放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

マッチング

2016年05月07日 10時46分29秒 | 肝苦りぃさ
 「マッチング」という言葉は、ある寄付団体から初めて聞いた。もう十年以上前の話だが・・・。
 直訳すれば「一致する」「調和する」という副詞的表現になるだろうか。やみくもに寄付金をバラまくのではなく、求められているところに、過不足なく適切に支援したいという目的意識が明確に出ている(そのため、審査はとても細かくて、またモニタリング期間も長かった)。
 
 ほんとうに役に立つもので支援したい、もらっても置くところに困ったり、あるいは邪魔にされるようなものではなく、ほんとうに必要な物を。

 とても大切なことではあるが、一方でこんなに難しいことはない。
 「良かれと思えばこそ」と言うが、先方が見えていないと自分の都合を押し付けてしまう。かと言って当り障りのないものをと思うと、十分なものでない可能性もある。
 どっちにしても、貰った方は文句の言い様がない。「ありがたいと思えばこそ」というのが貰う側に要求される態度なのだから。
 支援する側にはまず大抵、感謝の言葉しか返って来ないだろう。先方の事情はこの感謝の言葉が邪魔していてよく見えない。先方の要求を理解するためには、いっそ支援する側に回らないほうがよっぽどいい、という不思議な事態すら生じてくる。

 このたびの熊本・大分の震災を知り、東北地方で、ある人は東日本大震災を思い出したり、あるいは被災された人を慮って涙したり、または「今度こそ恩返しだ」と思い立ったり、さまざまな反応があったことだろう。でもここで一番見極めなければならないのが「マッチング」ではないか。

 つい東日本大震災の延長線で地震被害を想像してしまうが、まず状況が違う。津波がなかったのだから、生活物資の流出は少なかったはずである。一方で目の前に家があるのに帰れないという悔しさが大きいだろう。住居確保が一番の先決だろうが、そこで必要になってくるものは都北の被災地とは違ってくるのではないだろうか。

 情報は報道やSNSにたよるしかないが、一方でまだまだデマが流布しやすい状況でもある。
 考えたくないが、募金・カンパを装う詐欺だって出てくる。逆に被災地の財産が奪われているかもしれない。これらの横行に目を光らせていることもまた支援と言えるのではないか。

 始められる応援はできるだけ参加したい。けど、やっぱり初めにマッチングありきであってほしいと強く願う。諸氏、冷静であれ。  
コメント
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