株式会社 文化財保存活用研究所 Blog

大分県を中心に文化財の保存修復をメイン事業として活動している「株式会社 文化財保存活用研究所」の企業ブログです。

文化を護る 未来へ繋ぐ 株式会社 文化財保存活用研究所

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~思い立って佐伯市へ~ その3

2010-10-31 21:25:02 | 大分県
こんばんは。うめです。
題名からもわかるように、今回も佐伯市の文化財を紹介したいと思います。



今回ご紹介する文化財は、佐伯城三ノ丸櫓門と安井(あんせい)です。

まず佐伯城三ノ丸櫓門ですが、佐伯文化会館の前にありました。


この櫓門は1637年に鶴屋城の正門として建てられたものです。

櫓門が現地に残っているものは珍しく、九州内でも熊本・平戸・佐賀とここ佐伯市だけのようです。つまり、大分県内では唯一ということです。
現在は県の指定を受けております。


この佐伯城三ノ丸櫓門の周辺は古い城下町の佇まいを残した趣のある地域です。
城下西町・城下東町という地名もそれを物語っています。

この佐伯城三ノ丸櫓門から少し歩いたところに、安井という市指定文化財があります。



これは江戸時代(1781年)に造られた井戸です。



もともとこの佐伯市の鶴屋城ある地域は、半ば干潟であった地を埋め立てて城下町を造ったため、飲料水に困っていたそうです。
これを救うために藩の医者であった今泉元甫が私財を使って井戸を掘り、人々に提供したそうです。
この安井のほかに啞泉、甘泉という井戸も造っており、この三つを総して今泉元甫の三義井と呼ばれております。

自分の私財を使ってまで人々の暮らしに役立つことをするということは、今も昔も大変なことだと思いますが、この佐伯の地にはそのようなすごい人がいた証が残っていました。
尚、この井戸の名前は佐伯藩主であった毛利高標(たかすえ)によってつけられたようです。



さて、今回3回に分けて佐伯市の文化財を紹介してきましたが、佐伯市には他にもたくさんの文化財があり、また最後に紹介した安井の傍には国木田独歩の資料館などもあります。


とりあえず、このお話で今回の佐伯のお話はお終いです。
今回は思い立ってふら~っと佐伯市に行ってきたわけですが、半日では足りなかったですね~。次回佐伯市に行った際には文化財のほかに、海鮮丼などの海の幸やごまだしうどんなど堪能できたら、と思っております。


~思い立って佐伯市へ~ その2

2010-10-27 06:41:30 | 文化財
どうも。うめです。
今回も引き続き佐伯市の文化財を紹介したいと思います。

前回の磨崖石塔から国道217号線(「道の駅 やよい」がある道路です。)を通って佐伯市の中心地に向かって走っていると、JR上岡駅があります。それを少し過ぎたところに写真のような看板が現れます。


これは佐伯市にある県指定文化財の十三重塔の案内板です。

案内板に従って走りますと、左側に十三重塔が見えてきます。


上の写真を拡大したものです。中央やや右側に写っているのがそうです。


遠くからでも確認ができるほど大きな塔です。



写真では分かりづらいかもしれませんが、高さ8.5mもあります。


この塔は凝灰岩を用いて造られています。
造られたのは塔の型から鎌倉時代ごろのものではないかと考えられています。
また、造った人に関しては、この地の豪族であった佐伯市の供養塔ではないかと考えられておりますが、詳細については銘文がないため不明です。


また、現在ある場所は1968年ごろに移ってきた場所だそうです。



この塔の一番下の軸部には仏像などが彫られていました。



各層には扉と仏像が彫られているそうです。
また、一部には朱や黄色で彩色もされているそうです。


今回は佐伯市中心地と弥生町の間にある十三重塔でした。



~思い立って佐伯市へ~

2010-10-22 02:31:13 | 文化財
こんばんは。うめです。

さて先日、半日ほど時間が空いたため、
急きょ遠出する決意。
「何処が良いかな~・・・」と考えていると、
ふとひらめいたのは「高速無料」。
お金をかけずに遠出するのに、これほど魅力的なものは無い・・・
っということで、佐伯市の文化財を見に行ってきました。



高速通ると早いですね~。
大分から佐伯まで30分くらいで行けてしまうなんて・・・。
ありがとう・・・無料化・・・。

さて今回訪れた佐伯市ですが、九州で一番大きい市だったんですね。
最近まで知りませんでした。
その佐伯市からまず紹介する文化財は
旧弥生町にある磨崖石塔です。
この磨崖石塔は1953年に県の史跡指定を受けています。




磨崖石塔は佐伯市弥生振興局の傍にあります。
下の写真に写っているのが、弥生振興局の裏になります。


ここに磨崖石塔の案内板がありました。



看板に従い少し歩きます。
田んぼの向こう側には「道の駅やよい」があるあたりです。


その道の途中にまた案内板が出ています。


写真の奥に先ほどの弥生振興局が写っています(分かりにくかったらすいません)

歩いて5分ほどの所です。

この案内板の方向には下のような道があります。
この道の奥に磨崖石塔がありました。



こちらがその磨崖石塔になります。


この磨崖石塔は南北に延びる崖面に彫られており、
その範囲は25mもあるそうです。
その中に宝塔が8基、五輪塔が34基彫られています。
宝塔は向かって左側に多くありました。



こちらが向かって右側にある五輪塔の一部です。


そしてこちらが宝塔が多く彫られているところです。



この中には小さい五輪塔もありました。



この磨崖石塔の数か所に銘文が残っており、
誰が何のためにいつ彫ったか等が記されております。
例えば、ある銘文には「嘉暦元年に大神惟武なる人物が
母親の百ヶ日の供養塔として造った」と記されております。
このように塔が造られた時期や経緯が分かるものが数基ありますが、
それ以外の塔については分かりません。
この銘文が残っている塔より、古くに造られたと考えられるものや
その後に造られたと考えられる塔もあります。
そのため、この石塔群は長い年月をかけて、
造り足されてきたものだと考えられています。

