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八十路徒然なるままに

七夕まつるこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁なきてくるころ、萩の下葉色づくほどーーーー。徒然草より

礼状に添えられていた

2020年09月17日 15時40分05秒 | Weblog

画像は、拙ブログの、8月26日に、書いた、怪訝な表情の人から、届いたその時の礼が、書いてあったのに、添付してあった。画像の下部に、常福寺旧参道の石仏群とある。話には聞いていたが、訪れたことは無い。新参者が、写経会の末席に、座している。写経生とは、お茶をご馳走になるときに、談笑はしている。閼伽井嶽のことは、新参者なので、話題にならない、案内によると、閼伽井嶽薬師常福寺は、天平六年、734年ころ、東北地方に大地震があり、疫病が流行したという。善無畏三蔵伝来の薬師如来を護持して、祈願をして疫病を封じ込めたという。その地で、写経と修法につとめたという。この地に、写経を納め、経塚という。後に、現在地に、寺を移し、諸堂を整備したという。長々と書いたが、写経生の端くれなのだが、経塚と旧参道は、めぐりたいと思っている。図らずも、礼状で、旧参道には、画像の石仏が並んでいるのが、知った。怪訝な表情の人と、分かれた車の中で、晩夏と云っても日暮れは早い。山地で、迷わないかなぁと。もうちょっとお付き合いして、何で、巨木を愛でているのか、聞いてみたかったなぁだった。画像の上部の、ホームページを覗くと、いやはや、あるはあるはだぁ。一つ一つから、なにか得ているのだろ。


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閼伽井嶽薬師銅版図

2020年09月17日 14時21分27秒 | Weblog

画像は、写経会の時、見せていただいもの。図の下には、[東京市浅草區茅町精工社銅版部][1896年製]とある。「この図版は、赤銅に手彫りしたもので、平活版所が、社宝として、現在まで所蔵してきたものですが、このたび、赤井嶽開山一千百五十年祭を記念して、寄進されたものです。今回の記念に複版して、皆様に御頒ちする次第であります。」とある。別の資料によると、明治十一年、1878年、二月に、野火により類焼とあり、また、昭和八年、1933年、十一月に、奥の院を残して、全焼したと、読んだ。昭和十七年に、落成した堂宇で、翌年に本坊を、昭和48年、1973年に、不動堂を、翌年に、鐘楼堂を、落慶している、と読んだ。この銅版図をみると、石段を上る参道と、現在の県道と思う参道を上る人影が、刻くされている。現在に伝わっている、「龍燈伝説」の龍燈を見物ための、宿泊施設もあったと、聞いている。県内随一の巨刹と、いわれている。


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季節が入れ替わった

2020年09月12日 14時25分13秒 | Weblog

昨日から、曇天、雨が降ったりしている。ばらばらばらっと、降りだしたとら、ぱらっと、やんだり、しとしとしとと、降ったりしている。蒸しっとしていても、風でちょろっと涼しい。季節が入れ替わったようだ。昨今は、所所で、どっひゃーっと、バケツをひっくり返したような、雨がふる。雨降りに、風情があるなぁなんてゆうのは無い。身に危険を及ぼすような雨がふる。画像は、エルニーニョ現象と、ラニーニャ現象の発生期間の表。最上段は、1950年から1959年の10年間。二段目は、1960年から、三段目は、1970年から、四段目は、1980年から、五段目は、1990年から、最下段は、2000年からの、それぞれの、10年間。水色の期間は、ラ・ニーニャの期間。ピンク色は、エル・ニーニョの期間。だいぶ前、2007年に、発表したのです。色付けは、小生がしましたので、ずれがありましたら、ご容赦ください。長々とかいたのは、先日、気象庁が、「ラ・ニーニャ現象が発生したとみられる。今後冬にかけては、ラ・ニーニャ現象が続く可能性が高い[70%]」と、発表したので、思い出して、画像にのせました。ものの本には、「海洋は大きな熱容量を持ち、大気に熱や水蒸気を補給し、大気の運動に影響を与える」と、世界各地に異常気象をもたらす、とある。「ラ・ニーニャ現象が起こると、日本では夏暑く、冬は寒くなる傾向がある」と、読んだ。スペイン語で、エル・ニーニョは「神の子、男の子」。ラ・ニーニャは「女の子、少女」と読んだ。

 


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菊の節句

2020年09月08日 20時42分27秒 | Weblog

今日は、九月九日は、重陽の節句という。数字には、陽の数字が、奇数で、陰の数字は、偶数という。なんか、易の原理からのようだ。難しいことなので、分かりません。「一」、「三」、「五」、「七」、「九」と、重なって、陽の数字では、最高になるという。太陰太陽暦の、九月九日は、今年は、十月の二十五日になる。菊の節句という。また、栗ご飯を食べるのも、よしとか。昔は、自然を愛でるのだろう。画像は、だいぶ前の、我が家のお墓に供えた菊。花屋さんからは、菊の単品で、割高な値でも、買ってくる。お墓は、春と秋の彼岸と、お盆と、義父の命日に、供える。仏壇には、常に供えている。夏場は、すぐにダメになるが、寒い時期には、かなり長い間、枯れない。花屋さんには、菊の単品が、無い時もある。残暑が厳しいのは、もうしばらく、続くのだろう。昨晩も、暑かった。草むらの一匹の虫は、蒸し暑くても、勢いよく鳴いていた。秋の巡りが、来ているようだ。


