こんにちは
今年の夏もいろんなところに行くことができて満喫できました
明日で9月
夏の終わりを街中でも感じることができ、
行く夏を惜しむという少しアンニュイな気分にもなりがちな今日この頃です
そんな中、仕事で長崎市に行くことがありました
せっかく長崎市に行くということで
長年行きたかった場所に行ってきました
その場所は端島
通称「軍艦島」のほうが分かるでしょうか
63,000㎡の島に炭鉱の町ができ、多い時期には5,300人が暮らしていたという島
日本最古の鉄筋コンクリート製の高層集合住宅ができ、学校、病院、などが密集して建てられていて
当時の日本の産業を支えた炭鉱の町の名残がある島だということは
皆さんご存知だと思います
エネルギー転換政策によりこの島の炭鉱が閉鎖されると同時に住民たちは島を離れることになり
昭和49年に無人島になりました
私がこの島の存在を知ったのは小学1,2年生ぐらいのころ、
公共広告機構(現「AC」)のエネルギー問題啓発広告をテレビで見たのがきっかけでした
端島が無人島になってからもうすぐ10年になろうかとしているときの端島の様子が流れていました
事情を深く考えることもできない子供でしたが
そこから想像しうる過去の繁栄、にぎわいに思いを馳せ、今の廃頽的でも何か引き付けてやまない魅力を
感じ、端島に特別な感情を持つようになりました
あれから30年(きみまろか)
時は来た(橋本か)
端島上陸ツアーに参加しました
島まで30分のあいだ
係員さんの説明を聞きながら端島の歴史を学びました
そして
島の外周の一部を歩きながら
ガイドさんのお話を聞いて
端島はほんの小さな島を6回埋め立て工事をして広くしたということ
密集した建物同士に渡り廊下を設置して行き来がしやすいようにしていたということ
建物の屋上に農園を作っていたこと
建物自体を防波堤代わりにしていたことなど etc etc
狭い土地を有効活用しており、知恵と工夫がなされていたことを知りました
左手が小中学校合同校舎 右手が病院 手前の建物が隔離病棟
世界遺産登録に向けて山口・九州の近代化産業遺産群の構成資産でもあり、
世界遺産登録に向けての活動も活発に行われているようです
長崎県は教会群も世界遺産登録への活動もしており
唯一鎖国時代に海外交流があった故の独特なエキゾチックな風土に加え
日本の近代化を支えたという骨太な歴史と
両方を兼ね備えたとても魅力的な県だと改めて思いました
30年越しに上陸できたという万感の思いもさることながら
テレビで初めてみたときの島の様子よりも劣化が大幅に進んでいるのを目の当たりにして
保存と活用に大きな壁が立ちはだかっているように感じました
帰りの船で上陸の際に見えなかった島の裏側をぐるっと回り
今年の暑い夏の日差しと潮風を直に受けている端島を見ながら
これからこの島はどこへ行くのだろうと
「軍艦島」の行方に期待と一抹の不安を覚え
これまでの30年間の端島に対する思いに加えて
これからの端島への思いはまたちょっと違ったものになりそうです