八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

若山牧水の詩 草鞋-わらじ

2012年01月16日 20時39分20秒 | Weblog
一月十五日、小正月で、七種の粥を食べる日だという。せわしなに、日々を過ごしているので、食べたつもりで、正月を終わりとしょう。粥を食べることで、今年一年の、無病息災を願うという。画像は、若山牧水の詩で、たまあぁぁに、ペラペラとめくっている前語百選の中に、「破草鞋-はそうあい-やぶれたわらじ」がある。禅僧は、履きふるして、ぼろぼになった草鞋でも、捨ててしまわずに、壁の下地に使ったり、堆肥に使ったりと、また、役にたてているという。人間が持っている、知識とか、知恵がの大切さを、示す意味もあるとある。「破草鞋」という禅語は、一口に説明は出来ない。一口に説明できる言葉ではない。スカスカの脳では、理解ができないのは、あたりまえと、逃げてしまう。画像の詩は、若山牧水の、「わらじ」というもの。禅語の「破草鞋」の説明の中にあった。賀状の時期は終わった。暮れに年賀欠礼のはがきが届く。今年は無かったが、「夫が---」、「妻が--」とあったときは、小正月が終わったころ、お悔やみの言葉と、この詩をコピ-して、送る。この詩は、夫婦の二人三脚の、別れのように思える。人生は、残りわずかになったのか、まだまだ時は十分にあるのか、日々をいのり、感謝する。それだけなのだろう。

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