八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

クラス会交流誌「ぬくもり」

2014年07月10日 20時50分11秒 | Weblog
中学校卒業時の、クラス会の交流誌の第四号を作った。交流誌というほど、大げさのものではない。「夏の味」、「瀬戸峨廊」「閼伽井嶽」と作って、それに対して、感想やら、近況と、投句、「新舞子浜のスケッチ」などと、「いわきの伝説」から、「尼子橋」のこと、在宅のばあちゃんのことを、書いたのを綴った。一時、「ぬくもり」の題は、やめようとした。「ぬくもり」は、形がない。表紙にするものがない。あれこれと、なけなしの脳で考えて、思いついたのが、この「能面」。「能」は、門外漢。この「能」の本は、だいぶ前、古本市を覗いていた時、「もう一声」と、値切って、7000円で、買った。発刊時は、37000円だったかも。分厚く思い。ダンボ―ル箱に入っていた。中は手つかず、本屋さんの本棚にあったままのようだった。「能」の中の「能面」の一枚を拝借した。拝借は駄目なのだろうが、63年前の、中学校の同級生の交流誌に、免じていただきたいと、勝手に願っている。画像の右側の句は、卒業以来、会っていない。ひとり暮らしかも。この歳になると、男も女も、ひとり暮らしでいるひともいる。「ぬくもり」の言葉だけても、ぬくもられたかなぁと、考えている。今回の内容は、投句が三人、前回の「閼伽井嶽」の読了の感想、平一小への爆弾投下の想い出、風邪をひいて、お医者さんに行くとき、側溝にふらふらっとして落ち、通りかかった数人のひとが、救急車の手配や、付き添ってもらったこと、ひとりの級友は、ある本の感想文。べつの級友は、いわき市の「新舞子浜」をスケッチしたのを二枚と、「いわきの伝説」より、「尼子橋」のことを、綴りこんだ。ほとんどが、級友から届いたものだ。小生は、在宅のばあちゃんのことを書いたのを、綴りこんだ。ひとりよがって、自分も、ぬくもっている。

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