地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

知識は助け。

2012年05月03日 | お仕事日記
人は、何によって世界とつながっているんだろうか。

私の場合、まず、定職はない。よって安定した収入もない。
(仕事に対するこだわりはめちゃくちゃあるけど)
未婚で子どもはいなくて、ついでにパートナーもいない。
この4年あまりで12箇所ぐらい住居が変わっている。

見るからに、糸の切れたタコ状態で、世界に浮遊している。

そんな私が、精神を病まずに、なんとか前を向いて、
目に見えない地面を踏みしめて、毎日を生きていけている。

ありがたいのは、マジメな両親が、
私が生まれてから25歳まで育った家に、今もまだいてくれることだ。
「帰る家をイメージしなさい」と言われたら、
間違いなく私は、東京のベッドタウンのマンションの8階の茶色いドアを思い浮かべる。

でもそれだけでは、多分、生きていけてはいない。
それは、私がもう大人だからだ。
いくらラクで快適でも、そろそろ実家を出たいなとある日ふと思ってしまったことがある人なら、わかると思う。
両親の家は、イメージの中の「いざとなったら帰る家」ではあっても、
現実に毎日帰る家ではもう、ないのだ。
蝶はさなぎには戻らない。

昨日、
震災と津波と原発事故によって、
これから何をして生きて行けばいいのかわからなくなったという人と話をした。
揺らぎがあってこそ人間で、人生だと思うけれど、その人は、
ちょっと揺れすぎているような気がした。揺れすぎて、水がこぼれて、
重心を失って、ますます揺れがはげしくなっているような。
隣にいても、いないみたいで、半透明なのじゃないかと目をこらしてしまった。
本当に。

ここでいきなり結論を書く。

知識は人生を助ける。

私は、われながらネクラだなあ、とため息が出るけれど、
もうずっと前から「この世界はこのままじゃだめだ」と思ってきた。
どんなにビールがおいしくても、オモシロイ人と会ってオモシロクても、
いつも心の底では「この世界は今のままじゃだめだ」と思い続けてきたことだけは
間違いない。大前提として。
はじめは肌感覚だったその意識は、知識欲を生み、
知識欲は「なにがどのくらいダメなのか」という問いに自分なりの答えが見つかるまで
やむことはない。現在進行形。本・映画・セミナー エンドレス。それでいい。それがいい。
やがて、世界のダメさは、私の一部になった。
世界がダメなら、私もダメなのだ。
だから、直さなきゃならないのだ。
そうして、私は世界に対する態度を決め、居場所と覚悟を得た。

つまり、
知識によって、私はやるべきことを見つけ、フォーカスする対象を見つけ、
居場所が見つかり、今生きていられているといっていい。

だから、地震→津波→原発 についても、ソッコーで、
自分なりに意味づけ、自分の世界認識の中に位置づけた。
「何が起きたのか」を。

3.11は、
金持ちになるか貧乏になるかを競争するある意味牧歌的な時代は終わって、
生きるか死ぬかのサバイバルの時代に突入してるんだってことを、
人間が思い知るために起きたのだ。

昨日話した半透明の人は、「何が起きたのか、半年後までわからなかった」と言っていた。

この言葉が胸に突き刺さったから、今日私はこのブログを書いている。

私が思うに、彼女は、あまりにも世界を知らなさすぎた。
だから、起きたことを、頭の中の何とも、結びつけることができなかったのじゃないだろうか。
ただ、ショックだけがあり、体調を崩し、迷子になって、沖縄に漂着した。
彼女がもう一度世界とつながるためには、世界を知ることが必要なんだと思う。
どこからでもいいから。

私が彼女に言えたことは、「とにかく1冊でいいから、原発の本を読んで」だった。
本当は原発じゃなくてもよくて、歴史でも誰かの伝記でも蝶の生態とか
マーケティングとか、なんでもいいんだけど、
とにかく「現実」についてなら。
ただ、今私にとって一番リアルな「現実」が「原発」だから、というのと、
彼女とは、最初は「シェーナウの想い」というチェルノブイリ後のドイツのとある街で
起きた市民運動の映画の上映会で会ったから。

そして私は彼女から教わった。
依って立つ目に見えない地面に根をはる知識を通して、
私は世界とつながっている。

当たり前だけど、別にそれがベストな方法だとか、
これからもずっとそうだとか言っている訳じゃない。
ただ、今、私は、そうだ、ということを、確認したのだ。

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