放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

消耗品なわたし達

2007年01月27日 16時08分37秒 | Weblog
 うん、たぶんそうですよね。僕には特定な宗教がないからこーいう考え方に抵抗を感じない。

 人間はおろか、動物も植物も、蟲たちも。おおよそ時間的に有限な存在は消耗品なんですよね。どんなに巨大な生き物でも、どんなに強靭な生き物でも、有限であるならば消耗品です。

 でも一体だれから見てわたし達は消耗品なのでしょう?
 さあ、それが問題だ。
 「神」って簡単に言っちゃうと問題をボカしているだけになるし・・・。「時間的に無限で、決して損なわれない者」、というと、却ってどういうふうに存在しているのか自分でもさっぱり理解できないし。こういうとき哲学では「絶対者」というのでしょうか。 
 
 「消耗品」ってのは「ごみ」とは違います。無用ではないのです。ただ大量に消費するから大量に必要なんです。おそらく地球の「生き物」ってのも大量に生まれて来て片っ端から損なわれてゆくから「ごみ」ではなく「消耗品」なのでしょう。
 地球もきっと消耗品。だから生き物も消耗品(地球)の何かを保護する為に代わりに損なわれてゆく消耗品。あんまり大量に必要なものだから、新しい消耗品をさらに生成することも大きな使命になっちゃっています。せいぜい用を為すために生きていきましょう。
 人間だって例外ではない。どんなに歴史的に偉大でも、宗教指導者であっても、みんな消耗品。大丈夫。たとえ滅んでもだれも笑いません。
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