神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 136 南蛮人、唐人

2023年01月26日 17時25分52秒 | 貧乏太閤記
 秀吉の禁教令や伴天連追放令が霞んでいる
1543年薩摩の対岸種子島(たねがしま)に難破漂着したポルトガル船から、日本との関係が出来て、イエズス会の布教が九州から中国地方に広まった
その後、交易がはじまり日本貿易を独占する。
ただ堺の商人は、ルソンまで乗り出してスペインと交易をおこなっていた。
唐入りの前に秀吉は伴天連追放令と、キリスト教の禁止を明言した
この時、日本にはキリシタン大名がけっこういたのだ、高山右近、小西行長、大友宗麟、黒田官兵衛、京極高次、蒲生氏郷、毛利秀包、細川忠興の奥(明智光秀の娘,珠)大村、有馬、織田秀信、伊達政宗も家臣団をローマ法王に送り込んでいる、この他にもまだまだいる
なのに、秀吉の禁教令をまともに受けて大名をやめてキリシタンに固執したのは高山右近だけである
後の大名は秀吉に罰された様子が無い、小西や前田などは改易された高山右近を匿っているし、領地の天草にはキリシタンを支援して教会を建てたり、後には徳川幕府と一戦交えた天草四郎などが排出される)
他のキリシタン大名も古来の仏教寺院を破壊するなど、のめりこみが尋常ではない。 しかし・・・
 天下を取ってしまった秀吉にとって、もはや何を言っても、何を覆しても通るという意識があって、朝令暮改も気にならなくなったのではないか
それを「秀吉の気まぐれ」としてとらえた大名が適当に対処していたのだと思われる、高山のように真正面から取り上げずともやって行かれたのだろう
小西の肥後天草でのキリシタンの拡大は、秀吉の政策の正反対をいっているが
秀吉は重用している。

 3月、小西は大明国の講和使、沈らと講和条約の会談を秀吉に伝えて、講和条件を求めた
秀吉は朝鮮のことについて明と日本のすべきことで次の条件を示したという
(これは、あくまでも朝鮮の戦後処理だけで、明と日本の二国間条約は後日決める)
1.明の使節を名護屋によこすこと(これは、明が降伏した証)
2.明は朝鮮から撤退する
3.日本は漢城から撤退
4.捕虜の朝鮮王子を返す
5.朝鮮は新たに王子1名を人質によこし、大臣も人質として1名、来日させる
など
 沈は、この条約の内。1項を除いて遼東の明軍総帥、李如松に伝えると、李も納得して北京に伝えた。
「これで明皇帝の方はとりあえず片付いたが、明の使節はどうするのだ」
小西は沈に聞いた、するとこともなげに
「それは我々が準備して倭国に送りこむ」
「それでは明の皇帝の承認がないではないか」
「そんなものは今は必要ありませんよ小西殿、明の皇帝と太閤殿下の両方が満足すればそれでいいではないですか」
「それはそうだが」
「前にも言いましたが、明の皇帝が倭国に降参する必要はまったくありません、だがそれではまた戦争です、もう倭国の兵は戦えないでしょう、明だって朝鮮の為に自国の兵を死なせるのは嬉しくありませんよ。
明の皇帝は日本軍が撤退して、皇子を返してよこせば朝鮮から感謝される、倭の王は、明が降伏したと満足する、それで丸く収まる
これが本当か嘘かなど、互いに調べることはないでしょう、倭の王にしても朝鮮の使節が行くことで降伏したと思い、一年や二年はあらためて確認をすることはありますまい」
「ふむ、それではわが方からも明へ使者を出すとしよう、儂の重臣を送るからこちらも秘密が漏れる心配はない」
「ははは、小西殿と儂は馬が合いそうですな、これからも明と倭国の平和のために協力を頼みます」
「同じ国に生まれていたら良き友であったかもしれぬ、残念じゃ」
「この先、そうなるやもしれませぬぞ、よろしく頼みます」
「うむ、こちらこそ頼み申す」
出自も定かでない沈が、なぜ明国の代表的な外交官になれたのかは誰もわからない
日本で言えば、斎藤道三、伊勢新九郎(北条早雲)、滝川一益の類ではなかったのだろうか?

 4月半ば、日本軍は全て漢城を去り、尚州へと向かった
朝鮮軍に途中襲われぬよう、あるいは明軍の追撃が無いように二人の王子を人質として連行している。
そして、それを見届けると小西行長は「これより明の使節を伴って名護屋に向かいます」という手紙を秀吉に送った。
たちまち名護屋の大名や町人、兵たちに噂が広がり
「明から降伏の使者がやってくるそうじゃ、どの面下げてくるものやら、石でも投げてやればよい」などと不穏な雰囲気になって来た
その話を聞くと秀吉は近習に命じた
「もし明の使節に乱暴狼藉を働く者があれば、その者はもちろん、その主も極刑に処すと大名、商人、寺社、名主、町役人に触れを出せ」
秀吉が此度の明使に和平の期待をかけているかがわかる、どこで秀吉の心が変わり始めたのか、一気に唐入りできると思ったが目論見が狂ったのが原因なのか、朝鮮の風土、民心、気候、何より世界一安全な水を飲んでいる日本人にとって、朝鮮の水はからだに悪い、生水を飲むとたちまち下痢をした
これは昔の朝鮮に限らず、現代も日本人には外国の水は合わない
冬の寒さも日本の比ではない、北海道ならそれはわかるが、当時、日本人はまだ北海道に住んでいない
このように、屈強な日本の戦士が敵には負けないのに、朝鮮の自然に負けてしまった、これは秀吉にとって予想外だったと言えよう。

 5月の半ばに小西は2名の使節を連れて名護屋に到着した、秀吉はしばし仕事が溜まっており会えぬが「丁重にもてなすように」と奉行に伝えた
当分は徳川家康と前田利家が使者の面倒を見て、宿舎としてそれぞれの屋敷の一室を提供した。



晴れましたよ

2023年01月26日 10時24分10秒 | 散歩道
朝から良い天気

でも北越四県(福井、石川、富山、新潟)の予報は100パーセント雪、安心できませんね
午後から雪かな?
一昨日から今朝までの予報は60cmだったけど3cmしか降らなかった
はて?今日の予報は当たり?外れ?