戦後のションベンガード(雑司が谷隧道)を当たり前に通っていた私たちの年代(70~80才代)からは、何気ないこんな風景は感動ものなんです。
故高野区長と植田志保さんが、よくもこんな心地良いウイロードを完成させたとしみじみ感じてしまいます。
両脇にはアコーディオンやハモニカを吹く傷痍軍人や物乞いする母子、靴磨き(坂の方)がずらっと並び、私たちはハンカチを口に当てて通りなさいと親に言われていた通路です。
何度も書いたり言っていることですが、様変わりしたウイロード清掃する度に思い起こします。戦争の悲惨さと人間の逞しさも沁みついています。昔ここは映画館の看板がほぼ全面に掲げられていました。
今日は赤い羽ボランティアの方々が西口方面に行かれるところに出会いました。
あれ! UZAKさんとKATOさんもお手伝いしているようです。
最近ウイロードのお手伝いはご無沙汰ですね。お待ちしています。
毎回このスロープから清掃が始まります。
今日は埃が多かったようです。
自転車、ベビーカー、スーツケースを持った方が通るのでホースの始末に気を付けないといけません。
MATUMさんはランチ営業があるので途中で帰られます。
ポーズをとってと催促しました。
比較的人数が多かったので、TADさんとKABURAさんが壁面水拭き。
ONDさんは毎回刷毛で埃取り。
懸案だった船首(以前のデザインは船)部分の汚れ拭き。
危険だからと言っていたのに、大丈夫?
下部は届かないので、上部半分だけきれいになりました。
ここも拭き掃除。
OKAMUさんのトイレ掃除は本職?
先週便で壁面が汚れていたのですが、今日は業者が水圧力噴射で清掃。
きれいになりましたが、これ以上は無理とのこと。
植え込みは相変わらずタバコの吸い殻でいっぱい。
先週はここに嘔吐物、今日は脇に大量の嘔吐物。
美しく保つって大変。
お疲れ様でした。
参加者: MATUMO、としまテレビ、TAD、KABURA、OND、OKAMU、IWAKU、I の8名