八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

恵方巻き

2015年02月04日 20時15分53秒 | Weblog
本来ならば、ばあちゃんが食べれは、ご利益を願うところだ。ばあちゃんの食事のおかずは、介護用のもの。見た目ても、食べたくなるような、形がそっくりとしている。スプーンで、崩して、食べさしている。機嫌のよいときは、テーブルに並べると、指を指して、名前をいう。魚も、野菜も、肉も、形があるので、名前を言う。あっ、恵方巻きのことだ。昨晩も、今晩もだ。今年は、ご利益が、多いぞと、ほくそ笑んでいる。
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豆まきの豆

2015年02月04日 20時02分59秒 | Weblog
節分に、自分の歳より一つ多く食べるのが、習わしのようだ。一つ多くの一つは、新たな歳の分という。一つ持ち越すのは、除夜の鐘も、百八の煩悩を百七は、過ぎ去る年に煩悩を流す。百八回目の除夜の鐘は、新年になった、瞬間に打ちならすという。一つという意味は、意味深長のようだ。
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魔除け

2015年02月04日 19時39分45秒 | Weblog
節分に、イワシの頭と、ヒイラギをさして、戸口に張り付けた。イワシは焼くと、鬼が嫌がる、匂いがする。ヒイラギを刺すのは、ヒイラギのとげで、鬼が目をつくようにと、いうのかも。ヒイラギの枝に、イワシの頭をさすのが、もともとのいわれのようだ。ヒイラギの木は、七、八十年も過ぎると、とげがなくなるという。縁起のいい木という。大昔の思い出に、七輪に炭を焚き、豆の枝をいぶす。いぶしながら、豆を炒ったのを、思いだす。イワシ、ひいらき、豆の枝。それぞれにいわれがあるようだ。節分の行事は、疫病や災害を追い払う行事という。書物を読んで、行事の習わしを、勉強をした。在宅介護のばあちゃんの、当面の目標は、満で百一歳を目指す。現在の元気であれは、容易いと思う。
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