放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

岩手葉桜紀行(5) 小岩井へ

2015年08月25日 01時12分33秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 やはりここは混むところのようです。
 そもそも小岩井への道は農場へ続く道でもありながら、岩手山への参道でもあります。
 
 美しくも荒々しい霊峰は、そのまま生ける神であり、ときに雨雪のみならず、火の弾をも降らせる恐ろしい山でした。
 それがいつしか麓に美しい草原と潅木が生い茂り。乳製品の産地として展開すると、山の恐ろしさは忘れられてみんなが集うようになりました。
 じっさい美しい田園風景がのんのんと続く一本道と、その向こうに透きとおって瑠璃色に輝く岩手山が見えてくると、ここなら現世でかかえた情緒の隅々まで綺麗にしてくれる、世界中でたった一つの場所のような心持ちになってしまうのです。みんなここで、ささやかながらも穏やかな豊かな思い出を受け取り、それをそっと心の聖櫃にしまって帰ってゆくのです。一言で観光地と呼ぶよりはむしろ聖地なのかもしれません。お山が静まっている間のほんのひと時、貴重な時間。

 かく言う僕らも、ただ「一本桜」が見たくてこの混みあう農道を走っているのです。
 季節は5月上旬。今年の桜前線は駆け足だったので、あたりはみんな葉桜です。沼宮内を走ったときも散り際の山桜がニ三も見かけるくらいで、すっかり葉桜になったのがほとんどでした。

 農道はしだいにすいてきました。どんどんスピードが出ます。
 そのとき、「一本桜」の道しるべが見えました。あわてて速度をゆるめて左折します。
 牧草地のゆるやかな稜線が波を織りなすように重なる高原。ところどころ杉林たちは高い梢を競い、または屏風のように岩手山の聖なる風景をさえぎり、あっという間に後ろへ走り去るのです。突然、がらんと空間に拓けたかとおもうと、そこに一本の大木が立っていました。
 後ろには広い青空と岩手山。まるで絵のようです。

 これが一本桜なのでした。
 残念ながら、葉桜。ここが一縷の希望だったんだけど。今年は早かったですからね、桜前線。 

 このまま農道をすすみ、今夜のお宿へ。
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岩手葉桜紀行(4) 盛岡へ

2015年08月11日 00時14分22秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
さて、僕らは石神の丘を後にして南へと向かいます。
画家さんはギャラリーへ。お客さんはラッキーでしょう。画家さんにとっても貴重なひと時かも。

僕らは国道を盛岡へ向かいました。よいところでお昼を済ませたので、迷う要素がひとつ消えました。
ところが盛岡市街地が近づくにつれて渋滞は次第に激しくなってきたのです。
いっそのこと小岩井方面(西寄りに)ズレてから市街地へ進入すればいいのかな、と迷いましたが、結局同じではないかと思い、渋滞を我慢することにしました。迷う要素が減ったとはいえ、思うようにはいかないものです。

それでも岩手は緑の多いところです。右も左もちょっとした農場が続いていました。ポプラ並木越しに見る農場は、きっと100年くらい変らない景色のような気がします。おそらくここらは入植地で、開拓農家の汗と涙の記憶が土に染み込んでいるのでしょう。開拓地と戦争は意外と縁が深くて、ここいらも戊辰の敗者または日清、日露の後方支援として農夫が連れてこられたのではないでしょうか。岩手山の火山灰と北上水系の豊富な土地。しかし地は堅く、土壌改良も簡単ではなかったのでしょう。同じ岩手山のふもとの小岩井農場も入植してから土地改良に十年もの歳月を要しています。もしかしたら賢治はこのあたりでも肥料の設計をしたのでしょうか。

農場が途切れて、郊外型の販売店が連なるようになってくると、渋滞していた車も各々の方角へ散って行き、だんだん走りやすくなってきます。市街地で走りやすいということは、車の絶対量に見合う道路環境がここでは整備されているということです。仙台よりも都会なのかも。

 盛岡駅前へ到着。立派な陸橋が駅の東西を連結していて、その足元には広大な駐車場が用意されています。
 何だかまるでここが東北の中心地という気がしてきました。仙台にも、そして東京にも気兼ねしない、大都市の貌を見た気がしたのです。
 駅の西口は、すっかり近未来都市です。経済の活発な交流が整然とした立体交差道に顕れています。東口は打って変わって歴史文化と食と娯楽がごちゃっとしている。いいんです。これでいいんです。きっと盛岡はなにも棄てなかった。近代化や戦争で壊されたものはあったかもしれないけど、それでも重層的に積み重なった歴史を棄てることはしなかった。少なくとも、ここには不来方文化圏と呼べるものがちゃんとあって、東京の文化に何もかも押し流されるような悲劇にはならなかったのではないでしょうか。自立した地方都市として、見習いたい魅力的な街です。

 駅前(というか駅の下)駐車場に車を停めて、歩いて橋の上へ。そこから連絡道を通って駅の東口へ出てきました。
 盛岡へ来て、食べたいものが三つありました。
 一つは冷麺。盛岡冷麺というやつです。
 もう一つはジャージャー面。
 そして、わんこそば。

 「わんこそば」はもう少し南の方じゃないかい? と言われそうですが、まあまあ県外者の勝手な都合といいますか、ガイドマップに乗っていたから単純に食いたくなったというか、まあ結局三品のどれにもありつけませんでしたけどね。

 結局、盛岡で何をしたかと言えば、バスに乗って岩手大学へ行き、キャンパスをぶらぶらしてそのまま駅前まで帰ってきた、それだけでした。もっと五百羅漢とか光源社とか盛岡城とか、まわりたかったけど時間切れ。そのまま小岩井農場を目指すことにしました。   
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