神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

山城を見て

2020年08月05日 10時11分17秒 | 日本の城

ドライブをしていて時々目に入るのは中世の山城の看板

先日は気晴らしに和倉温泉の能登島まで一気に走ってみたが

七尾市で七尾城址の看板を見つけた

少し先に見える小高い山がそれなのだと思った

きっと本丸跡からは七尾湾と能登島が一望できるのだろう

1576年越後春日山の上杉謙信がここまで攻め寄せて落城させたという

ここで吟じたという句は今に伝わっている

この勝利の勢いで、後詰に来ていた織田信長の大軍を加賀の手取川で

散々に打ち破ったことも有名だ

信長自身も来ていたとかいないとか、とにかく謙信の強さに信長は

逃げ惑ったとか

中世ではずば抜けた先進的な頭脳の持ち主、織田信長だが、武田信玄と

上杉謙信だけは敵にしてはまずいと思って、御機嫌取りに終始した

恐竜でいえば凶暴な2匹の巨大ティラノサウルスと、小柄だがスピード感があり

知恵が回る組織力のラプトルのようなイメージ

その代わり息子の代になると信長は武田家を滅ぼし、上杉家も本能寺の変が

無ければ滅ぼされていた、まさに危機一髪のところで明智光秀に救われたのだ

それと同じく四国の長曾我部氏も明智光秀の謀反で救われた

(本能寺の変は、この長曾我部討伐が原因だと近年の有力説になってきた)

だが、豊臣秀吉が天下を取ると長曾我部と上杉の明暗が分かれた

越中富山城で抵抗する織田家重臣、佐々成政を攻めるため上杉景勝に協力を

要請して挟み撃ちにすることで、佐々を降伏させた

その後、上杉家の越後領安泰を保証して秀吉の配下に景勝を組み込んだ

これで明治維新まで、いや今日まで上杉家は続いたのだ

一方、四国全土が領地の長曾我部氏は秀吉から土佐一国だけにして、あとは

元の持ち主に返すよう言われたが抵抗した、しかし戦ってみたら近代装備の

秀吉軍に全く歯が立たず、あっさりと降参した

潔さが気に入った秀吉は土佐一国を与えて存続させた、その恩義を感じたのか

関ヶ原の戦い、大阪城の戦いで豊臣方に味方して滅びた