地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

おかねと人生

2010年05月07日 | お仕事日記
原稿料の請求書を書こうと思ってボールペンを手に取ったら、
おかねについての大切なことを書きたくなったので、書いてみたいと思う。
「おかねと人生」
本が一冊、書けるテーマだ。

人生とは、時間であり、お金ではない。
お金は、人生という時間を豊かにする道具だ。

言うまでもない。こうして書いてしまえば、当たり前すぎて
書くにも値しないようなことだ。

しかし、大学を卒業したての私がそうだったように、
お金で悩んでいる人は多い。

贅沢にも、実家暮らしの恩恵にあずかっていた私が、
どうしてお金で悩んでいたのか?
今思うと不思議でしょうがない。
でも、私は、ものすごーーーく悩んでいた。
こんなに忙しいのに、どうしてお給料が安いのか。
もっと稼ぎたい。年収1000万円になりたい。
高給取りとになりたい。でもできていない。
まわりの友達はもっと稼いでいるのに。
住宅手当やボーナスがうらやましい。。。
四六時中とは言わないまでも、かなりの時間、
そのような"うわごと"が頭の中を駆け巡っていた。

なぜだったのか?
もう、答えは見つかっている。

それは、稼いでいる金額が人より多いか少ないかが、
自分の価値だと思っていたからだ。
そのような価値観を持つに至ったのは、
幼い頃からの受験人生で、
テストの点数や通う学校の偏差値が人より高いか低いかが、
自分の価値だと思わされてきたから。
点数と偏差値が、社会にでてお金を稼ぐようになったら、年収に代わったのだ。

今、私の年収は、当時と大して変わっていなくて、
多分、相変わらず、同級生よりも少ないと思う。

だけれども、そんなことは、どうでもいい。
理由はみっつ。

ひとつは、仕事の充実感や仕事以外の時間の楽しさは、お金に比例しないから。
ふたつめは、年収が100万円だろうが1000万円だろうが、そんなものは、
兆の単位で動いている世界のマネーの濁流のうちの一滴に過ぎず、一喜一憂するに値しないから。
みっつめは、私には経済的に余裕のある両親がいて、
一文無しになったら両親を頼ればいい境遇にあるからだ。

みっつめを読んで、イヤミなやつだと思った人もいるだろう。
「自立していない」と、私を軽んじる人もいるかもしれない。

だけど、お金で悩む人のうちの何割かにも、私と同じように
経済的に余裕のある両親がいるはずなのだ。
むしろ、生活に「必要」なお金に「困っている」人ではなくて、
プライドのためのお金を「ほしがる」ことで、人はお金に「悩む」のだと思う。
プライドが、誰かに頼ることや、人並みではないことを、許さないのだと思う。

仕事以外の時間の楽しさで言えば、私にはサーフィンがあるから、大してお金は必要ない。
サーフィンは、ものやお金ではなく、自分自身に備わっている肉体と精神を使う遊びだ。
だから楽しい。大金持ちが何億円はたいても、その人のサーフィンを上達させることはできない。
絶対に、できない。

同じことが、料理にも、ギターにも、ダンスにも、楽器の演奏にも、言える。

「そんなこと言ったって、お給料が安いせいで長時間はたらかなきゃいけなくて、
 練習する時間がとれないせいで上達しないんだから、やっぱりお金が必要じゃないか」
という意見もあると思う。

・・・とそろそろインタビューの仕事に行かなきゃ。つづきはまた。

つづく。

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