hokutoのきまぐれ散歩

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『夏旅8024』⑨〜浄瑠璃寺と石峯寺に足を運ぶ

2024-08-24 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑨、旅に出ると楽しみなのが朝ごはん。ANDOホテルではかなり朝ごはんに凝っている。

干物はえぼ鯛、納豆は私は食べないが大仏納豆だった。最後に飲むお茶もうまい。



ANDOホテル若草山を出て新若草山ドライブウェイを使い、さらに30分ほど車を走らせると浄瑠璃寺に到着。近いが、ここは府県境を挟んだ京都府木津川市にある。ここを訪ねるのは2016年夏、2020年秋以来である。





なぜこのお寺の名前が浄瑠璃寺なのか、気になっていた。『浄瑠璃』とは一般的には三味線を伴奏楽器として太夫が詞章を語る音曲である。しかし、元々の由来はサンスクリット語からの訳で清らかな青い宝石サファイアを意味し、薬師如来の浄土はこれにより装飾されているとされる。つまり、名前の由来は東方浄土の主である瑠璃光如来に因んだものである。



細い参道を歩くと簡素な門が現れる。門をくぐり、中に入ると宝池の辺りに出るが、この池がこの世とあの世との間の海を模している。



西に本堂(国宝)、東に薬師如来像を祀る三重塔が建ち、平安時代の浄土庭園の様式を残す。また、本堂には九体阿弥陀如来坐像(国宝)が安置されていて平安時代に流行った九体阿弥陀堂のスタイルを残す。



まずは池の周りを歩き、それぞれの場所から見える風景を楽しむ。素朴なナデシコやクサイアオイ、アザミなどが植えられている。 

次に本堂に入る。何回もこのお堂には来ているが、改修はされているとはいえ、当初作られた時と多分殆ど変わらない。両側に4体ずつ8体、真ん中の阿弥陀如来坐像のみ少し大きい。





印相は同じだが、異なる仏師が作ったとのこと。特に眼は開き気味の仏様もいれば、ほぼ眼を瞑られている仏様もいる。同じように見えるがよく見るとかなり違うのである。その周りには四天王像、さらに厨子の中には吉祥天女像がいらっしゃる。(以前に拝観したことがある。)

お参りするのは私と連れ合いの2人のみ、心行くまで拝むことができた。



池の反対側には三重塔、中には東方本尊である薬師如来像が安置されている(普段は見ることができない)。

ここに来るとまるで浄土の世界を見ることができるような気がする。昨年、九体阿弥陀像は東京の博物館で見たのだが、やはりこの地で見るのが勝る。日本全国でも九体阿弥陀如来が拝めるのは九品仏浄真寺(東京)くらいしかない。

次に向かったのが、伏見稲荷からほど近い石峯寺である。伏見区にあるのだが、途中の道は細く、さらに駐車場の場所がわからない。やむを得ずお寺に電話をして場所を教えてもらう。細い坂道を何度か間違えてようやく到着した。



石峯寺(せきほうじ)は1713年に黄檗宗萬福寺の6世千呆性侒により開創された寺院で山門が中国風である。このお寺は江戸時代の絵師伊藤若冲のゆかりの寺として有名である。若冲は1788年の天明の大火で自宅を失い、この寺に隠遁、義妹の心寂と暮した。85歳で天寿を全うしたが、五百羅漢石像や天井絵の制作に力を注いだ。若冲の墓も相国寺と石峯寺にあり、まずはお参りをした。



その後、裏山にある五百羅漢石像を見に行くがお釈迦様の誕生仏や釈迦が弟子たちに教えを解いている姿、十八羅漢、托鉢の姿、涅槃像と周りで悲しむ弟子や動物たち(涅槃図)などが竹林の斜面に多数あり、体中を蚊に食われながら見て歩いた。



単に素朴な石仏ではなく、表情も豊かで思わず笑いを誘うようなものもあり、時間を忘れてしまうほどである。



なお、1915年に本堂は一旦は焼失、再興後も1979年に放火で本尊とも焼失してしまい、今の本堂は1985年に再興されている。(以下、次回)



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