八十路徒然なるままに

山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思い捨てがたきこと多し。徒然草より

所在なしの朝

2024年05月13日 12時33分53秒 | Weblog

今朝は、ほぼ十分間の、所在無し状。いつも、新聞の大きな活字を、目を通し、気象の情報を読み、必要ならば、切り抜きして、お悔やみ情報を丹念に見て終わる。長い習慣で、気温と日の出と入りは、書き残している。お悔やみの事は、近直の二年間で、告別式へは、12家、弔電で済ませたのが、遠方で三家。家族葬とあったのが二家、遠方で、家族葬で執り行ったのが一家、弔意不要と、添え書きがあった。昨年の暮れに、年賀欠礼とのはがきが、二家あったので、弔意で、欠礼したと言い訳をした。お悔やみ情報には、掲載しなかったという。二年ほど前のお盆明けに、義母の葬儀を執り行った。前述した件数は、義母の葬儀のあとからの件数で、返礼の意味もあって多い。仕事をしていた時の知り合い、小生よりほぼ一回り若い七人の告別で、これは寂しい辛い気持ちが強い。親戚関係は、病いと、漏れ伝え聞いていた。別のこと。時々ながら聴きしている落語番組で、なぞかけで、「お坊さんと新聞とかけて」と、「ととのいました」、「けさきて、きょう読む」。「今朝ー袈裟」、「今日ー経」。有名な謎かけようです。画像は画像は、昨日の折込のお知らせ。

 


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