株式会社 文化財保存活用研究所 Blog

大分県を中心に文化財の保存修復をメイン事業として活動している「株式会社 文化財保存活用研究所」の企業ブログです。

文化を護る 未来へ繋ぐ 株式会社 文化財保存活用研究所

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継いでいくということ

2011-09-28 21:00:00 | 日記

こんにちは 地蔵です。

ブログを書いている後ろで子供たちが明日学校へ着ていくブラウスのアイロンがけをしています

小学生の子供ながら簡単な料理も作れるようになってるし、洗濯物干しからおたたみまで、最近はアイロンがけも

すすんでやってくれるのでとても助かっています。

昨日は夜食におにぎりを作って主人と私にふるまってくれました。

先日お墓参りに行きまして、子供たちがすすんでゴミを拾っていたりお墓の前でごにょごにょ

なにやらご先祖様に話かけていました。

 

ここまで書いて言うのもなんですが、決して我が家の子供自慢ではなくてですね、

次世代に継いでいくことはなるべく小さい時からがいいなぁと思ったんですね。

いつか親から独立して生活を始めるときに困らないように家事を教えていくように、

ご先祖様を敬う気持ちだったり、礼儀や作法だったり

 

それから日本の素晴らしい文化の伝承も

ある程度子供のうちに

自然と無意識に身に着けられるように私たち大人が継いでいった方がいいんじゃないかと思ったのです。

 

日本の文化をそして自分たちが住んでいる地域の文化も先人が大切に護り、伝承してきたからこそ、

現代の私たちは世界や他の地域に無い地元の文化を誇れてきたわけですが、

文化を享受することはあってもそれを次世代に継いでいく活動は私も含めて若い世代がもうちょっと頑張らなくてはいけないところです。

地域のお祭りをはじめ各種保存会、歴史研究会などにも積極的に参加していきたいものです。

 

 

季節はすっかり秋

物思いにふけってみました。柄にもなく。 

 

アイロンがけも終わってお風呂から上がった子供たち、

着るときパジャマの色にちなんでこう叫んでいました。

「私はコーンスープになりまーす

「イチゴミルクジュースになりまーす」 

.....もう11歳になるのに。

 

今度のお休みはどこか秋祭りに一緒に行こう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本最古の暦使用例

2011-09-25 15:05:04 | 文化財

こんにちは。うめです。

皆さん、連休はいかがお過ごしでしょうか?

9月も後半に入り、本格的に秋を感じさせる時期になってまいりました。

「秋といえば~の秋」とよく言われますが、みなさんにとっては何の秋でしょうか?

 

 

先日(9月21日)ニュースで銘文入りの太刀が福岡県福岡市の古墳から発見されたニュースがありました。

この銘文には大刀を作成した干支(庚寅)と日付(正月六日庚寅)が記されていたのですが、これが日本国内で暦を使用した最古の例として、話題になっております。

もともと、古墳から出土した銘文が刻まれた刀剣の数も少なく今回のもので7例しかなく、うち干支や年号が入っているものは4例しかないそうです。

そういった点からも貴重な発見ですが、今回のものは「日本国内での暦の使用」を知るうえで重要な発見になるものです。

「日本書紀」の中で、553年に朝鮮半島の百済に暦の専門家の派遣要請を出し、翌年に専門家が来日し、日本に暦が伝えられるという内容があります。

今回発見された銘文に刻まれている2度の庚寅と、その時に伝えられた「元嘉暦」から銘文の内容は570年の1月6日を示しているとのことです。

古墳自体は7世紀ごろのものだと考えられているため、太刀が作成された数世代後に古墳に副葬されたと考えられています。

 

今回の発見は出土した大刀をX線撮影することで、銘文が読めるようになりました。

出土した大刀は表面を錆で覆われているため、そのままの状態では銘文を読むことは困難です。もしかすると銘文があるということさえわからないくらいの状態だったかもしれません。それをX線撮影することによって、鉄や錆とは違う物質の個所を見ることができます。今回の文字には金か銀が使用されているそうです。

このような科学的調査を行うことで新たな発見があり、今までの説の証明になったり、新たな説の誕生へと繋がっていく。

今回の発見は調査や研究の面白さを改めて感じさせてくれるニュースでした。

 

今回の発見は古墳から出土した銘文入りの大刀というだけではなく、日本国内での暦の使用についてや、日本書紀の内容についてなど、様々な点からも貴重な発見だといえます。この銘文入りの大刀ですが、9月28日~10月9日まで福岡市の埋蔵文化財センターで展示されるそうなので、興味のある方は是非見学に行ってみてください。ちなみに私は来週の週末に行ってみようと思っております。

 

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大分の夜明けぜよっ!!

