12段の階段の、のぼり、降りにも一苦労

2021-05-08 04:22:13 | 日記
 84歳の吾輩。妻が洗濯機から持ち出した洗濯物を居間のテーブルでたたみ折りをする。そして籠の中へ。その籠をもって二階のべランダまで待っていくのが吾輩の役目である。ところが最近になって僅か12段の階段を運ぶのが大変になった。つまり、手すりを使わなくてはならなくなったのだが両手で籠を抱えている。以前であれば、両手でかかえてトントンと上がっていたのだが、いつからか、そうはいかなくなった。
    毎日とはいかないが、思い立つと散歩に出かける。このコロナ期である。幸いにして自宅から5分も歩けば田畑の広がるところに出る。すれ違う人もいない。マスクを外して思い切り深呼吸をする。そして帰途につくのだがバイパスの地下道を通らなければならない。のぼりは良いのだか、問題はくだりである。注意をしていても、自分のかかどがステップの端に残り転倒しそうになる。本来であれば手すりをつかわないほうか良いのだが、下りだけは手すりを使うようにしている。
 
   春になり、一斉に草が生え茂る。猫の額ほどの庭だが草むしりをしなくてはと「野良着」に着替えて庭にでる。この「野良着」という言葉も「死語」になっているのだろう。以前、田畑を持っている知人と話していた際、次のようなことを述べていたのを思い出す。「耕運機を運転する息子は、着替えもせずに、嫁のスリッパをはいて出かける」と。ハンドル、アクセル、ブレーキには服装や足元は関係ない。その意味では息子さんにとっては「野良着」は死後である。そこで庭に入った私の姿は人には見せたくない。つまり腰をかがめての作業は無理。そこで膝あてに手製の脚絆を巻き、「四つん這い」の姿で這いずり回りながら除草をする。そして次の日か、その次の日には腰に痛みが来る。
 
    最近は、夜間トイレに行くのが多くなった。家を新築するとき、当初の設計では二階にもトイレの計画があった。しかし、何も二つのトイレは必要がないとして「物入」に変更してしまった。人間は、今おかれている環境で判断をし、そのあとも、その判断は正しいと信じる。 
   しかし、間違いなく加齢は「後の祭り」を意識することになる。

 毎週日曜日の夕方に放送されている『笑点』がある。 その大喜利コーナーで出されたお題と回答があるので取り上げてみた。
   お題は18歳と81歳の違いである。
   その三つをあげてみよう。
      道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳
     心がもろいのが18歳・骨がもろいのが81歳
     恋に溺れるのが18歳・風呂で溺れるのが81歳

 そこで自作を試みた。
  痛みがすぐ来るが、早く治るのが18歳・
                 痛みが後から来るが、なかなかなおらないのが81歳
    心の悩みに躓くのが18歳・畳のヘリに躓くのが81歳
    人の話を聞かないのが18歳・人の話が聞えないのが81歳
 
 ブログから離れたのはいつも明日の文章をどうするかを考える。これが厄介だった。それに晩酌を楽しみがある。そして自室に戻りパソコンに向かうが億劫になる。テレビのスイッチをつけるが、いつしか「トロっとなる」。でも、そのような過ごし方もいいのではないかという自分勝手な言い訳がブログから離れた理由でもある。
 しかし、このコロナ期、何かを書き残したいと思う気持ちになったことも事実であり、どこまで続くかはわからないがこれからも試み続けたいと思う。