ほはとの日誌

個人の日誌として利用

餅つき大会

2013-12-07 | 自治会
自治会で餅つき大会をする。
この日は少し寒いが、快晴、微風で気持よく餅つき大会が行われた。
自治会で20年以上も前には実施したが、そのご実施していないので、要領が分からないので、
いろいろ戸惑いながらもうまくできた。
杵、臼、釜、せいろ、電動餅つき機械など大物はすべて、近隣の団体から借りることができたのが、一番うまく出来た要因の一つである。当初は、どこから借りるかということであちこちあたったが、帯に短し、たすきに長しで困っていた。
もち米は10kgをつく。自治会の人に餅つき機を持ている人がいたので、それも借りる。
時間は8時~12時。当初はテントを張る予定だったが、公園が狭いのと天気が良かったので、テントは張らなかった。
つきあげた餅を小さくして食べられるようにするのは、子ども会を中心とした女性陣にやってもらう。
子供は20人以上も来たと思う。大人は関係者だけで20人近くで、本当に自治会の人で回覧をみて、来た人は少なかった。
もう少し大勢の人が来てくれると嬉しかったのだが。
     

   


飼い猫のリリー亡くなる

2013-12-04 | Weblog
飼い猫の黒猫リリーが亡くなる。
16歳だから老衰だと思う。2週間前に娘が来た時は元気だったが、その直後から元気がなくなり、
10日前からは食事をほとんどとらなくなる。しかし、水は飲んでいて、おしっこだけは砂場でしていた。昨日は全く食べず、しかし朝、昼、夜の我々の食事時には近くへ来て、小さい声で泣いていた。
昨夜は1階のリビング室で一人で寝ていた。
今朝起きて見ると、口から何か吐いていて、口を少し開けて、死んでいるように見えた。しかし体を触ると温かい。また時々ウット声をだす。こんな状態が11時位まで続いたが、それ以降は声も立てず、体が硬直化していった。完全に息を引き取ったようだった。
14時にペット死亡後の処置を市の環境センターに電話をする。すると動物愛護協会から遺体を引き取りに来た。

リリーは私が名古屋へ単身赴任注に妻が友達から子猫もらってきたのだった。名前は次女がつけた。4年後に、もう一匹野良猫を飼うことになり、いまはその猫がいる。

リリーはしつけができなくて、おしっこを砂場でせず、そこらじゅうにするものだから大変だった。また気が強くて、後輩の猫(ユキという)をよくいじめていた。また腹が減るとテーブの上とか台所の調理台の上に上がり、食べ物をあさる。等々非常に手がかかった。
しかし亡くなってみると寂しいものだ。
今後は残ったユキをせいぜい可愛がることにしよう。
      
  子猫の頃のリリー         1997年1月のリリー    4年後輩の野良猫あがりと一緒に  今年の2月のリリー

法事(父親の三回忌)

2013-12-01 | Weblog
父親の三回忌があった。
場所は長兄の八王子の「興慶寺」。墓が、寺の隣の西東京墓苑
参加者は22人。これは長兄の連れ合いの兄弟(N家)も参加したので多くなった。
11時から12時までお寺で法要が行われ、その後、参加者が墓地にお参りする。
そのあと食事会が八王子の中華料理「海苑」八王子本店であった。料理は多くてかつ美味しかった。
また、N家の人たちで初めて会った人がいて、非常に話が弾んだ。

実は昨年の今頃、やはり父親の一周忌があり、同じ場所で行われた。
この時は妻が腰が痛かったが、次女も一緒に参加した。(この時点では妻の病名がわからなかった)いまは妻は自宅でほぼ寝たきりなので、今回はわたし一人が参加する。