株式会社 文化財保存活用研究所 Blog

大分県を中心に文化財の保存修復をメイン事業として活動している「株式会社 文化財保存活用研究所」の企業ブログです。

文化を護る 未来へ繋ぐ 株式会社 文化財保存活用研究所

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千代丸古墳~大分市宮苑~

2010-09-30 20:36:38 | 文化財
こんばんは。うめです。
9月も終わり、すっかり秋らしくなってきましたね。
あまりの寒さに朝方目を覚ますこともしばしば・・・。
そろそろ扇風機をしまおうか悩んでいます。



今回は大分市唯一の装飾古墳である千代丸古墳を紹介したいと思います。

千代丸古墳は大分市宮苑にある古墳です。
(詳細な場所については最後に書いておきます。)
昭和9年に国指定史跡になっています。
下の写真は開口部の前から撮った古墳の外観です。



現在残っている墳丘は水田の開発によって削られており、
本来はもっと大きいものだったと考えられています。
現在、開口部には扉が設置されているため、
中に入ることはできませんが、
上の写真に写っているように
柵のようなものなので、中を見ることはできます。
この写真が開口部から見た石室内になります。




さて上の写真の真ん中辺りが石室内部なのですが、
この部分に千代丸古墳の珍しい点が写っています。

一つが床が奥に向かって階段のように一段ずつ上がっていることです。
そしてもう一つが石棚と呼ばれる石があることです。
(石室奥の石の上に横になって写っている石のことです。)
この二つによって石室の中に区切られた部屋みたいなものがあるように見えます。


もう一つ、千代丸古墳には珍しい点があります。
それは大分市唯一の装飾が描かれている古墳だということです。

装飾は石に刻まれるようにして描かれており(線刻と呼ばれています)、
その上から赤色で塗られています。

写真では見えないと思いますが、石棚の側面(写真に写っている部分)に
この装飾が描かれています。
見学の際には双眼鏡のようなものがあるといいかもしれません。

このような装飾が描かれている古墳は大分市では千代丸古墳しかなく、
大分県内でも装飾が描かれている古墳はあまりありません。

見学に行くには車でないとちょっと難しいかもしれませんが、
古代の人々が遺した「絵」を見ることができる数少ない場所ですので、
機会がありましたら、是非一度見てみてください。




最後に千代丸古墳の詳しい場所について書いておきます。
丑殿古墳の時にも記しました県道601号線(別名日田住還)を
狭間町の方に向かっていきます(丑殿古墳とは逆の方向です)。
そうしますと、川沿いの信号のある交差点に出ます(601号線はここを左折します)。
この信号を右折します。少し行くと左側に専徳寺というお寺があります。
それを過ぎたところに右に入る道があります。
そこを行くと千代丸古墳の看板があります(白い柱のような案内です)。
入口に民家がある為、迷うかもしれませんが、
その案内の奥に千代丸古墳があります。
(ナビや地図がありますと大分市宮苑に
場所が表示されてますので、そちらを参考にしてみてください。)




丑殿古墳~大分市賀来~

2010-09-25 15:45:09 | 文化財
こんにちは。うめです。
最近急に寒くなってきましたね。
昼間も30℃に達しなくなり、
暑がりの私としては「すごしやすいな~」
と調子に乗っておりましたら、
鼻が止まらないという状況になってしまいました。
風邪でしょうか・・・。

皆さんは気を付けてください・・・。


今回は大分市にある丑殿古墳を紹介したいと思います。

丑殿古墳は大分市賀来に所在する県指定の史跡です。
現在、墳丘の盛り土はほとんど失われておりますが、
本来は円形の墳丘をしていたそうです。

丑殿古墳の特徴としましては、
石室内に家形石棺が残されている古墳ということです。

家形石棺とは読んで字のごとく、家の形をした石の棺のことです。
フタ石が屋根の形に加工され、棺部分が大きな石をくり抜いたものを
用いているそうです。

現在は下の写真のように入口に扉がしてあるため、
石室内に入ることはできませんが、
扉の隙間から石室内を見学することはできます。


石室の構造や石棺の形式から6世紀後半から7世紀初頭の
古墳だといわれています。



さて、この丑殿古墳ですが、少しわかりにくい場所にあります。
大分挟間バイパス線(ツタヤやダイソーなどがある道路)の
賀来神社先という信号のある交差点(現在マックができています)
を大分ICの方に曲がります。そうしますと踏切を超えたところに
セブンイレブンがあります。その交差点を東側(セブンイレブンがあるのとは逆の方向)
の道に入っていきます。
少し走りますと、左側に写真のような案内があります。



