八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

憲法第二章第九条について

2006年03月11日 11時19分33秒 | Weblog
goo 掲示板 自衛隊 に メツセ-ジした文です。
はじめまして 門外漢です。 私の兄が 28年前仙台で 勤務していたとき48歳で 病死しました。その節は 大変お世話になりました。
九条がどのようにして できたのか 興味をもちました。 最近改正論が ありますので マツカ-サ-回想記{昭和39年朝日新聞社発行}を 読んでみました。
マツカ-サ-いわく 「「戦争放棄」条項は、私の個人的な命令で 日本に押し付けたものだという非難が、実情を知らない人々によつて しばしば行われている。」と 記述してあります。
時の幣原首相が マツカ-サ-司令官を訪ねた際に「「戦争放棄」条項を含め その条項では 同時に軍事機構は一切持たないことをきめたい。」と 提案した。
それを聞いた マツカ-サ-いわく 「私は腰が抜けるほど おどろいた。」と 記述してあります。 それが 当時連合国が 日本に求めていたものと ぴつたり一
致することも 知つていた。と あります。「それが戦勝国によつてでなく 日本人自身によつて達成されたのである。ただし第九条は、国家の安全を維持するため、あらゆる必要な措置をとることを さまたげてはいない。だれでも、もつている自己保存の法則に、日本だけが背を向けると期待するのは無理だ。攻撃されたら、当然自分を守ることのなる。」とあります。
また「憲法第九条は最高の道義的理想から 出たものだが、挑発しないのに 攻撃された場合でも 自衛権をもたないという解釈は、どうこじつけても出てこない。」とあります。 マツカ-サ-回想記のポツダム宣言や、原子爆弾の投下、大戦最後の十五日間の歴史上まさに類をみない爆撃、厚木に降りた第一歩、など 一読にあたいすると思います。
当時軍事秘書官ホイツトニ-将軍は 「マツカ-サ-は 日本が国家的にもつている、あの「武士道」とよばれている伝統的な 騎士道の精神を知り、また信じていた。」と 記述してあります。 

 
コメント
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