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在宅介護中

2020年09月08日 13時37分54秒 | Weblog

画像は、昨年の百五歳の、記念の小冊子に、綴り込んだもの。百六歳になって、ひと月が過ぎる。いずれの日にか、この世との別れになる。どういう状態で、別れになるかは、分からない。今考えられるのは、三通りかなあ。老衰と、誤飲してのと、眠っている間にと、考えている。老衰は。食事を美味しそうに、食べているので、これはない。誤飲するのは、あるかも。半眠りしながら、食べることもある。これは、後ろ首筋の背の所を、どんどんどんと、叩く。「げっほぉ」とすれば、大丈夫。ある時のこと。ばあちゃんが、「そんなに、ぶん殴っこと、ねがっぺぇ」と、聞こえた。「ぜろっぜろっ」としているときは、とんとんとんと、叩く。これで、誤飲も、防げる。就寝中に、「おさらば」するのは、分からない。これは仕方のないこと。最終末期になっているが、それなりに、生きている。生きているのが、すまなさそうな顔に、見える時がある。頭の中では、いろいろと、考えているのだろう。


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不気味な雲

2020年09月05日 14時20分00秒 | Weblog

以前に撮った、九月も終わりの頃の空。怪しげな色だった。テレビの報道で、災害が発生する台風が、接近中という。ものの本によれば、八月の下旬は統計的には、上陸数は、多い。九月は、下旬にかけて、大型のものが、襲来するとある。ちょっと前には、二百十日とか、二百二十日とか、災害が多くなると聞いていた。辞典をぺらぺらとめくって、「野分け」を読むと、「野分き」と同じで、二百十日、二百二十日前後に吹く、暴風。台風。とある。また、秋から初冬にかけて吹く強い風と、読んだ。別の本には、陰暦の八月に吹く大風をいうとある。分かったような、分からないような、気分。二百十日、二十日も、野分けも、要は、陰暦の時代に使っていたことなのだろうと、納得をしている。別のことだが、八月の下旬に、虫の鳴き声が聞こえたと、思ったら、九月なって、聞こえず。虫も、何時から、泣き続ければいいんだぁと、迷っているのかも。小林弦彦著から引用します。「秋」-紅葉不鮮―残暑厳しく、秋風遅く、台風多いか。秋は、九月十九日から。季節感の相違が、大すぎる年、年内は暖冬で、寒さは年が明けてから、読んだ。


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祭りの始まり

2020年09月02日 20時23分14秒 | Weblog

秋迎祭の始まりで、長い石段を登ってきた。長い石段を上る行進は、上から見下ろすと、傘傘だった。本堂に入る所が、画像。色鮮やかな袈裟で、紫色のもあった。写経会の時の法話の時に、夏場の暑い時期には、「紗織」の涼し気な袈裟を着用していた。冬場の寒い時期には、寒いだろうなぁと、みていた。別の話。秋の彼岸になる。今年も、あと四か月。猛暑が続き、一日だけ涼しいがあったが、今日も暑い。ものすごい台風が、来週のはじめころに、接近と報じている。新コロナに痛めつくされているところへの台風は、ご免こうむりたい。いろいろの生活状況が、今までの平穏な世の中が、終わりになっているのかも。「ご破算で願いましては」と、ゼロからなのか、マイナスからなのか、世の中が、変化をしていくのかも。なんて、愁いをしてみるが、「時の流れに身をまかせーーー」なんて、思っている。


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秋迎祭

2020年09月01日 16時08分45秒 | Weblog

本来ならば、火渡りの行がある柴燈大護摩供の大祭日だが、新コロナウイルスで、三蜜を避けるために、秋迎祭になった。閼伽井嶽薬師と、呼ばれているが、案内書には、福島八十八カ所霊場の結願札所、福島浜通り十二薬師霊場の第一番札所とある。真言宗 智山派 水晶山 玉蔵院 常福寺が、正式の名称。本堂の中では、信徒、参詣者の諸願が書かれている護摩木を焚き上げる。本堂の中は、真っ暗で、護摩木の焚き上げの炎の明かりだけ。山内僧侶総出の読経は、本堂内に響き、2メートルはあろうか、大太鼓の響き共に、体にも伝わってきた。真言最極の、読経は、手を合わす参詣者にも、伝わっていた。般若心経は、数回、繰り返し唱えられていた。この迫力は、写経会に出席しているが、写経生、十数人の部屋は、無人の部屋の如く、静寂で、ほぼ二時間は、物音は全くない。般若心経の、祭りの「動」と「静」を、感じ取った一日だった。


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