ほはとの日誌

個人の日誌として利用

九州横断徒歩の旅、2日目(御船町滝川→山都町浜町)

2008-05-09 | ウォーク
5月9日(金)晴後雨 15℃~24℃ 69%(熊本市)
出発7:30~宿着7:30  28km
朝、7時から食事をする。ことぶき旅館は仕事の人が宿にしているので早くから食事を用意している。
旅館ことぶき(出発時)

近くの「RIC」というコンビニで昼食を買う。木倉で山道ですぐに行き止まりとなり、車道へ回る。戦争中の防空壕の跡が残っている。
今年の2月にできた日向往還の碑(熊本から4里という意味)

軍見坂をいうところはさびしいところだった。車も時々通くらい。歩道はない。古閑迫、古閑原の集落をへて、茶屋本の集落にくる。ここは宮部鼎三(ていぞう)の生まれたところだ。記念公園(春鼎園)もできていた。
公園内の宮部鼎三の銅像

かれは幕末の人で、吉田松陰とも親交があり、京都の寺田屋事件のときに新撰組に殺された。宮部鼎三は、昨年のサンケイ新聞に吉田松陰の話が連載されていたときに彼の名前が出ていたので、知っていた。
この近くの八瀬目鑑橋(めがねばし)は有名だ。


そこから昔の日向往還である石畳の道を歩く。きょうは日向往還の道を歩く予定だ。所々に最近建てた日向往還の標識があるので助かる。
丁度昼頃にゴルフ場にさしかかる。11:50~12:20 昼食休憩 グリーンの側でゴルフをプレイする人を、2組、見る。矢部ゴルフ場に入るつもりはなかったが、標識がゴルフ場の中を指しているので、その案内に従って歩く。ゴルフ場の中は標識がほとんどなく、どちらにいいか迷う。


自分の判断で歩き、ゴルフ場をでる。ところが現在地が分からなくて、迷う。
歩いて行くと、ゴルフ場の入口が見つかり、そこで現在地がようやく大体分かる。
反対方向に歩いていたようなので、引き返し歩く。すると人家があったので、人に聞く。
ここで現在地を確信する。
あとは車道をしばらく歩く。
金内橋に着く。この橋も有名らしく、立て札があった。
ここから車道を離れ、山道に入る。途中の原で道に迷う。
自分では分からなかったが、尾崎の集落にはいったらしい。軽トラで追いかけて来た人にどこへ行くかと尋ねられ、日向往還を通って、通潤橋へ行くのだと答えると、道を間違えている言われた。車に乗せられ正しい道まで引き返し、また山道へ入るところまで運んでくれた。そして岩屋田を目指す。
そこから地図通りに歩くのだが、どうも地図とは異なる道を歩いているようで不安だった。
一度引き返し、間違ってないことを確認したりした。
芦屋田という集落にでると、日向往還の道標があったので、それに従って歩いていくと、山都町の中心街にでる。合併前は「矢部町」といっていた町だ。
町の中は店屋がいっぱいあり、昔はにぎわっていたという感じがした。
通潤橋は町の東のはずれにあり、そこで1時間ほど見学した。

通潤橋は大きな水路橋(石の管があり、橋の上は歩くことが出来る)、橋の上を妻が歩いている


雨のためもあり、また時間が4時30分を過ぎているので、人はだれもいなかった。
宿について、風呂に入り、18:30から食事をする。

この宿は喫茶店も経営しており、食事は喫茶店でした。
大画面テレビがあり、テレビの声は大型スピーカーから出ていた。
宿泊費:6,500-/人2食