原発事故が発生した当時、三月の二十日ころ、「放射線は、いわき市は安全」と、広報で、お報せがあった。その「お知らせ」を、隣組に配布していて、「放射線は」と、聞かれても、わからなかった。そんなことを、メモっていたのを、書いた。当時、関東圏に住んでいる知人が、電話で、「大丈夫かぁ」と、問い合わせがあった。町の中が、空っぽになったように、車も消え、歩行する人もなく、避難したり、家の中に居たりだった。テレビは、昼夜、連日、原発からの火柱の映像だった。どうになるものかと、不安は、重なっていた。今、福島には、住めないとか、話題になっている。六日間、避難して、世話になった。電気、ガスは、使えた。水道は、給水場が準備された。豊かさのありがたさを感じた。「住めない」には、苦々しく、思っている。
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