さて、案内は出ているのですが、
周辺に古墳ようなものは見当たりません。
私は見学に行った際、ここで少し迷ってしまいました。
墳丘が失われているため、遠目から古墳とは分かりにくくなっていました。


案内に沿って道を歩きますと、右側にこの地区の公民館があります。
この公民館の裏に丑殿古墳はあります。
(公民館の敷地内の建物の裏に回ったところです。)
公民館の目印としては、大きなむくのきがありました。




今回は「えっ!こんな所に古墳!」という状況下にある丑殿古墳でした。





第14回 中・四国九州保存修復研究会

2010-09-21 09:45:55 | 文化財
こんにちは馬頭です。

前回の記事でもご紹介しましたが、先日長崎県壱岐市にあります長崎県埋蔵文化財センター(壱岐市立一支国博物館 併設)で開催されました「第14回 中・四国九州保存修復研究会」に参加してまいりました。

「中・四国九州保存修復研究会」とは中国・四国・九州地域おいて文化財の保存修復に関わっている研究者の方々の研究発表を行ったり、文化財に関する様々な情報交換を行う機会として毎年開催されています。
14回目となる今回は、今年3月に開館された長崎県埋蔵文化財センター(壱岐市立一支国博物館 併設)において執り行われました。



独特な外観の建物で、中に入ると吹き抜けの天井で開放感があるエントランスと、奥には海に囲まれた一支国を連想させる青くライトアップされた展示室の入り口が目に入りました。
最上階には壱岐の島を一望できる展望室があり、眺めが最高ですので、風景写真を撮るの立ち寄ってみるのも良いかもしれませんね。時間がなくゆっくり見学できなかったのが本当に残念でした。今度はプライベートでゆっくりお邪魔したいと思います。





今回の特別研究テーマが「金属製品の『脱塩を考える』」という内容であったので、私の学生時代の研究内容が「脱塩処理の効率化」であったため、研究発表をさせていただきました。(脱塩処理と発表内容については前回の記事を参照して頂ければ幸いです。)



脱塩処理は、まだまだ課題が残る処理であるため、他の研究者の方々も苦労しているようでした。こういった機会で情報交換やアドバイスをいただけて大変勉強になりました。研究会の関係者の方々ありがとうございました。
最後に懇親会会場からみた壱岐の海です。夕暮れでとてもきれいでした。



※ご紹介
研究会参加の方々にはご紹介いたしましたが、脱塩処理の終了の目安として利用されるイオンクロマトグラフによる陰イオンの濃度測定を当社において行っております。測定のご依頼やご相談などございましたら、お気軽にお問い合わせください。

古宮古墳~大分市三芳~

2010-09-21 07:48:57 | 文化財
おはようございます。うめです。
最近、朝方が涼しくなってきましたね。
暑がりの僕は扇風機をつけたまま寝てしまい、
朝方に「寒っ!!」と起きてしまう日々を過ごしています・・・。
でも昼間はまだまだ暑いですから、
もうちょっと涼しくなるのを望んでいます。



今回は大分市にある古宮古墳を紹介します。

古宮古墳は大分市三芳にある古墳です。
場所としては、椎迫天満宮の北側になります。
詳しい道順については最後に書きますので、
そちらを参考にしてください。

この古宮古墳の周辺は公園として整備されています。
見学者用の駐車場もありますので、ラフな格好でも
見学に行くことができます。


こちらが古宮古墳です。
木の枝があり分かりにくいかもしれませんが、
写真の真ん中の芝がある部分が古宮古墳です。



さて、皆さんは中学校の歴史などで、
「前方後円墳」という墳丘の形を聞いたことがあると思います。
この「方」が方形を意味し、「円」が円形を意味しております。
墳丘の形が方形と円形が組み合わせたものだから
「前方後円墳」といいます。
古宮古墳は写真では分かりづらいですが、
墳丘が方形の形をしています。
そのため、古宮古墳は「方墳」になります。



古墳の中には埋葬者を安置するための石室があります。
写真のように入口に扉がある為、中に入ることはできませんが、
扉の間から石室内を見ることができます。



古宮古墳は石室が巨大な凝灰岩をくり抜いたものを
使用しているという特徴があります。

古墳の石室は多くの場合、石を積み重ねて造られていたり、
巨大な岩を一面に用いるという構造をしています。



このような構造をした古墳は九州内では今のところ
古宮古墳しか発見されておりません。

この石室の特徴的なつくりから、
古宮古墳は7世紀中ごろから後半にかけて造られたもので、
畿内の大和政権と深い関わりがあった人物の
お墓ではないかといわれています。
有力な候補者として大分君恵尺(おおいたのきみえさか)
ではないかと考えられています。



