八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

生祥

2012年04月16日 20時32分15秒 | Weblog
走り書きのひけらかし。「生祥-せいしょう-生きていることが、しあわせと」、読んだ。街の中で、浮浪者を見かけた。ぼろをまとい、両手に袋をさげ、帽子をまぶかに、うつむいて、立ち木に寄りかかって、立ちすくんでいた。何かの事情で、浮浪者になってしまったのだろう。大分前に、拙いブログに書いた物貰いは、あとを付けて行ったら、ガソリンスタンドに寄り、車でどこかえ行った。はじめに来た時は、かわいそうに思い、パンと、少しのお金をあげた。三度、四度と来ると、態度かずうずうしくなってきた。それで、あとをついていったのだつた。今回見かけた浮浪者は、どうやって、食べ物を得ているのかと、思うとむなしく思える。車を停めて,施しをすればと、思ったりもしている。昔に読んだ、文学書だと思う。著書名も忘れたが、「乞食の中にも、人格者がいるかも」と、有ったのを、記憶している。「総会屋、金城」の中に、乞食の親子に、金を届けさせ、恵んでやるくだりがある。妙に、浮浪者の姿が、頭に残る。

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