2011-09-21 19:07:51 | 日記

 こんにちは馬頭です。夏の暑さも和らいできたかと思えば、台風がやってきてジメジメした日々が続いており、気持ちが中々晴れた気になりません。

 さてさて、今回はそんな晴れない気持ちも「ホカっ」とするようなお話をしましょう。久留米駅と大分駅を結ぶ久大線と城野駅(福岡県小倉南区)とを結ぶ日田彦山線の分岐点となっている日田市の「夜明駅」に10月下旬に「夜明の鐘」が設置されることになりました。

 「夜明駅」はその駅名から1970年代に切符を求める人で賑わい、当時の新聞によると1975年には2万6123枚の切符が売れたたそうです。また、1981年にはあの映画「男はつらいよ」の第28作の舞台にもなりました。

 そんな一大ブームにもなった「夜明駅」ですが、いまでは無人駅となり老朽化が進んだことにより昨年の4月に新築されました。そのことからも、またこの駅を訪れる観光客の方などが増えてきたそうです。そこで訪れる観光客の方々に楽しんで頂けるようにと夜明振興協議会は今年の春に廃校となった「旧夜明小学校」でチャイムとして使われていた梵鐘を夜明駅のシンボル「夜明の鐘」として駅前に設置することにしました。

 この梵鐘は高さ42cm・最大径25cm・重さ10kgで大正11年に有志が鋳造し、大正後期~昭和30年代に夜明小で木槌でたたくチャイムとして使われていたそうです。

 私たち文化財にたずさわる者は「古くなったものを後世に残す」ことを使命とし仕事に取り組んでいますが、ただモノを残すために保存処理や環境整備をしただけでは、この先100年、千年と残っていくモノとはならないと思います。そのモノを後世に残すためには、そのモノを大切に思う人の気持ち、それを伝えていくことが古いものを後世に残していく秘訣だと思います。そのために必要なのが、「夜明の鐘」のような「活用」だと考えます。

 夜明振興協議会は「夜明の鐘」の設置のほかに合唱曲「夜明けの詩が聞こえる」の製作や地元の醸造元に「夜明の鐘」名の焼酎や日本酒の製造依頼などをおこなっています。

 お役御免となった梵鐘が地域の活性化として「活用」されることで、この「夜明の鐘」が多くの人に親しまれ、そして次の世に伝えていって頂ければと思います。

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放浪(?)記

2011-09-17 13:00:00 | 日記

こんにちは!

最近携帯を機種変更して、タッチパネル式なんですが、なかなか自分の押したと思われる場所に

押せず意図しないサイトによく飛んでしまう今日この頃。地蔵です。

 

仕事でたくさんの市町村を訪問しますが、その道中で文化財を見学することもよくあります。

だから伺う市町村の文化財の場所をあらかじめ確認しておいたり、道すがら文化財の案内看板はよく気にしながら運転しています。

というわけで今回は最近の移動中に見かけた文化財...ではなくて

を紹介したいと思います。

 

豊後大野市大野町の「沈堕の滝」

 

同市は緒方にある原尻の滝が有名で、別名「東洋のナイアガラ」とも呼ばれ、春にはチューチップがたくさん咲き誇って多くの観光客が

訪れています。

一方ここ「沈堕の滝」は別名「豊後のナイアガアラ」と呼ばれているそうで、流れ落ちている壁面の形状もきれいだし、迫力も原尻の滝同様に

あります。

千歳大野道路から県道26号線に乗って清川方面へ行く途中に展望所があったので一時停車。

展望所で滝とその全体的な風景を楽しむのもいいですが、やっぱり滝を間近で見たい!

遊歩道を歩いて滝の近くに行ってみました。

 

行ってみないと分からないものってあるわぁ~ってなもんで、滝のほかに新たな発見がありました!