今回、一応銘文を写真で撮ったのですが、
分かりにくかったため、ブログにはのせませんでした。
すいません。
興味のある方は是非現地で確認されてみてください。


今回紹介した磨崖石塔の傍には
先ほども書きましたように「道の駅やよい」があります。
この道の駅には水族館や温泉施設などもあります。
「磨崖石塔を見たついでに温泉~」や「水族館を見たついでに少し歩いて文化財見学」
ということができる所でした。



さて、ここから先は余談ですが、
私が佐伯市に行った数日後、運転中に聞いたラジオで新番組がやっていました。
その番組は佐伯市の情報を伝えるという内容の番組でした。
何というベストタイミング・・・。
妙に親近感が湧き、聞き入ってしまいました。
今度佐伯に行く時はラジオに出ていたごまだしうどんを
是非食べようと思います。




伽藍石仏~大分市永興~

2010-10-15 00:55:52 | 文化財
こんばんは。うめです。
10月も中盤、すっかり秋らしい気候になってきましたね。
最近では涼しいを通り越して、寒いと思うことさえあります。
このまま冬になっていくんですね~。




今回は大分市の上野台地上にある磨崖仏を紹介したいと思います。
上野台地にある磨崖仏としては国指定の元町石仏や県指定の岩屋寺石仏が有名だと思います。しかし、実はその二か所から少し離れたところ、大分市美術館の傍にもう一か所、磨崖仏が彫られているところがあります。それが今回紹介する伽藍石仏です。

この伽藍石仏は1974年に市の史跡指定をうけています。

こちらの伽藍石仏は下の写真のように、崖面に3つの穴を掘り、
そのうち右側と真ん中の穴の中に石仏が彫られています。
もた、右側と真ん中の穴には赤色と黄色と白色の彩色が残っています。


彫られた時代は鎌倉時代~室町時代だと考えられています。




下の写真は右側の穴をアップで撮ったものです。


写真では分かりづらいかもしれませんが、
真ん中の仏像以外にも左右の壁面にも仏像が彫られています。
この仏像の配置は珍しい配置だそうです。




次の写真は真ん中の穴のアップになります。


こちらの仏像の裏には、彩色がきれいに残っています。


伽藍石仏の前は広場のようになっております。周りを木に囲まれたとても静かな場所です。ただ、夏場は蚊がとても多いので、見学の際には虫対策をしっかりするか、夏場を避けられた方がいいかもしれません・・・。


今回紹介した伽藍石仏は、先ほども言いましたように同じ上野台地に彫られている元町石仏や岩屋寺石仏に比べて、あまり知られていない磨崖仏だと思います。
(私の知人で周辺に住まれている方は知りませんでした・・・。)
地元の人だけでなく、より多くの人にこのような文化財の存在を知っていただき、興味を持っていただければ幸いです。


最後に伽藍石仏への道順を書いておきます。

大分市中心部側(県立聾学校の所)から大分市美術館へあがっていきます。
大分市美術館の入口を過ぎてすぐの交差点を右折します。(ここらへんで小さな看板があります)
右折した後、坂を下っていくとまっすぐ林の中に続く道と右側にカーブした二又の道に出ます。この道を林の中に続く道を下りていくと右側にあります。
この林の中を下りていく道はちゃんと整備のされた道ですが、狭く急なカーブがあるため、車は周辺に止められてから見学に行かれてください。急な坂道になっているため、もしかしたら帰りに車が動かなくなる可能性もありますので気を付けてください・・・。

大臣塚古墳~大分市上野~

2010-10-08 15:51:36 | 文化財
どうも~。うめです。
今週は日曜まで雨らしいですね。
先週に続いて今週も週末に雨って・・・。
しかも今週末は3連休なんですけどね~。
残念です・・・。



今回は大分市の上野台地上に現存する古墳を紹介します。
上野台地の東端、芸術文化短期大学の横にある
大臣塚古墳です。

大臣塚古墳は5世紀代に造られたと考えられている
前方後円墳です。

下の写真は外観を撮ったものですが、
木が多くて分かりづらいですね・・・。
すいません。


墳丘の上には石碑のようなものがありました。



さて、この「大臣塚」という古墳の名称ですが、
百合若大臣伝説に関連して付けられたようです。

江戸時代に台風の影響で墳丘の上にあった大木が倒れてしまった際に
中から石棺などが発見されたそうです。
報告を受けた当時の府内藩主日根野吉明の命によって
発掘調査が行われた後、埋め戻されたそうです。
出土した石棺には人骨や刀などが入っていたそうです。


このお墓の名前の由来になっている百合若大臣伝説については
また今度の機会に詳しくお話ししようと思います。

また、別の説として大分君の一族の誰かのお墓ではないか、
というお話もあるようです。
以前紹介しました古宮古墳も大分君一族(恵尺)のお墓という説がありましたので、もし両説が本当ならこの二つのお墓はとても深い関係にあるということになりますね。ただ、造営年代と考えられている時期が200年も違うんですけどね・・・。


上野台地上という大分中心部から結構近い場所にある大臣塚古墳への行き方ですが、
まず下の写真を見てください。


こちらは大分市によって設置されているものですが、
周辺の遺跡などを紹介しています。
元町石仏の周辺の道端に大臣塚古墳までの方角と距離が書かれたものが
設置されておりますので、こちらの案内を参考にしてみてください。