異常気温の中で考える、「金のかかる高齢者」という物言いについて  

2014-07-26 12:41:57 | 日記

 異常気温の中で考える、「金のかかる高齢者」という物言いについて  

  この暑さには参る。

  体温の調整が鈍くなる者にとっては、気温だけではなく湿度の高いのが堪える。部屋の中で、動かずにじっとしていることが賢明としながらも、今度はクーラーが弊害となる。この時期、山中の温泉宿で過ごすのが良案なのだが、「ではどこに、どのくらいの期間」となれば、費用負担も含め、老いた二人の間でも一致を見ない。そこで「えい!面倒だ。ガマン、ガマンとなる」。とは言えこの2・3日の気温は異常である。

  報道によれば岐阜県多治見市では40.9度になったとある。そして各地で39度を超えたという。記憶にあるが、昨年8月12日、高知県の四万十市で41.0度。これは国内最高の記録であった報じていた。今年はこれを更新する地区が現れるのではないかと危惧する。

  そこで昔を懐かしむ。今「蚊帳」を備えている家はどのくらいあるだろうか。下水も整備され、サッシ戸の普及の中で蚊に悩まされることが少なくなった。しかし、時折「ブーン」と顔を横切る音に、ぴしゃりと叩くのだがまず逃してしまう。蚊の対策の一つに、庭先で「ヨモギ」を燻し、その煙を団扇で家の中に送り込む。それから蚊帳を吊って団扇でパタパタ、いつしか眠りについたものであった。

  今や夜間になっても30度を下回らない。これでは、体調を壊すどころか、弱っている方には深刻である。

  ネットは便利なものである。「人体が求める最適な気温とは」を検索すると18度から24度と答えている。体感的にも健康的にもストレスを感じない気温である。そう考えると、この時期はいざこざの少ない時期のような感じをする。

  そこで体温の調整であるが、人間の正常時の体温は36度であるから、これより気温が高くなれば、大量の汗をかいて体温の上昇を防ごうとする。そこで脱水症状を起こす。水分の補給を必要となる。しかし、気温38度となると、汗を流すことによって体温の上昇を防ぐことができなくなり、その代わりに、体内の臓器が「放熱」し体温の上昇を防ぐ。そのことは臓器に必要以上の負担をかけることになり、脳へダメージを与える結果にもなると解説している。

  私たちは、いろいろな社会環境の中で生活をしている。いつも考えることだが、正常な状態で生活をしていることは少ない。むしろ皆無と言っても良い。正常な、またはそれに近い生活状態を願うのだが、これを望むことはできても実現することは難しい。そこに知恵と経験が生かされる。

  政府は、医療費削減の方策として「健康寿命」を1年延ばすことを方針として打ち出した。つまり、「医療費がかからない、あるいは少なくて済む期間」を延ばそうというものである。健康であることは誰しもが望む。だが、医療・介護一体法にも見られる負担増を前にして、「あなたのその寿命は、金のかかるもの」と言われているような気がしてならない。となればその政治に「一寸待てよ」と言いたくなる。

  多分、次に出てくるのは健康保持のための「官製・生き方指導」であり、それへの「地域参加づくり」であろう。ボタンのかけるところが違うのではないかと言いたくなる。私は、違うところに知恵と経験を生かしたい。