遊歩道の途中に明治時代につくられたと思われる沈堕発電所の跡地がありました。

ここは日本の近代化を支えた近代化遺産としての位置づけもされているようで、その価値もさることながら

当時のモダンな建築様式はとても趣があって素晴らしいものでした。

もともと産業遺産をはじめとした近代的遺産にも興味のある私は思わぬ発見に興奮しながら写真を撮っていました。

やっぱり滝の近くだから水力発電でしょうか?

アーチがいいです

最近の建物にないですね、こんなアーチの造りって。お洒落だと思います。

 

そしてこんな場所も。

江戸時代豊後は小藩が並立しており各藩と海をつないだ交易路として交通の要だった大野川。当時の船着き場跡。

 

そしてメインである沈堕の滝へ

水墨画で有名な雪舟がここ沈堕の滝を描いたことでも知られ毎年雪舟まつりが行われているようで、今年は10月30日開かれる予定だそうです。

滝の保存会もあるようで、こうした方々のおかげで沈堕の滝周辺が大事にされ、活かされている事を考えると、

地域住民の思いが大きな力となって地元の文化などを守っていくことで次世代に引き継がれていくんだなと改めて感じました。

引き継いでいく世代もうまくバトンを受けられるようにしないといけないですね

 

ちなみに、沈堕の滝は紹介した滝を「雄滝」として旧発電所近くに「雌滝」があります。つれあいがいるんですよ。

ところが、近くに降りたにもかかわらずその雌滝を見てないんです

もし行かれることがあったら皆さん、「雌滝」も是非見てきてくださいね!

 

 

 

 

 

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私ルーツ~家紋~

2011-09-13 19:02:54 | 日記

どうも、ウメです。

9月も1/3が終わり、秋の気配が濃くなってきております。

夜から朝にかけては少し肌寒さを感じる毎日ですが、昼間はまだまだ暑い日が続いてますね。

気温の変化が激しいので、体調など崩さぬよう皆さん気を付けてください。

 

今回のブログは題名にもありますように、自分のルーツということで家紋について紹介したいと思います。

家紋とは「家、または一族の各構成員が共有する紋章」のことです。苗字と同じく「誰々さん家の~」という証の一つですね。

今でいう会社のシンボルのようなものですね。(例:車のマークなど)

現代社会の中では普段の生活でなかなか触れる機会がないものですが、識字率の低かった時代においては誰もが一目でわかることができる家紋は、表札の代わりや、衣服、お墓など様々なものに用いられておりました。

今でもお墓に行くとそれぞれの家の家紋が彫られておりますし、大切な行事の時には紋付袴などをきたりしますね。

 

家紋の多くは文様が転化したものです。文様の中に、ある集団や階級などを示すもの組み込み始めたものが紋章となり、これが家紋へと発展したといわれております。

日本では家紋の先駆けのようなものが、平安時代の車に描かれていたという記録が残っております。

(「尊卑分脈」という書物より:藤原実季が巴紋を車紋として使用。以下子供、孫(西園寺通季)にそれが受け継がれて行った。その後、その巴紋が西園寺家の家紋として使用された。)

しかし、正式に家紋という文化が日本でいつ始まったのかについては不明だそうです。

 

 さて、私の一族の家紋ですが、〇に木瓜(もっこう)という家紋でした。

(実家にはまだお墓がないため、写真は父方祖父家のお墓です。)

 御簾(みす)の上部の絹織物の帽額(もこう)につけられた文様で、帽額にちなんで木瓜と呼ばれるそうです。

(御簾についてはネットで絵や写真が出ていますのでそちらを参照してみてください。)

この木瓜と呼ばれる家紋にも丸のあるものや無いものなど多くの種類があります。

木瓜という種類自体は多く使用されており、五代家紋の一つだそうです。

(苗字同様、全国にありふれたものでした。)

歴史上では藤原氏や日下部氏族、紀氏族、伴氏族の使用が目立ち、現在では北陸地方や東北地方(父親の実家は宮城県)に多くみられる家紋です。

以上が私の家紋であります。小さいころからお墓で目にしていた家紋も、調べればいろんな情報をくれる大切なものだと実感しました。

皆さんも、今度お墓参りに行かれる時などに、是非チェックしてみてください。

意外と面白い自分の一族のルーツがわかるかもしれませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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