大新記録も世界記録より、まだ1分遅い
あと30秒縮めたらオリンピックでのメダルが見えてくるだろう、それにしても彼女は何年も陸上から離れていて
近年、再挑戦した32歳だ、駅伝でいきなり凄い走りをみせて私を感動させた、そして今日も一番楽しみにしていたレースだった
大満足させてくれた新谷は鈴木亜由子に続き、ファンになった二人目の女子陸上選手だ

実はもう一人居るのだ、こちらはフレッシュな若手だ、高校駅伝、実業団、都道府県対抗駅伝で区間賞連発
廣中璃梨佳20歳だ、駅伝では常にオーラに輝いていた
背が高く、高い位置で振る腕は、前後に幅広くてしかも早い、とにかく腕の振りがカッコ良すぎる
トレードマークの帽子もカッコいい!
今日は5000mで21歳の田中希実と、手に汗握る一騎打ちで最後まで目が離せなかった
わずか1.5秒差で田中が勝ったが、標準記録を再度破る好記録で次回に五輪内定をかけることができる
私の三人のカッコいい陸上女子選手、すでに二人は五輪内定を決めた、あとは廣中に期待する
男子でも1万mで三人が日本記録を五年ぶりに更新、相澤晃が五輪内定を決めたが女子のカッコ良さが目立った1日だった




インフルエンザワクチンを打ってきた

2020年12月04日 23時10分59秒 | 病気と健康
久しぶりに緊張した
ここの医院の看護婦さんは、先生の性格のせいなのか、みんなフレンドリーだ
「yottinさん 何歳?65歳になった?」「70歳」
「今はみんな若いから歳がわからないわ」
ちょっと緊張がほぐれた
「去年打った?」「初めてだよ」「えっ、じゃぁこれ読んでサインして」
副作用の手引きを見て、一瞬やめようかなと弱気が
それでもまな板の鯉、仕方なく腕を出した
針が入った、チクッのチくらい、これから液が入るときが少し痛いって、つーくんから聞いた
少しも痛くないうちに針は抜けた、唖然!
「先生!ぜんぜん痛くないですね」「あっ そう?、体質が合う人がいるんだよな」
「ああ 体質合っているんですかね」
「年明けに肺炎球菌もやろうか? インフルより痛くないよ」
「インフルが痛くないから、もっと痛くないってどれくらい痛くないんだろう?」
で、予防接種に自信を持った私は3月までに肺炎球菌ワクチンを打ち、毎年インフルエンザワクチンも打つことに決めたのでした

あっけない幕切れ インフル注射

2020年12月03日 12時16分54秒 | 病気と健康
今朝は朝から気持ちの良い陽が差している
昨日も朝顔の大輪が二つ開いていた、もう12月寒い日なのに咲いているのがけなげで、思わずそっと触れて「ごくろうさん」

今日は一週間ぶりの休みだが、会社にきて小規模事業者持続化補助金の申請書を書いている
起死回生の新規事業を応援する補助金だが、これがなかなか手ごわい、商工会議所の指導を受けながら、まだ合格点に達しない
参考にする機構の説明書が75ページもあるのだ、老境にさしかかった頭を振り絞って挑戦している
9時からはじめて12時に終わり、また指導員のところにメールで送った

そんな時、電話がかかってきた
私が生まれた時からのかかりつけ医院からだ、もう70年ものつきあいで今の先生は三代目、私より10歳以上若い
先代はなかなかの名物先生で、父とほぼ同年で歯に衣を着せぬ豪快な先生だった、今の若先生はタイプが違うが安心感がある信頼できる先生だ
私の店から徒歩5分だから、37度の熱が出るとすぐに飛んでいって注射を打ってもらう、今時珍しい注射を打つ先生だ
そこの看護婦さんからの電話だった
「yottinさん、インフルエンザのワクチン注射の予約を受けていますがいつ見えられます?、そろそろなくなりますよ」
婦長さんは我が家の隣の娘さん、レントゲン技師はその夫
問い合わせしたのは11月3日だったが・・・
「え~!」予約になっていたんか? 問い合わせのつもりだったのになあ~
と言うわけで、擦った揉んだとお騒がせしていたインフルエンザの一件は落着であります、明日の夕方行くことになりました
皆様、アドバイスありがとうございました  シクシク