「200名の決断に回答を用意するべきである」

2014-12-28 15:25:17 | 日記

     「200名の決断に回答を用意するべきである」

       対立の中での鎮静化・それは為政者の政治姿勢である  

 

  政府の原子力災害現地対策本部は、28日東京電力福島第一原発事故に伴い、放射線量が局所的に高いとした南相馬市の「特定避難勧奨地点142地点(152世帯)」を指定解除をした。これで県内の特定避難勧奨地点は全てなくなったことになる。ただ、住民からは「除染が不十分」などの根強い反発があり、指定されたうち約8割に上る避難世帯の帰還が進むかどうかは不透明で、住民の不安払拭(ふっしょく)が課題となると報じている。(福島民報28日)

  さてここに住んでいた住民が帰宅するか、どうかは本人の選択となるが、同地区の菅野秀一会長は次のように述べている。「自分の知る限り、解除されたからといって帰るという住民はほとんどいない。徹底的な除染が必要だ」と。

  しかし、3ケ月後にはこれまでの精神的損害賠償の月10万円/人は支給されない。

  また、すでに解除された地区であるが、戻った住民は2割か3割という状態にある。その多くが高齢者であり、住宅の保存状況が良かった世帯であることも事実である。そして戻った者はつぶやく「なぜ戻ってこないのだ」と。戻らない者は「戻れるところではない、なぜ戻ったのか」と。

  当該自治体の市除染対策課は「帰還促進のため対応する必要がある」としているが、20キロ圏外の除染が完了するのは29年3月以降にずれ込む可能性があると述べている。それとて、どれだけの除染効果があるかは先が見えない。これに対し、原子力災害現地対策本部の担当者は「生活再建の時期や方法は各世帯で異なる。地元である市の取り組みを支援していく」としている。これでは政府・東電による「帰還という名の先延ばし」だけであり、「住民の対立と分断」によって争点が見えなくなり、事態を鎮静化させる方便となることへの危惧を持つのは私の偏見だろうか。それは、いつの世にもある「為政者の政治工作」であり、いつの間にか国民は馴らされていった歴史を知るからである。

  そこで再度取り上げたい。7月4日のブログのタイトルは「大熊町野上1区(帰還困難区域)200人の帰らない宣言」である。この地区の人口は200人(60戸)。多くが会津若松市の仮設住宅に住んでいる。木幡仁区長は述べている。◆震災後3年がたち荒れた家や田畑の復旧は困難 ◆中間貯蔵施設が建設されれば住める環境にはない ◆区には高齢者が多い10年、20年後では遅い。そして町に対し「移住者対策」をしっかり進めて欲しいと求めている。

  「帰る選択を捨てるべきではない」それは正しい。しかし、野上地区の選択とその要求は、むしろ「政治的鎮静化を計ろうとする現体制に対する全面対決」であり、「聞くに値する」ものと考えられないか。この年の瀬に、木幡区長をはじめとして200名の皆さんがどのような思いでおられるかは残念ながら知ることはできない。しかし、選択の決意は変わらないだろう思う。ならば大熊町はこの200名の移住を可能とする保障を政府に求めることが必要ではないか。

  どのようであれ、最終的には「本人の選択と決断」である。とするなら選択の範囲は広いほど良い。そのことが決断を容易にする。被災自治体はあらためて「200名の決断」に一つの回答を用意するべきである。