タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

静かさや 菖蒲花咲く 美人塚。

2012-06-23 | 風景

新聞に出ていた松江市・上意東にある、美人塚」の菖蒲の花

を見に行きました。

塚の場所が分からず、車を止めて思案していると、木陰で休憩

していた土地の古老二人(ご婦人)、「どこへ行きなさるかね?」

逆に声を掛けられた。

美人塚の所在について尋ねると、地元に今も伝わる「大江美人

伝説」を、問ず語りに(いや失礼!)延々と聞かされました。

大江(だいご)美人伝説

昔々、室町の頃(たかだか680年ほど前の話)、京都に足利将軍の御

殿があったげな・・・

松江市東出雲町上意東の、此処だいご大江の里に一人の 

子が生まれ、この子は成長するに従い、輝くように美しい娘と

なり、「大江美人」と村中の評判でした。

娘は年頃になると、近郷から婿を迎え相思相愛、片時も一緒に

居たと思う二人でしたが、働かなくては食べて行けず、男は昼間

は外で野良仕事、女は屋家で針仕事をしなくてはならず、何時も

一緒に過ごすという訳には行きません。

男は思案の末、地元の絵師に妻の絵を描かせ、この絵を野良仕

の時も手元に置き働いておりました。

ある日野良仕事をしていると、西の方から強い風が吹いて来て、

が空に舞い上がってしまいました。

それから数日の後、東方の将軍家の庭に絵は落ちたげな・・・

この絵が、時の将軍の目に止まり、「西国に、この絵の美人がき

っと居るはずだ。 連れて参れ」と部下に命じ、とうとう出雲の国

上意東の地で探しあて京都に連れ帰らせました。

男は最愛の妻を連れ去られ、悲しい日々を送っておりましたが、

風の便りに55日の端午の節句には、「菖蒲売り」が将軍家の

庭に入ることを許されると聞き、近くの池で菖蒲の花を刈り取り、

早速、京都に向け昼夜を問わず歩き続け、遂に京都に着きまし

た。

しかし既に節句の翌5月6日になってしまっておりました。

御殿には入れてもらえないため、塀の外から「菖蒲~や、菖蒲」

と悲しい声で売り歩きました。

御殿の人達は、「6日の菖蒲売りが来た」と笑いましたが、その

声を夫の声と聞き分けた妻は、こっそり外に抜け出して、夫と会

う事が出来ました。

二人は、その晩打ち合わせ通り御殿を逃げ出し、人目を忍んで

逃げに逃げ、ある朝やっと懐かしい意東川の畔に辿り着きまし

た。

南を望むと、生まれ故郷の上意東の山々がぼんやりと見え、女

は張り詰めていた気持が一気に緩んで、そのままそこで息絶え

てしまい、男は泣きながら、女を故郷の地に葬ってやりました。

こののち上意東の人々は、この話を語り継ぎ(この様に?)、こ

の美人塚に花や線香を手向けて、薄命の大江美人の供養をす

る様になりましたげな・・・

口伝の悲話にふさわしく、路傍の塚は小さな菖蒲の畑の花に囲

まれて、心なしか静かに咲いていました。

五輪のは、上から「宝珠の空輪」「晴花の風輪」「笠の火輪」

「塔身の水輪」「基礎の地輪」と呼ばれ、時の流れに風化し苔生

しており、古老の迫力ある話や、塚の存在からも、強い夫婦の絆

を感じさせられる一日となりました。

             ~今日も良い一日を~


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