画像は在りし日の顔。前回、拒食、鬼の形相と載せた。それはデイサービスに行くのを嫌がって、パンかバナナわ食べさせようとしたが、口に入れても押し出してしまう。着替も着せようとしても、利き手で千切れんばかりの力で、剥ぎ取るほどだった。デイサービスの試しの日に様子の見学に行くと、奥の方に居たばあちゃんが、手招きしていた。手招きの動きが、早く気ずけとばかり、大きな手招きだった。三、四回は、何とか行ったが、ある時、迎えの車が来る頃だなぁと、部屋を覗くと、ばあちゃんは、泣きながら大騒ぎ。軽食もせず、着替えもできないので、迎えの車に詫びた。とりあえず、ベットに移して、眠らせた。数回、利用して戻ってきたに、懇願気味に話すには、「郵便局の前でおろして下さい」とか、四丁目辺りでおろして下さい。近くに姉がいますから、帰れます」とか、「釜屋さんからは、まっすぐな道だから、ひとりで帰れますから、おろして下さい」とか、「運転手さんに言ったが、ずんずんと走っていった」とか、涙目で話をしていた。これを聴き流した結果、前述べの大騒ぎになった。拒食になつたのも、鬼の形相になったのも、無理強いが基だった。在宅介護が始まって、通いや入居のサービスを考えていたが、さてどうするかだった。本人が嫌がるならば、何かの時期まで、在宅でいこうと、覚悟をしたものだった。鬼の形相は、狂暴性の認知症になり、ヘルパーさんや看護師さんには、迷惑をかけた。通院時の大きな待合室では、端近くのトイレへの通路に一人置きしたり、大きな怒声は響いていた。今回迄、亡ばあちゃんを懐かしかったのは、後は、七回忌の供養だなぁからです。表題の意は、「表面は怖ろしそうだが、内心はとてもやさしいこと」です。突然ですが、「暑さのこととかけて、パソコンを立ち上げる初めのこと、ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーしょきー暑気—初期ーです」。毎日、暑気なんて生易しいことではない。危険な暑さの連日。またまた、夏虫疑氷—見識が狭いことのたとえ―です。