今回は大分市内にある古宮古墳を紹介しましたが、
古墳は意外と身近な色々な場所にあります。
古宮古墳のように、車で簡単に見学に行くことができる
古墳もありますので、皆さんも気楽に足を運んでみてください。


(古宮古墳への道順)
大分市内から県道21号線を通り、大分ICに行く道の途中で、
椎迫橋北という信号があります。そこを右に曲がり、
一つ目の信号(ガソリンスタンドが道路の両脇にある場所です)を左に入ります。
そうしますと右側に、にじが丘ゴルフガーデンがありますので、その手前の道を右側に
入りますと古宮古墳見学者用の駐車場があります。
道路に案内用の看板もありますので、そちらも参考にしてみてください。

文殊仙寺~国東市国東町~ その2

2010-09-11 11:37:13 | 日記
こんにちは。うめです。
9月に入っても昼間の暑さは相変わらずですが、
夕方や夜はだんだんと涼しくなってきたような気がしますね。
気温差が大きいと体調を崩しやすいので、
健康に気をつけて、9月もがんばりましょう。


先日は馬頭君が国東市にある文殊仙寺を紹介しました。
今までは大分市内ばかりだったのですが、
これからは大分県内の様々な市町村のものも
ご紹介していけたらと思います。

ということで、今回は先日馬頭君が紹介してくれた
文殊仙寺の第2弾ということで文殊仙寺の伝説など
についてご紹介したいと思います。


文殊仙寺のある国東半島は「仁聞」にゆかりのある地ですが、
この文殊仙寺には「役の行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)」
の開基伝説があります。

小角が国東半島で修業をしていた時、
この地が霊地であるということを感じていました。
その後小角はインドを経て、中国の五台山に登り、
文殊を拝したといわれています。
その際、文殊菩薩が小角に対し、
「日本に渡りたい。日本にこの山に似た地は無いか?」と訪ね、
それに対し小角は
「国東の霊鷲山はこの山にも劣らない」と答えたそうです。
「それなら先に行って私を待て」と文殊菩薩が言うので、
小角は空を飛んで国東に戻り、文殊を待っていました。
一夕、文殊菩薩がこの地に来られ、
寺を建てたのが文殊仙寺だというお話です。

このような開基伝説があるため、
文殊仙寺には小角の石像がありました。



「役の行者小角」や「仁聞」については
また後日ご紹介したいと思います。



さて、次は宝篋印塔にまつわる伝説をご紹介したいと思います。

馬頭君の紹介でも写真がありましたが、
この宝篋印塔、本当に大きいです。



この宝篋印塔の所に首の無い石像が置かれています。




この首の無い石像には宝篋印塔の建立に努めた
浄覚に関わる伝説が残っています。


浄覚はもとは関東の方に住んでいる
松崎林太郎という武士した。
茨城典膳の屋敷に住み込んでいましたが、
典膳の奥方と密通しておりました。
これを知った典膳に成敗されそうになりますが、
逆に典膳を殺し、奥方と逃走します。
この逃走中は数々の悪行を行い、
ついには奥方も殺してしまいます。

色々とあり、遂には国東の富来浦にまで逃げてきます。
ここで文殊仙寺の鐘の音を聞き心を打たれ、寺を訪れます。
ここで仏の慈悲にすがるため、出家し浄覚になります。
その後旅に出、お寺に戻ってきた時に宝篋印塔を建て始めます。

宝篋印塔があと少しで完成というところで
典膳の子供の鶴若丸が仇を討つために、やってきます。
なんやかんやありますが、最終的には共に協力し、宝篋印塔を完成させます。

塔の完成後、浄覚は思い残すことは無いと
自らの石像を彫り塔の横にすえ、翌日自らの首を鶴若丸にさしだしました。
鶴若丸が刀を振り落とした瞬間、落ちたのは石像の首だったそうです。


というのが、この首の無い石像にまつわる伝説です。
悪人が改心し仏道を歩みながら、過去の自分の過ちを償おうとするのですが、
過去の罪からは逃れることができない。
その時石仏が身代わりになるというお話でした。

仏教では因果応報、過去の行いは現在へ、現在の行いは未来へとつながっていく、
過去に罪を犯したのであれば、その罰は必ず現在に現れるが、
仏道を学ぶことで、その罪を軽くすることができる
ということを忠実に再現したお話だと思います。



この宝篋印塔のある場所はとても眺めがよく、
晴れた日には四国をみることができます。



今回は2部に分け、国東市の文殊仙寺を紹介いたしました。
今後も、様々な市町村の文化財やそれにまつわる伝説などを
紹介していけるように努力してまいりますので、
今後ともよろしくお願いします。

追伸:今回お世話になりました文殊仙寺の皆様、本当にありがとうございました。